いつからだろう。
そもそも、僕と野球とのふれ合いは
アメリカでの小学生時代に遡る。
ロサンジェルスに住んでいた7歳の頃(1977年頃)、
父親に初めてドジャーズスタジアムに連れて
行って貰った時の写真が残っている。
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この当時、スティーブ・ガービー
という人気選手がドジャーズにいて、僕も
スティーブのグッズや、写真でもしている
ドジャーズの野球帽とリストバンドを買って
貰ったことが今でも鮮明に残っている。
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そして、アメリカより帰国した小学校
3年生の頃の写真も残っているが、
巨人のユニフォームを着ている。こんなの
昔持っていたんだなー、と今振り返れば
とても懐かしい思い出だ。
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父親が大の巨人ファンであった為、
家ではいつも夕飯時に巨人の野球中継が
放映されていた。
ごちゃごちゃ選手の愚痴などを言いながら、
見るのが、ある意味共通の話題で盛り上がれる、
親子のコミュニケーションの大切な時間であった。
僕は長嶋が大好きで、今でも憧れの存在だ。
長嶋はまさにミスタージャイアンツでその
カリスマ性は唯一無二なものである。
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時代的にはタイムリーに選手時代を見ていたわけ
では無く、監督としての時代が中心だ。
小学生の頃は、江川、西本、新浦、小林、
鹿取たちの時代で、内野手では篠塚が大好きであった。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/80/2544dda282d9c8146ff6f796ddbfe66d.jpg)
そしてもっと後になってからは、桑田、槙原、斉藤、
そして原、吉村の80年代後半から90年代にも
良く夢中でゲームを見ていたものだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/e3/13c61a18c0a308a507b528378f352800.jpg)
原も4番打者の当時は、チャンスに打てないだとか
散々叩かれたが、監督としての采配は見事だし、
今改めて振り返ると、巨人の不動の4番打者となる
ことの難しさは相当なものであったことだろう。
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そして今の巨人は、一時のように金にものを言わせて
4番打者級を揃えるナインでは無く、生え抜きの選手達も
育ってきて、とてもバランスの取れた、引き締まった
メンバーとなった巨人はとても頼もしい。
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これだからいつの時代になっても巨人ファンは
辞められないのだ。今年は日本一を残念ながら
逃したが、来年こそはまた更に強くなった
ジャイアンツに会えるのを楽しみにしている。