もりのぼたもち

釣り、健康ランニングとお城巡りを楽しむアラ還おじさんです。
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日本100名城に行こう! 番外編 長篠設楽原の戦い

2014年08月03日 | 日本100名城

長篠城を訪ねた後、道路脇の看板に目が行きました。

そこには、この付近一帯が長篠設楽原の戦いの戦場だったとのこと。

この戦いは、歴史の教科書にも載っていました。

Battle of Nagashino.jpg

今までの刀、槍、弓が中心の戦いから、最新兵器の鉄砲が主流になっていく新しい戦いです。

「織田徳川連合軍足軽鉄砲隊 VS 最強武田騎馬隊」

一人車を運転しながら、想像を膨らませワクワク。

ということで、見られるところだけでもと思い、戦地を訪ねることにしました。

解説はこちら。

馬場信春による丸山占領に続いて、勢いに乗じた真田信綱・昌輝兄弟や土屋昌次らの諸隊が次々と繰り出され、激戦が行われた場所である。

ここには連合軍から羽柴・丹羽隊が、武田軍から内藤隊が加わるなどし、さらに戦線は拡大していった。

続いて、あの有名な馬防柵。

解説は、こちら。

設楽原に布陣した連合軍は連吾川の西に陣を敷き、平地部分の川沿い南北2Kmにわたって馬防柵を構築させた。
信長はあらかじめ岐阜を出発する際、足軽雑兵に至るまで、みな柵木と縄を携行させた。
 その柵木と周辺の雑木を合わせ、設楽原中央を流れる連吾川から10mは沼地のため、その西側に作られた田圃の畦に二重三重に柵の縦杭を打ち込んだ。また、付近の農家を買い取って、戸・障子・畳・柱などを使い、柵の出撃用の木戸口を設け、また柵の下部に弓矢を防ぐ畳を置くなどして、あたかも城壁を設けたような陣営を作り上げた。
 さらに各陣地前には空濠を掘り、土塁を築いて補強してあった

信長の鉄砲隊が、武田騎馬隊に向けて、3段構えで撃っていったところです。

激戦地だったところ。

さて、思い立って立ち寄ったところなので、場所等がわからず残念。

下調べをしておけば、武田軍の有名な武将のゆかりの地を訪ねられたのに・・・。

ちょっと後悔です。

それでも、感動もしました。

それでは、戦いの詳細は、こちらを参照ください。

天正3年5月21日 戦いの経過です。

 

 

 

 

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