Forest Sync.(水と光の幻影)

何時も季節を感じていたい・・・
飛騨高山発信フライフィッシングのブログです。

クリスマスに想うこと

2017-12-26 22:27:47 | 記憶
昔の話だけど、結婚が決まったとき、身近な友人から驚かれた。冗談半分だろうが、私が結婚不適格者だとも言われた。それでも、特に腹を立てなかったのは、自分でも、そうではないかと、何となく思っていたからだろう。

やがて子供が生まれた。クリスマスには、人並みに、プレゼントを枕元に置いたりした。少し大きくなると、
子供は、煙突が無いのにどこから入ってきたのかと、訝しがったりしたが、適当な事を言い誤魔化すと、それ以上は詮索せず、喜んでいた。

その頃、母親達が、うちの子供はまだサンタクロースを信じているとか、いつまで信じていてくれるのか、などと会話をしているのを、時々耳にした。
子供が成長すると、年下の子や友達を名指しで、あの子はまだサンタクロースを信じているみたい、夢を壊すと悪いから本当のことは言わなかった、などと話すようになった。

そんな話を聞くたび、多くの子供がサンタクロースを信じているんだなぁと、感心した。

私が子供の頃は、サンタクロースがいるなんて信じたことがなかった。物心がついた頃から一度もないと断言できる。親の演出不足も理由の一つだろう。しかし、親がどんなに頑張っても、信じることは出来なかったと思う。

私の住む家はもちろん、近所のどの家にも、人間が通り抜けることが可能な大きさの煙突なんて無かったし、トナカイに引かれたソリに乗ったサンタクロースが空を飛んでいるイラストをよく見たけど、飛行機でも鳥でもない、翼を持たないものが、空を飛べるとは考えられなかった。極め付けは、12月になると連日のように新聞に折り込まれるオモチャのチラシだ。(折り込みチラシの印刷されていない裏面に絵を描くのが好きだったのでいつもチラシをチェックしていた)サンタクロースがプレゼントを届けるというのなら、オモチャのチラシもサンタクロースに渡せばいいのに・・・
サンタクロースにまつわる話に、幼い私はいつも様々な矛盾を感じていた。
他の童話と同じだった。オオカミに喰われた赤ずきんちゃんとおばあさんが、切り開いた腹から生きたまま出てくるなんてありえない。喰われるときに喰いちぎられ、咀嚼されてしまうからな。

こんなことを言ってるから、結婚(=家庭を築く)不適格者と言われるのかもしれない。

もちろん、世の中には、はっきりさせるよりも曖昧なままの方が良いことがたくさんあることは、理解しているつもりだ。

穿った考えかもしれないが、サンタクロースなんていないとわかっていても、プレゼントが欲しいからとか、子供がサンタクロースを信じていると疑わず、一生懸命茶番を演じている大人達を気遣って、信じているようなふりをしている子供も、中には、いるだろうな。まぁ、信じている事にしていた方が、何かと都合がよさそうだ。

いずれにせよ、サンタクロースを信じた子供達は、やがて、その正体が親の愛だったのだと気付くのだろう。

クリスマスの日、親の虐待で子供が命を落とした事件が報道された。
サンタクロースを信じることも許されず、ささやかな幸せも与えられないまま、この世を去った子供のことを思うと、涙がこぼれた。










コメント (10)
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