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『森高千里』について大いに語ってみた!

先日、森高千里のライブに参戦して以来、また久しぶりに自分の中で、“森高ブーム“を迎えている。森高千里は僕と同い年で、まさに自分の大学生時代における、貴重な青春の1ページであり、かなりのめり込んで聴いていた当時を色々と振り返ってみると実に懐かしい。そんな森高について、ちょっと今回語ってみたい。

森高千里は九州・熊本出身。でも生まれは大阪府・茨木市で、幼少期に家族で熊本に移ったのである。1987年にデビューしたが、この頃の芸能界・アイドル業界と言えば前年の1986年に松田聖子が神田正輝と結婚し、出産をきっかけに一時活動を休止する形でややアイドル最前線から離脱(その後ママドルとして復帰するのだが)。一方、中森明菜は1986年に日本レコード大賞を受賞し、翌年1987年も『TANGO NOIR』、『BLONDE』、『難破船』などのヒットを飛ばし、トップアイドルの頂点にいた頃だ。つまり、そんな1980年代後期という絶妙なタイミングに森高は登場した。

森高千里のキャリアを振り返ると、何度か大きく方向性に舵を切った時期が幾つかあるので、自分なりに勝手な整理をしてみた。

1) 皮を被ったアイドル期 (1987-1988年)

  • まずはデビューした1987年からの2年間は普通のアイドルとして売り出されたが、明菜とはまたちょっと違ったクールで気の強そうな、“自立した女性“として特徴付けされていた。
  • 1986年にポカリスウェットのCMに起用されてそのクールな美しさが注目され、1987年に東宝映画『あいつに恋して』でヒロイン役に大抜擢。そして映画の主題歌、『NEW SEASON』で歌手デビューを果たすことになる。その後この曲を収録したデビューアルバム『NEW SEASON』はどこかアイドル的な王道アルバムであったが、まずまずのヒット。
  • その後2ndシングル、『オーバーヒートナイト』、3rdシングル『GET SMILE』でも引き続きアイドル路線で売っていたが、売り上げは伸び悩んだ。しかし、今振り返るとこの初期森高サウンドは個人的に初々しくて結構好きであり、僕と同じようなファンも多いようだ。特に、『GET SMILE』や、アルバム『ミーハー』に収録されていた『GOOD-BYE SEASON』は今でも大好きな曲である。

2) 非実力派アイドル期 (1988-1992年)

  • 森高と言えば、この時代が一番印象に残っているのではないかと思うが、コミックバンドのような面白い歌詞と、美脚を強調したセクシーなミニスカートに、スパンコールが散りばめられた派手でカラフルな衣装とのギャップが衝撃的であった。後のコスプレを先取りしたような展開となり、一気にこの“普通じゃないアイドル”に多くの男性が悶絶した。
  • 作詞をするようになった経緯も、プロデューサーによる“やらせ“というわけではなく、実は森高が自分で素直な気持ちを詞にしてみた『ザ・ミーハー』という曲から始まり、”これ面白いね“ということになっていったらしい。アイドル時代に一世を風靡した松本隆などの歌詞とは全く違い、何とも素人な作詞。しかし、これが共感と面白さをもたらし、アイドル界に全く新しい風が吹いたのだ。
  • 派手な衣装のコスプレ的な演出も決して“やらせ”ではなく、森高自身が面白がって提案していたらしく、どこか芸能界を達観しながら、一種のパロディーとして楽しんでいたのかもしれない。『ザ・ミーハー』は大ヒットして、その後『ザ・ストレス』では、メイドのコスプレで踊るミュージックビデオも話題となり、宅八郎のようなヲたくファンも一気に拡大(笑)。そして更に畳みかけるように、南沙織の大ヒット曲『17才』をリバイバルヒットさせ、一躍人気アイドルの地位を確立した。
  • この1988年頃から1992年頃までは、当時流行していたユーロビートのリズムに乗せた独特なノリノリソングを次々にリリースし、いずれも大ヒット。また、歌詞も冴えわたり、“怒りソング群”と呼ばれる『臭いものにはフタをしろ!』や『ハエ男』で当時のウザい男性をモデルにしながら面白く歌い上げ、そしてノリノリソングだけではなく、バラードでも行けるということを『だいて』、『道』、『雨』、『八月の恋』、『渡良瀬橋』などをリリースすることで証明。この時期のアルバムセールスも絶好調で、アルバム『ミーハー』、『見て』は、アイドル期からこの非実力派期へのトランジション期としてなかなか味わい深い内容のアルバムとなっている。
  • そして何よりも一番インパクトがあったのが、1989年にリリースされた『非実力派宣言』というアルバム。コスプレ全開で、フィギュアのようなジャケ写では手を挙げており、“実力派ではない”とあえて宣言しているが、これは自分に実力が無いという意味ではなく、“実力派”の定義をシニカルに問題提起したもので、芯の通った彼女らしい主張でもあった。
  • 続く『古今東西』、『ROCK ALIVE』なども派手な演出を更に発展させ、この頃の充実したアルバム内容は飛ぶ鳥を落とす、森高千里の絶頂期であったと言える。そして、今でもライブの定番曲で、森高の曲の中でも一番の人気曲でもある『私がおばさんになっても』が産まれることになる。

3) バンドサウンドアーティスト期 (1992-1995年)

  • そんな人気絶頂にあった1992年、彼女は突如『ペパーランド』という何とも地味なアルバムをリリースして、あまりの違いにファンに衝撃を与えた。これまでのコスプレ的な要素を完全に排除し、何ともナチュラルで“きれいなお姉さま”に様変わりしたのだ。
  • この『ペパーランド』というのは、森高千里が九州女学院の高校生時代に初めてバンド活動で演奏したライブハウスの名前であり、このタイトルを付けたことで、ミュージシャンとして2回目のデビューアルバムとも言える象徴的なものとなった。しかしこのアルバムにはシングルが1曲も収録されておらず、何とも地味だが、高校時代に担当していたドラムに加え、ギター、ピアノなども自ら演奏した意欲作。かなり素朴で素人感も漂うサウンドだが、元々森高はビートルズが大好きで(ドラマーであったリンゴスターのファンであった)、ビートルズ的なバンドサウンドとシンガーソングライティングに色濃く影響を受けている。その意味ではこれまでの作詞活動に加え、自ら楽器も演奏したバンドサウンドによって、その後の新たなアーティスト活動の幕開けを宣言したアルバムとなった。
  • 最初はあまりの変化に戸惑ったファンも多かったが、これまでの男性ファンに加え、この頃から彼女の生き方に共感する女性ファンを新たに多く獲得。シングルとしても更にファン層を広げる形で『私の夏』、『風に吹かれて』、『気分爽快』などCMとのタイアップもあって大ヒット。そしてセールス的には1995年に、ドラマ主題歌ともなった『二人は恋人』が44万枚を売り、今現在でも彼女最大のヒット曲となっている。

4) よりナチュラルな熟成期 (1995-1998年)

  • 1996年に『TAIYO』というアルバムをリリース。夏をイメージした青いジャケットには森高の顔がアップになっており、初回限定盤では、見る角度で違う彼女の顔写真が現れる仕様となっていたが、“なんてナチュラルで可愛い森高なんだ~!”、と当時感動していたのを今でも鮮明に思い出す。このアルバムに収録されていたシングル『SO BLUE』という曲が特に大好きで、ギターリフに乗った何とも切ない失恋ソングが妙に心に染みた。
  • この頃から、バンドサウンドを超えて、森高のサウンドは更に落ち着きのある大人的なコンテンポラリーサウンドとして進化・定着していく。翌年の1997年にリリースされた『PEACHBERRY』にも『SWEET CANDY』、『Let’s Go!』などのヒット曲を収録したが、1998年にリリースされた『今年の夏はモアベター』では、プロデューサーに細野晴臣を迎え、全編細野らしい独特なサウンドに仕上げられた異色アルバムとなった。大ヒットとはならなかったものの、今聴き返すと結構味わい深い実験的な企画アルバムだ。
  • 1998年には『Sava Sava』というアルバムをリリースするが、これが全体的に穏やかなアルバムながら、各曲の完成度が高い傑作アルバムで、すっかりお気に入りの1枚となっている。森高では珍しい、シンガーソングライターからの提供曲を多く収録。僕が特に好きなのはとても穏やかで落ち着いた曲調で、何とも可愛いカップルの風景が目に浮かぶ『海まで5分』が大好きな曲だが、この曲は久保田利伸が作曲を手掛けている。ほかにもスガシカオ提供曲も収録されている。他にはアルバムの1曲目、『ユートピア』が希望に満ちながら、どこか肩の力が抜けた名曲で、大好きな1曲だ。
  • 翌年の1999年には江口洋介との結婚、出産などがあり、人生の大きな節目を迎えたことで、しばらく歌手活動を休止することとなる。

このようにメインに活動した11年間を4つの時期に区切って改めてアルバムなどを聴き直してみると、時代と共にそれぞれに少し異なった森高の魅力に触れることが出来る。しかし、そこには元々森高にあった個性、ビートルズを原点としたバンド演奏への拘り、自由でストレートな作詞の才能などは常に一貫して発揮されていた。そして何よりも彼女は、自分自身をプロデュースする才能に長けていたと思う。当時も今も、森高に似たアイドル・アーティストは出現しておらず、唯一無二な魅力を発揮していたことを、改めて思い知らされる。

若いエネルギーに満ち、鮮烈なユーロビートサウンドに乗ったユニークな歌詞とコスプレ的なイメージ戦略や、サブカルでサディスティックな中毒性に満ちていた“非実力派時代”の森高は、今聴き直しても実にキラキラ輝いているが、後期のナチュラルで落ち着いた、等身大の森高サウンドも、今この歳になって聴き直してみると、また違った意味での大人の味わいに満ちており、かなり好きである。この時期の森高は、表情もとても穏やかだ。どちらも森高らしい魅力に満ちており、彼女の成長と進化を追いかけながら楽しむことが出来るのが面白い。そして、改めて気が付かされることとして、彼女は夏の歌が実に多いことだ。桜や卒業式などを歌った春の定番ソングはなく、また秋の歌も少ない。その意味でも、他のアイドルやアーティストとは異なる路線を貫いた大きな要素になったのではないかと思う。

ここ数年、森高のライブ活動もまた活発化しているが、今年のライブは本当に感動的であった。来年もまたライブツアーにぜひ参戦してみたいと思うし、またぜひ久しぶりのニューアルバムをリリースしてほしいものである。

最後に、僕が好きな森高千里ソング“トップ20”を下記の通り発表して、今回の締めくくりとしたい。

My森高千里ソング TOP 20

  • 私がおばさんになっても
  • この街
  • NEW SEASON
  • SO BLUE
  • 二人は恋人
  • ALONE
  • 海まで5分
  • Good-Bye Season
  • 私の大事な人
  • 17才
  • 私の夏
  • 八月の恋
  • ザ・ミーハー
  • ザ・ストレス
  • コンサートの夜
  • ララサンシャイン
  • 勉強の歌
  • オーバーヒートナイト
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