blue deco design lab

石原裕次郎、没後30周年!

国民的大スター、石原裕次郎が亡くなってから今年で30周年。52歳という若さで亡くなった裕次郎は、生きていれば今年82歳である。



30周年を記念して、今年はまた様々な特番が組まれているようで、先日もNHK BSプレミアムで放映された3時間生放送特番、『スーパープレミアム 日本人が最も愛した男・石原裕次郎』が放送されたので、録画して後日鑑賞した。中山秀征と北乃きいをメイン司会に、徳光和夫、桂文枝、石原良純を迎え、更には往年のファンが喜ぶような様々なゲストを招き、映像やエピソードなどを交えて石原裕次郎の魅力が凝縮された楽しい3時間であった。また石原まき子夫人が小樽の石原裕次郎記念館から生中継で参加し、石原裕次郎と親交のあった




八代亜紀や倉本聰なども小樽から参加。これに加え、徳光和夫による、石原プロ幹部 (渡哲也、舘ひろし、神田正輝)の3人とのインタビューの模様も紹介され、何とも豪華で贅沢な内容であった。



僕は石原裕次郎の凄さをリアルタイムでは全く経験していない。当然僕が産まれる前から石原裕次郎は国民的大スターであったし、かろうじてリアルタイムで経験していたのは、晩年の『太陽にほえろ!』、『大都会』、『西部警察』等の人気テレビシリーズであった。



ただ、不思議と僕は1950年代、60年代頃の日活黄金時代の日本映画に妙に惹かれてしまい、特に石原裕次郎の魅力には後にハマってしまったのだ。

今とは違い、当時は年間7-8本の主演映画がバンバン公開され、各映画の興行収入もそれぞれ数億円も出れば大ヒットの時代。石原裕次郎はまさに日本の高度成長期の波に乗り、日本映画界の中心的な存在であった。誰もが新たな“人種”、型破りなスターの登場に熱狂し、日本の新たな時代の幕開けを感じさせた俳優であった。そして、若き日の石原裕次郎を見て思うのは、良く見ると決して超美形の顔をしているわけでも無い。しかし、背も高く、誰も真似出来ない独特な雰囲気を持っており、昼間から水代わりにビールを飲むという破天荒な人物であり、ある意味誰もが持つ、“不良”に対する憧れを代弁しているような存在として、日本国民の目にも衝撃的に移ったのだろう。石原裕次郎ほどの独特のオーラ、スター性を持った人はそう多く無いが、当時で言えば石原裕次郎か長嶋茂雄というイメージだろうか。今の時代では、石原裕次郎のインパクトに匹敵するようなスターはなかなか見当たらないし、時代がそもそも違うのだ。



そういうわけで、僕は日活全盛期の石原裕次郎映画作品が特に好きで、中でも僕が一番好きな日本の女優、芦川いずみと共演した『あした晴れるか』や、『乳母車』などは大好きな映画である。今回のNHK BSプレミアムの3時間特番で一番感動したのは、なんと芦川いずみの旦那である藤竜也へのインタビューが紹介され、当時日活の人気女優、芦川いずみとの結婚は日活上層部から相当の反対があった模様だが、それを石原裕次郎が間に入って調整したエピソードが語られた。



芦川いずみは藤竜也と結婚する時にスパッと女優を引退し、その後メディアに顔を出すことは一切なくなった (山口百恵並みにメディアには全く姿を現わさないのだ)。しかし、藤竜也のエピソードを通じて、奥様、芦川いずみもご健在である“気配”を少し読み取ることが出来たのは本当に嬉しかった。



石原裕次郎は大スターであったが、ある意味“永遠の少年”のような、遊び心を持った人であったと感じる。石原プロモーションを設立して以来、スケールの大きな社会派映画を目指し、製作費をふんだんにかけたことから一時は梼Yに追い込まれたが、その後テレビに活路を見出し、『太陽にほえろ!』、『大都会』、『西部警察』というヒットシリーズを世に送り出すことで復活を果たす。

ヒットドラマ群の中で、個人的には骨太なドラマに比重が置かれた『太陽にほえろ!』が一番好きであったが、インパクトという意味では、なんといっても建物を派手に爆破しまくり、毎回たくさんの車を破壊した『西部警察』だろう。テレビ時代の石原裕次郎は、主役の座からは一歩引いて、新たなスターを育成しようとする面と、純粋にドラマ作りを楽しみたいということに専念していたように思う。しかし晩年のドラマ作品は、少年が仲間を集めてみんなで“映画ごっこ”
を楽しんでいるように思えてしまい、僕はかなり独り善がりな雰囲気が前面に出た“映画ごっこ”がどうも最後まで好きになれなかった。本人の意思に反して、やはり往年の銀幕スター、石原裕次郎としての魅力が一番個人的には一番輝いていたように思う。



石原裕次郎は常に病気や怪我との闘いの人生であったようにも思う。若い頃の不摂生がたたったのかもしれない。入退院なども繰り返しながらも、奇跡的な復活をしたりと、常にメディアからも注目され続けた。今のように、ガンであることを本人には告知しない時代であった為、実際にどこまで本人も知っていたか知る由もないが、最後の数年は、ハワイで静養出来たのはせめてもの救いであったろう。



石原裕次郎、没後30周年。いつの時代になっても、裕次郎の魅力と、彼の生きた人生は色褪せることは無い。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「映画」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事