もりのぼたもち

釣り、健康ランニングとお城巡りを楽しむ中年おじさんです。何事にもドンマイ!の気持ちであちこち出かけています。

御朱印巡り ~ 京都市東山区祇園界隈 その7 八坂神社

2020年01月11日 | 御朱印巡り

1/8 安井金比羅宮を後にして、最後は祇園と言えば八坂神社へ向かいます。

安井金比羅宮の近くにこんなところがあります。

崇徳天皇と言うお方は、よくお名前を聞きます。

先ほどお参りした安井金比羅宮の才神でもあられます。

保元の乱で敗れ、讃岐に流され、怨念から妖怪となり、様々な災いをもたらしたと言われてます。

「崇徳天皇」の画像検索結果

「崇徳天皇」の画像検索結果

人通りの少ないところにあるのでちょっと怖いですが、気を取り直して八坂神社へ。

さすがにたくさんの人がどんどん参拝に来られています。

外国人の方がとても多いです。

それでは、本殿で様々なことを祈願。

ちょっと厚かましい・・・。

さすが、さい銭箱がデカい。

どこからでも入れられます。

お詣りをしてから、御朱印を頂戴しました。

そして、交通安全のお守りです。

それから、本殿の隣にある「美御前社 うつくしごぜんしゃ」へ立ち寄りました。

こちらは、美人・美貌の神様という事で、女性が必死にお詣りされています。

私は、それを見ているだけ・・・。

  

  

そして、この美容水が肝心。

ちょっと肌につけると「身も心も美しく」なるとか・・・。

ということで、あっちこっちまわってきました。

お昼ごはんは、「殿」でラーメン。

この赤さにはいつも驚きますが見た目ほど辛くはありません。

そして、「りらくる」でもみほぐし90分コース。

アァーーーー、極楽極楽。

 

 

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御朱印巡り ~ 京都市東山区祇園界隈 その6 安井金比羅宮

2020年01月11日 | 御朱印巡り

1/8 六道珍皇寺を後にし、ぼちぼち帰り道。

駐車場方面へと進む途中にある「安井金比羅宮」にお詣りしました。

ここは、この辺りに来た時には、必ずお詣りをしています。

ここのいわれは・・・。

 

御祭神

源頼政公 みなもとのよりまさ 崇徳天皇 すとくてんのう 大物主神 おおものぬしのかみ
            

御由緒

第38代天智天皇(てんちてんのう)の御代(668~671年)に藤原鎌足(ふじわらのかまたり)が一堂を創建し、

紫色の藤を植え藤寺と号して、家門の隆昌と子孫の長久を祈ったことに始まります。


第75代崇徳天皇(すとくてんのう) (在位1123~1141年)は特にこの藤を好まれ、

久安2年(1146年)に堂塔を修造して、寵妃である阿波内侍(あわのないし)を住まわされました。

崇徳上皇が保元の乱(1156年)に敗れて讃岐(現、香川県)で崩御された時に、

阿波内侍は上皇より賜った自筆の御尊影を寺中の観音堂にお祀りされました。

治承元年(1177年)、大円法師(だいえんほうし)が御堂にお籠りされた時に、

崇徳上皇がお姿を現わされ往時の盛況をお示しになられました。

このことは直ちに後白河法皇(ごしらかわほうおう)に奏上され、法皇のご命令により建立された光明院観勝寺が

当宮の起こりといわれています。

光明院観勝寺は応仁の乱(1467~1477年)の兵火により荒廃しましたが、

元禄8年(1695年)に太秦安井(京都市右京区)にあった蓮華光院が当地に移建され、

その鎮守として崇徳天皇に加えて、讃岐の金刀比羅宮より勧請した大物主神と、

源頼政公を祀ったことから「安井の金比羅さん」の名で知られるようになりました。


明治維新の後、蓮華光院を廃して「安井神社」と改称し、更に「安井金比羅宮」と改め現在に至っています。    

    
    
    
            

御神徳(御利益)

あらゆる悪い縁を切り、良縁を結ぶ

主祭神の崇徳天皇は、讃岐の金刀比羅宮で一切の欲を断ち切って参籠(おこもり)されたことから、

当宮は古来より断ち物の祈願所として信仰されてきました。

また、戦によって心ならずも寵妃阿波内侍とお別れにならざるを得なかった崇徳上皇は、

人々が御自身のような悲しい境遇にあわぬよう、幸せな男女のえにしを妨げる全ての悪縁を絶切って下さいます。

男女の縁はもちろん、病気、酒、煙草、賭事など、全ての悪縁を切っていただいて、良縁に結ばれて下さい。

良縁に結ばれたご夫婦やカップルがお参りされても縁が切れることはありません。

更にお二人がより深くより強く結ばれる御利益をいただけますのでご安心を。

 

というようなことで、ここには、「悪いことと縁を切りたい。」「よいご縁を結びたい。」

そんな願いを持たれた方が多く参拝されています。

ここが、縁を切る、結ぶを祈願するところです。

作法はこちら。(必ず通り抜けなくても、貼っておいてもOK)

縁切り縁結び碑(いし)

縁切り縁結び碑(いし) 画像    

    

高さ1.5メートル、幅3メートルの絵馬の形をした巨石で、

中央の亀裂を通して神様のお力が円形の穴に注がれています。

「○○君と幸せに結婚できますように」という可愛いらしいお願い事から、

「夫と浮気相手との縁を切って下さい」といった事まで、

皆様の様々な願いが書かれた「形代(かたしろ)」(身代わりのおふだ)が貼られ、

碑が見えないほどになっています。

御祈願の方法は、まずご本殿にご参拝下さい。

次に「形代」に切りたい縁・結びたい縁などの願い事を書き、

「形代」を持って願い事を念じながら碑の表から裏へ穴をくぐります。

これでまず悪縁を切り、次に裏から表へくぐって良縁を結びます。

そして最後に「形代」を碑に貼って下さい。

なお御本殿への御参拝、「縁切り縁結び碑」での御祈願は終日可能です。    

             

御祈願の作法

1.まず御本殿に御参拝下さい。

2.次に「形代」(身代わりのおふだ)に願い事を書きます

形代は碑の左側の台にご用意してあります。

100円以上のお志を賽銭箱にお納めの上お取りください。

3.形代を持って、願い事を念じながら碑の表から裏へくぐる

説明画像

4.同じく形代を持って願い事を念じながら碑の裏から表へくぐる

説明画像

5.最後に形代を碑に貼ります

ということですので、まずは本殿へ。

 

それから、身代わりおふだを記入。

「病気と縁を切ります。」と・・・。

これは、神頼みと言うよりも、自身の生活改善が一番なんですが・・・。

と、毎回同じことを書いてます・・・。

それにしても、大勢の方が、特に女性が必死に祈願されていました。

それでは、御朱印を頂戴します。

続いては、最後の祇園さんへ。

続く・・・。

 

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御朱印巡り ~ 京都市東山区祇園界隈 その5 六道珍皇寺

2020年01月11日 | 御朱印巡り

1/8  六波羅蜜寺を後にして、向かった先は「六道珍皇寺」

ここは、以前から大いに興味がありました。

ここには、不思議な伝説があります。

ホームページからです。

まずは、小野篁(おのの たかむら)という平安時代の役人がいました。

小野篁(802年〜852年)は参議小野岑守の子。

嵯峨天皇につかえた平安初期の官僚で、武芸にも秀で、また学者・詩人・歌人としても知られる。

文章生より東宮学士などを経て閣僚級である参議という高位にまでなった文武両道に優れた人物であったが、

不羈な性格で、「野狂」ともいわれ奇行が多く、遣唐副使にも任じられたが、大使の藤原常嗣と争い、

嵯峨上皇の怒りにふれて隠岐に流罪されたこともある。

さて、この篁が凄いことを・・・。

それが・・・。

閻魔王宮の役人

篁堂に安置する衣冠束帯姿の 小野篁立像(江戸時代)

なぜか閻魔王宮の役人ともいわれ、昼は朝廷に出仕し、夜は閻魔庁につとめていたという奇怪な伝説がある。

かかる伝説は、大江匡房の口述を筆録した「江談抄」や「今昔物語」「元亨釈書」等にもみえることより

平安末期頃には篁が、閻魔庁における第二の冥官であったとする伝説がすでに語りつたえられていたことがうかがえる。

こうした篁の冥官説は、室町時代にはほぼ定着した。                        

今なお、本堂背後の庭内には、篁が冥土へ通うのに使ったという井戸があり、

近年旧境内地より冥土から帰るのに使った「黄泉がえりの井戸」が発見された。

そばには篁の念持仏を祀った竹林大明神の小祠がある。

ということで、大変興味深いのであります。

ちなみに1/11からこんなことが開催されています。

興味津々に境内へ。

ここは、参拝は自由です。

こちらの祠。

右側に篁の木造があります。

格子越しにのぞき込みます。

そして、左側には閻魔様がおられます。

閻魔様はともかくとして、一番気になるのがあの世とつながっている井戸。

それは、本堂の右手から、のぞき込めるようになってます。

どれどれ・・・。

庭があります。

その奥です。

これか・・・。

近付いて、中をのぞいてみたいなぁ~。

しかし、行けません。

 

それでは、お詣りを・・・。

本堂は障子が締まっていて、このままお詣りをしました。

すると、たまたまですがご住職さんが出てこられたので、御朱印は?と尋ねました。

どうぞ中へお入りください。

となり、本堂内へ。

そこでは、授与品などもあり、御朱印を頂戴しました。

やはり京都は歴史があります。

そして、不思議なことがあります。

だから興味深い。

本当に小野篁は、冥土と行き来していたのかなぁ。

閻魔さんに仕えていたのかなぁ。

まぁ、1000年以上も前の話だしなぁ。

と、思いながら、次へ・・・。

続く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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御朱印巡り ~ 京都市東山区祇園界隈 その4 六波羅蜜寺  

2020年01月10日 | 御朱印巡り

1/8 建仁寺を後にして南へと進みます。

そして、六道の辻と言うところまで来ました。

このあたりは、昔の葬送地・鳥辺野への入り口で、この世とあの世の境目です。

それでは、六波羅蜜寺です。

詳しくはこちら・・・。

六波羅蜜寺は、天暦5年(951)醍醐天皇第二皇子光勝空也上人により開創された西国第17番の札所である。

当時京都に流行した悪疫退散のため、上人自ら十一面観音像を刻み、御仏を車に安置して市中を曵き回り、青竹を八葉の蓮片の如く割り茶を立て、中へ小梅干と結昆布を入れ仏前に献じた茶を病者に授け、歓喜踊躍しつつ念仏を唱えてついに病魔を鎮められたという。(現在も皇服茶として伝わり、正月三日間授与している)

現存する空也上人の祈願文によると、応和3年8月(963)諸方の名僧600名を請じ、金字大般若経を浄写、転読し、夜には五大文字を灯じ大萬灯会を行って諸堂の落慶供養を盛大に営んだ。これが当寺の起こりである。

上人没後、高弟の中信上人によりその規模増大し、荘厳華麗な天台別院として栄えた。平安後期、平忠盛が当寺内の塔頭に軍勢を止めてより、清盛・重盛に至り、広大な境域内には権勢を誇る平家一門の邸館が栄え、その数5200余りに及んだ。寿永2年(1183)平家没落の時兵火を受け、諸堂は類焼し、独り本堂のみ焼失を免れた。

源平両氏の興亡、北条・足利と続く時代の兵火の中心ともなった当寺はその変遷も甚だしいが、源頼朝、足利義詮による再興修復をはじめ火災に遭うたびに修復され、豊臣秀吉もまた大仏建立の際、本堂を補修し現在の向拝を附設、寺領70石を安堵した。徳川代々将軍も朱印を加えられた。

現本堂は貞治2年(1363)の修営であり、明治以降荒廃していたが、昭和44年(1969)開創1,000年を記念して解体修理が行われ、丹の色も鮮やかに絢爛と当時の姿をしのばせている。

 

という事で、こちらには空也上人や平清盛の像があります。

目にしたことがあるなぁ、と・・・。

まずは、こちらで祈願。

くるくると3回まわしながら願い事を唱えます。

本堂で十一面観音にお詣り。

そして、御朱印を頂戴しました。

それから、同じところに都七福神の弁才天が祀られています。

ということで、またまた俗的なお願いの金運を・・・。

そして、まだしっかりと金運をお願いするために、こちらへ。

お守りをいただきます。

その中に、実はお金を洗って入れる願い形があります。

この銭洗い弁才天様の水で洗います。

そのお金を包みます。

この包みは、金庫や通帳など増やしたいものと一緒に保管です。

お頼み申します・・・。

厚かましいお願いばかりです。

それでは御朱印も。

ありがとうございました。

続く・・・。

 

 

 

 

 

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御朱印巡り ~ 京都市東山区祇園界隈 その3 京都最古の禅寺 建仁寺

2020年01月09日 | 御朱印巡り

1/8 京都ゑびす神社を後にして、続いては向かい側にある「建仁寺」さんへと行きました。

それでは、建仁寺についてです。

ホームページから・・・。

建仁寺は建仁2年(1202年)将軍源頼家が寺域を寄進し栄西禅師を開山として宋国百丈山を模して建立されました。

元号を寺号とし、山号を東山(とうざん)と称します。          

 創建時は真言・止観の二院を構え天台・密教・禅の三宗兼学の道場として当時の情勢に対応していました。

その後、寛元・康元年間の火災等で境内は荒廃するも、正嘉元年(1258年)東福寺開山円爾弁円(えんにべんえん)が当山に入寺し境内を復興、禅も盛んとなりました。

正元元年(1259年)宋の禅僧、建長寺開山蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)が入寺してからは禅の作法、規矩(禅院の規則)が厳格に行われ純粋に禅の道場となりました。

 やがて室町幕府により中国の制度にならった京都五山が制定され、その第三位として厚い保護を受け大いに栄えますが、戦乱と幕府の衰退により再び荒廃します。

ようやく天正年間(1573-1592年)に安国寺恵瓊(あんこくじえけい)が方丈や仏殿を移築しその復興が始まり、徳川幕府の保護のもと堂塔が再建修築され制度や学問が整備されます。

明治に入り政府の宗教政策等により臨済宗建仁寺派としての分派独立、建仁寺はその大本山となります。 また廃仏毀釈、神仏分離の法難により塔頭の統廃合が行われ、余った土地を政府に上納、境内が半分近く縮小され現在にいたります。

というようなことです。

ここは有名な風神雷神図や双龍図があり、一度見たかったお寺でした。

まずは、三門です。(望闕楼ぼうけつろう)とも言います。

勅使門方向から見ました。

正面から、とても立派です。

そして、法堂(はっとう)です。

それでは、拝観料を支払い、本坊から入場します。

この中へ入ると、この日はまだ参拝者も少なく、とても静かで厳かな雰囲気でした。

それでは、方丈の感動の数々を紹介します。

まずは、潮音庭(ちょうおんてい)

四方正面の禅庭です。

とても、とても心が落ち着きます。

珍しく私も四方をまわりながら、ゆっくりと眺めました。

それでは、大書院にある国宝「風神雷神図」です。

俵屋宗達の晩年の最高傑作とされています。

右に風神、左に雷神です。

そして、こちらは金澤翔子さんの風神雷神の書です。

見事!

そして、拈華微笑(ねんげみしょう)

そして、小書院から見た「〇△□乃庭」。

こちらの庭です。

続いて、方丈へ。

こちらの庭は「大雄苑(だいおうえん)」と称され、白砂と苔、巨岩の枯山水です。

見事!

しばし見とれてました。

左奥には、織田信長の供養塔です。

ここは、襖絵がスゴイです。

スゴイのを紹介。

まずは「雲竜図」 海北友松作 桃山時代 重要文化財。

圧巻です。

竹林七賢図。

こちらは納骨堂。

写ってませんが、納骨堂の右には「安国寺恵瓊のお墓」があります。

それでは、法堂へと進みます。

本尊釈迦如来坐像です。

そして、そして、そして、上を見上げると・・・。

ドッヒャーーーー!!!の迫力です。

お見事!!

とにかく凄いです。

建仁寺建立以来、天井に描かれた記録はありません。

小泉さんが初めてです。

建仁寺、堪能です。

それでは、依頼をしておきました御朱印帳を帰りに受け取りました。

イヤぁ~、感動しました。

 

続く・・・。

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御朱印巡り ~ 京都市東山区祇園界隈 その2 京都ゑびす神社 

2020年01月09日 | 御朱印巡り

1/8 の神社仏閣巡りの続きです。

今回の第1の目的は、ここ「京都ゑびす神社」へのお詣りでした。

仕事場の私の席の後ろには、お札が掲げてあります。

昨年は、大阪の今宮戎神社でした。

今年は、実は今日近くを通ったのですが、時間がなくて断念。

そんなことを予想して昨日京都のえべっさんをお詣りしたのであります。

ちなみに私の仕事は、どんどん利益を追求するわけではないのですが、やはり利益がないと給料やボーナスに影響します。

そのため、ここ5、6年前からえべっさんをお詣りし祈願している次第。

ただ、お商売人さんのように「商売繁盛、笹持ってこい。」まではやってません。

それでは、ゑびす神社へ。

この日の朝はの10時ころには、まだそんなに屋台は出ていませんし、通行されている方もまばら。

近くには、こんな簡易トイレが停車しています。

正面の鳥居をくぐって境内へ。

すると、目に入ったのが着物を着たきれい処の姿が・・・。

ここで京都ゑびす神社の十日ゑびす大祭の日程です。

ホームページからの紹介です。

年間行事
祭礼は1月8日から12日の5日間に渡り、以下の神事を中心に執り行われます。
1月 - -  
8日  招福祭
    午前9時 開門
    午前10時 宝恵かご社参(東映太秦映画村)
    午後2時 湯立て神楽神事
    午後2時半 餅つき神事(神主、巫女、奉仕)
    午後11時 閉門
9日  宵ゑびす祭
    午前9時 開門
    午前9時 招福まぐろ奉納
    午前10時 宝恵かご社参(東映太秦映画村)
    午後2時 祭典執行 ☆夜通し開門
10日  十日ゑびす大祭(初ゑびす)
    午前11時~12時 東映女優の奉仕による福笹の授与
    午後1時~2時半 東映女優の奉仕による福笹の授与 ☆夜通し開門
    午後2時 祭典執行(非公開)
11日  残り福祭
    午後2時~4時 (祇園町)舞妓さんの奉仕による福笹と福餅の授与
    午後8時 祭典執行(非公開)
    午後8時~10時 (宮川町)舞妓さんの奉仕による福笹と福餅の授与
    午前0時 閉門
12日  撤福祭
    午前9時 開門
    午後8時 祭典執行(非公開)
    午後10時

閉門

というようなことで、私が行った1/8は初日の招福祭。

そして、たまたまですが10時ころに行ったため、宝恵かご社参と言うのが行われていた次第。

※宝恵かご社参  東映の女優さんが松竹梅と紅白に飾ったかごに乗りこみ、

ゑびすばやしの「商売繁昌でささもってこい」のかけ声勇ましく、

太秦の映画村より神社へ参拝し、それより順次各デパート、商店、銀行等へ吉兆笹を配り、

京の初春を祝います。

なるほど、それでこんなきれいな人が・・・。

それでは、しっかりとお詣りをします。

ちなみに、つきものの鈴の緒が取り除かれています。

混雑の為らしいです。

しかし、えべっさんは耳が遠いらしい。

それなのに、鈴が鳴らせないと、聴こえておられないのでは・・・。

この本宮の裏手には、こんなところがあります。

この板をどんどんと叩いて、来ましたよぉー、と合図するのです。

ということで、心の中で大きな声を出して、お詣りしました。

そして、御朱印をいただきました。

お札もいただきました。

めでたいでしょう。

ついでに私用にこれも・・・。

これで、めでたい事が呼び寄せられるかな?

これから、1/9 宵ゑびす、そして十日初ゑびすと賑わっていきます。

それでは、京都ゑびす神社でした。

次は、行きたかった建仁寺です。

えべっさんの向かいにあります。

続く・・・。

 

 

 

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御朱印巡り ~ 京都市東山区祇園界隈 その1 仲源寺目疾地蔵尊 

2020年01月08日 | 御朱印巡り

1/8 一人で社寺巡り。

お天気が朝まで大荒れでしたが、私が到着したころの9時半には、青空も出だして助かりました。

それでは、円山公園の駐車場に停めて、スタート。

八坂さんから四条通を鴨川方面へ。

途中に漢字会館だったかな?がありました。

中には入らず外に紹介されているものを眺めました。

今までの、今年の一文字です。

昨年は「令」でした。

見ていると、やはりその年の世相がわかります。

2011年 あの東北の大震災の年です。

「絆」この言葉の重さ、大切さ、ありがたさを思い出しました。 

こちらは、1995年。阪神淡路大震災の年です。

日本でこんなことが・・・。と、生まれて初めてのショッキングな映像でした。

それから進みますが、まだ初詣と言う方もいらっしゃるようですが、お天気のこともあり、平日のため空いています。

南座の手前くらいで歩道沿いですが、うっかり通り過ぎてしまいそうな小さなお寺。

私も通りながらチラッとしか見てませんでした。

今日は、違いました。

この「めやみ地蔵尊」という石柱が目に入りました。

私も眼圧はじめ、視力のことなど「目」について悩んでいます。

ということで、お詣りせねば・・・。

いわれは、簡単に・・・。

仲源寺(目疾地蔵尊)について

安貞2年の洪水の際、雨が止むように祈願を行った本尊の地蔵尊を雨止(あめやみ)地蔵と呼ぶようになる。

 後に転訛して目疾(めやみ)地蔵となり、眼病に霊験があると信仰された。

とのことです。

境内には、重要文化財の千手観世音菩薩像も安置されてます。

目の病について、しっかりとお詣りしました。

そして、その隣に小さな窓口がありまして、お守りが置かれています。

用事のある時は、ブザーを鳴らして開けていただきました。

お守りをお願いします、と言っていると、御朱印もされているとのこと。

せっかくですので、よろしくお願いします。

書いていただいているときにちょっと世間話。

まずは変なお天気のこと。

そして、たまたま「めやみ地蔵尊」という文字が目に入り、ご縁を感じてお詣りさせていただいたことなど。

すると、奥さんは「この場所は、四条の通りに面していて抜群に立地はイイのですが、みなさん八坂さんめがけてまっしぐら。」

「立ち寄っていただく方が、ホンマに少ないです。」とのこと。

確かに、鴨川を渡って「南座」そして、この小さな地蔵尊、すぐに「祇園花見小路 一力茶屋」、その向こうには、八坂さんの西楼門の朱色が目に飛び込んできますから・・・。

それはそれとして、私は今後、ここを通った時には、お詣りをさせていただくことにします。

ありがとうございました。

次は、商売繁盛 えべっさんです。

続く・・・。

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御朱印帳

2020年01月08日 | 御朱印巡り

今日は、京都へ行ってました。

奥さんは仕事。

私は振休。

そのため、一人です。

神社仏閣を8か所まわってきました。

その報告は、別にさせていただきますが、私が今使用している御朱印帳についてです。

私は、そもそも歴史が大好き。

そのため、お城めぐりもしていますが、歴史的な史跡や神社仏閣にも興味が大です。

そこで、せっかく行くならば、行った証ともなるしなぁ、と思い立ったのが、

平成30年6月21日のこと。

大阪へ出張に行き、時間調整でブラブラ。

そんな中、オッ!と思い出しのが安居神社。

すでに2度訪ねてます。

しかし、せっかく近くに来たのだから、ましてや真田幸村公が亡くなった場所ですし、とお詣りにいきました。

その際に、一人の女性が御朱印をいただいておられる姿を発見。

歴女の方? 幸村公のファン? 神社仏閣好きの方?

そんなことはともかく、それを見て私もやろう!と思い立ちました。

そして、安居神社で速攻で御朱印帳を購入し、1発目です。

それからは、続いて四天王寺さんへ行ったりして、続いて行きます。

その御朱印帳も終了し、今はこちらを使用してます。

令和元年8月から始まってます。

ということで、また着々と御朱印も増えて行っておる次第。

時々眺めながら、ご加護を・・・。

さて、話は変わりまして、ブログのお仲間、たいぴろさんが飛行機が描かれているお守りの話がありました。

それは、石巻市にある羽黒山 鳥屋神社の物であります。

関東在住のお知り合いの方からいただいたものです。

私も昨年9月に東北へ。

その際に石巻市にも立ち寄りました。

大川小学校を訪ねました。

そんなご縁もあるわけですが、実は御朱印帳もいただいておりました。

ブルーインパルスがドッピューーーン。

1枚目には、御朱印もいただいてもらってます。

今の御朱印帳が仕舞になれば、こちらを使わせていただきます。

実は、もう遅かりしですが、神社用とお寺用を分けていない私。

一緒でもイイですよ、と関係者の方はおっしゃってましたが、ちょっと違和感が・・・。

次は、鳥屋神社の御朱印帳は神社用として使っていこうと思います。

それと、お寺用をもう1冊。

とにかく、神社仏閣巡りは、なかなかイイものですね。

歳をいってきたからかな?

 

 

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御朱印巡り ~ 立木神社 滋賀県草津

2019年12月20日 | 御朱印巡り

今日は、草津へ出張でした。

車で行きたかったのですが、規定により私用車はダメ。

そのため、電車です。

琵琶湖を挟んでいるので、京都の山科で乗り換えとなり、邪魔くさい。

琵琶湖線は本数が多いので、待ち時間はごくわずかです。

しかーーし、帰りは湖西線。

乗り継ぎが悪くて、なんと寒い風がビュービューの山科駅に30分ちょっと待ってました。

ホンマに琵琶湖の東側と西側とでは、何もかもが違います。

さて、それはさておき、草津駅を降りて市役所方面へ。

ここは、中山道と東海道の分岐点でもあり、本陣がありました。

道しるべを挟んで、右が東海道で伊勢方面、左が高架になってますが、中山道です。

当時は、賑やかだったでしょう。

こちらが草津本陣。

東海道です。

ここを大名はじめ、たくさんの人の往来があったと思うと、見てみたい気がします。

移設された道しるべで、東海道と書かれています。

大きな酒造店がありました。

草津駅から東海道を通って、市役所周辺まで、トコトコと歩きました。

そして、研修があり、お昼休みに1号線まで出て王将へ。

セットを頼むと餃子ついていて、それはそれでいいのですが、ニンニクり臭いが・・・。

ニンニク抜きを頼めばよかったと後悔。

一応マスクをしているのですが、ダメなようです。

そのため、隣のセブンイレブンで、ブレスケアを買いました。

これは、効き目抜群です。

スゴイ!

それから、まだ時間があるので、近くの立木神社へ。

貸し切り状態で、ゆっくりと参拝。

私は、いつも手を合わす時に心の中でまず自分を名乗ることにしています。

「滋賀県高島市・・・から来ました。ぼたもちです。」と。

そうしないと、神様も誰かわからないだろうと思ってことです。

それから、厚かましく、あれやらこれやらとお願い事をします。

参拝を終えて社務所の方へ行きます。

窓口で「御朱印はいただけますか?」と聞いたところ、授与しているとのこと。

せっかくですし、お願いしました。

それと、仕事が年中大変な奥さんに「仕事守」を買って帰りました。

寒い冬の風が吹く中の参拝は、気持ちもキリッとします。

イイものです。

 

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御朱印巡り 開口神社 大阪府堺市

2019年11月25日 | 御朱印巡り

今日は、朝早くから出勤し、大阪の堺へ。

朝は通行量も多いので、3時間もかかりました。

10時に着いて、用事ですが、これがまた予想以上に時間がかかりました。

1時間程度と思っていたのに、3時間近く。

13時前までかかり、クタクタ。

それからお昼ごはんを食べてから、その近くの神社に寄りました。

開口神社(あぐちじんじゃ)です。

実は、ご近所の奥さんが、ちょっと重い病気で年明けに手術とのこと。

こりゃ、大変だなぁ。

そこで、病気平癒祈願です。

まぁ、代参ですが、しっかりその方の名前を言いながらお参りしました。

ちょっと事前調べていたところ、大阪府下で病気平癒のご利益がある神社になっていて、たまたま堺の用事で近くに行ったのでした。

今の時期は、七五三参り。

かわいい子たちが、お参りに来ていました。

うちの孫は、来年です。

ということで、近所の奥さんの病気平癒を祈願して、お守りと御朱印を頂戴しました。

ご利益を期待です。

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御朱印巡り ~ 近江国一之宮 建部大社

2019年11月20日 | 御朱印巡り

今日は、振休です。

お天気は、朝から雨。

冷たい時雨です。

まずは、奥さんを仕事へと送ります。

それから、一人で出かけました。

今日は、夕方に帰ってくるまで実に忙しく動き回りました。

本当ならば、鶏足寺へ紅葉を観に行く予定でしたが、湖北の方はお天気が悪そうなので、南へ。

まずは、滋賀県大津市にある 近江国一之宮の「建部大社」へ行きました。

ここを参拝するのには理由がありました。

とても親しい知人が来月入院されます。

そのため、「病気平癒」のご利益があるところで調べて、私がまだ行っていなかったところが建部大社でした。

一応、近江神宮、延暦寺に続いて3番目になっておりましたが、なんてたって近江国一之宮ですから。

到着し、本宮へ。

その前に、建部大社の説明です。

日本武尊が祀られています。

こんなカッコいい、説明看板が参道に掲げられています。

それでは、手水。

それから、門をくぐります。

御神木の三本杉。

それでは、本殿でお詣りをします。

本殿の裏手に回ります。

すると、菊花石があります。

天然記念物で、本当に菊の花が見えます。

続いて、さざれ石。

前に立つと君が代が流れました。

こちらは、日本武尊の弟子が祀られています。

ちなみに昭和20年に発行された初の1000円札には、日本武尊と建部大社が図柄として描かれています。

境内をまわりました。

請願成就。こちらもしっかりお詣り。

続いて、縁結びの大野神社。

埼玉と栃木の方で嵐が大好きな方がおられるので、チケット獲得のためにも、代参です。

こちらは、源頼朝が戦勝祈願したお水。

ということで、ゆっくりと参拝をさせていただきました。

知人の病気平癒を祈願し、お守りも購入。

私は、御朱印をいただきました。

それでは、続いてフォレオ一里山へ。

こちらは、年末ジャンボが今日から発売されたので、滋賀県で一番乗っている売り場へ行こうと思ったのであります。

しかーーーし、道を間違えて断念。

そのため、宝くじはまたの機会として、続いて栗東へ。

こちらは、これで3度目となります。

ごんぜの里 総社 大野神社です。

というよりも、嵐の大野君にちなんで参拝者が多い神社であります。

この日も、伊豆や大阪など遠くからのナンバーがありました。

そして、皆さんしっかりとお詣りされています。

この絵馬。

ほとんどが嵐関連でありました。

もちろん私も、埼玉と栃木の方の代参として、しっかりとお詣りしました。

それから、授与品を買いました。

また、関東のお二人にお渡しします。

さて、この後は、栗東にある道の駅へ。

こちらでは、来月行くカンボジアで、お会いする方が栗東出身。

そのため、メイドイン栗東のお土産を調達です。

ここまで、来たら疲れてきました。

お天気も北の方を見ると悪そうだしなぁ。

ということで、湖北方面はやめることに。

ちなみに栗東からだと80キロ以上ありますし。

それでは、帰る方角へ。

今度は、森山のピエリに立ち寄りました。

ここでも、カンボジアでお会いする人たちへのおみやげなどを購入と遅めのお昼ごはん。

あとは、もう帰ろう。

それでも、奥さんの用事などを済ますため、2か所立ち寄り。

最後は、おばあさんと妹に毎年12月に旅行を招待してしているので、その手配へ。

なんやかんやとたくさん行きました。

夕方に帰って来て、クタクタ。

充実の一日でした。

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御朱印巡り ~ 元乃隅神社 山口県長門市 2019.9.21

2019年09月26日 | 御朱印巡り

9/21 御朱印巡り 2か所目です。

ここは、最近テレビなどでもよく見ます。

いわゆる絶景です。

とても狭い離合のしにくい道を進みます。

大型バスも来てます。

たくさんの人です。

景色だけじゃなく、いわれもしっかりとしています。

ご利益を求めて言うより、こちらの景色でしょう。

そして、ここのお賽銭がこんな上に入れなければなりません。

鳥居の上でして、入れば願いが叶うとあって、強風の中、何度もチャレンジされていました。

一人の若い女性が上手く入れられ、拍手喝さい。

きっと願いが叶うでしょう。

ちなみに私も奥さんも全く持ってダメ。

それでは、海へと続く鳥居です。

御朱印をいただきました。

ここには、神社の方はだれもおられません。

お守りや御朱印、神札なども自主申告で代金を入れます。

私は、相場の300円を納めました。

山口県長門市の絶景の元乃隅神社でした。

さて、これから萩へ向かいます。

続く・・・。

 

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御朱印巡り ~ 太皷谷稲荷神社 島根県津和野 2019.9.21

2019年09月26日 | 御朱印巡り

す9/21 津和野城の後、すぐ近くにある太皷谷稲荷神社へ参拝しました。

車を止めて、手水。

すると横にお供えがあります。

稲荷神社のため、油あげです。

お供えしましょう。

本堂横にお供えしました。

表参道には、連続する鳥居があります。

高台に位置するため、津和野の町が一望。

御朱印を頂戴しました。

そして、愛知のたいぴろさんがお参りをすると、おみくじの置物を買われるとのこと。

それがかわいいので、私もあればそうしようと、思っていましたところ、ありました。

おみくじは開けずにそのままに。

ちなみに大大吉まであるようです。

ということで、津和野の太皷谷稲荷神社でした。

次もお稲荷さんを目指します。

続く・・・。

 

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御朱印巡り 難関突破と恋の宮 ~ 金崎宮 福井県敦賀市 2019.8.10

2019年08月13日 | 御朱印巡り

8/10 気比神宮を参拝後にお詣りしました。

金崎宮です。

駐車場からちょっとした坂道と石段を上がります。

途中、赤レンガ倉庫が見えます。

こちらは、何度もお参りに来ております。

私はどちらかというと、金ケ崎城の方に関心があります。

信長、秀吉、一豊、朝倉、浅井、お市など、ビックネームばかり。

それよりもまずは参拝です。

厳かな雰囲気。

こんなキャラクターがお出迎え。

ということで、こちらも「恋の宮」。

またまたTさんに良きご縁がありますように・・・。

それでは、由緒です。

HPからです。

延元元年(1336年)5月、九州で再挙した足利尊氏が京都に攻め寄せると、後醍醐天皇はこれを比叡山に避けられた が、同年10月に至って一旦尊氏の請を容れられ、京都に還幸されることになり、その際天皇は別に新田義貞(にったよしさだ)に命じ、尊良親王・恒良親王を 奉じて北陸道の鎮撫、官軍再興のために下向せしめられた。
新田義貞一行は雪中の木の芽峠を越えて敦賀(つるが)に着き、氣比神宮(けひじんぐう)の大宮司氣比氏 治に迎えられその居城、金ヶ崎城に入った。一方足利尊氏は高師泰(こうのもろやす)を総大将として兵六万余もって陸海より金ヶ崎城を攻撃、延元2年正月、 杣山城(そまやまじょう)の瓜生保、里見時成等兵五千余も金ヶ崎の急を救わんとしたが、迎撃に遭い、保、時成等戦死、3月6日遂に落城、尊良親王は新田義 顕(新田義貞嫡子)以下将士三百余人と共に亡くなられた。尊良親王御年27歳、義顕18歳であったと伝えられる。
恒良親王は、氣比氏治が子息斎晴によって脱出されたが、後に捕らえられて京都に幽閉され、延元3年4月13日毒薬を盛られて亡くなられた。御年15歳であったという。
明治の御代に至り、当地敦賀の人々の熱烈なる請願により、明治23年9月尊良親王を御祭神とし、宮号を 金崎宮として官幣中社に加列せらるる旨仰出された。同25年11月には恒良親王を本宮に合祀され、同26年5月5日勅使参向せしめられ鎮座祭及び奉告祭を 執行、翌6、7日両日に奉祝祭を執行し、以来毎年6日をもって例祭日と定められた。
しかし、同36年3月、町内よりの出火により本殿以下三棟を焼失、日露戦争後の同39年4月に正還宮再建されたが、この時御本殿は現在の地に移され、建築様式も流造より神明造に改められた。
昭和57年本殿等の破損著しく改築、桧皮葺の本殿、瓦葺の拝殿等が銅版葺に改められ、現在に至る。
尊良親王(たかながしんのう)※後醍醐天皇一の宮   恒良親王(つねながしんのう)※後醍醐天皇皇太子
「縁結び・恋愛成就」 「難関突破」 「開運招福」 「金運招福」
 

本殿です。

こんなおみくじも。

お守り。

特に私の関心が高いのがこちら。

金運。

ただ、私の財布やバッグにはあちこちの金運お守りが入っていて、こりゃ怒られそうですわ。

と、こちらではお詣りのみ。

それでは、御朱印を頂戴します。

 

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御朱印巡り 北陸道総鎮守 越前国一之宮 気比神宮 ~ 福井県敦賀市 2019.8.10

2019年08月12日 | 御朱印巡り

8/10 鯖江のサンドーム福井へ行く前にお詣りしました。

敦賀市にあります「気比神宮」です。

まずは、立派な鳥居をくぐります。

国の重要文化財です。

手水。

そして、本殿へ。

気比神宮のHPからです。

御祭神 御神徳

伊奢沙別命(いざさわけのみこと)※衣食住・海上安全・農漁業・交通安全

仲哀天皇(ちゅうあいてんのう) ※無病息災・延命長寿・武運長久

神功皇后(じんぐうこうごう)  ※安産・農漁業・海上安全・無病息災・延命長寿・武運長久・音楽舞踊

応神天皇(おうじんてんのう)   ※海上安全・農漁業・無病息災・延命長寿・武運長久

日本武尊(やまとたけるのみこと)※武運長久・無病息災・延命長寿

玉姫命(たまひめのみこと)   ※音楽舞踊

武内宿禰命(たけのうちのすくねのみこと) ※延命長寿・無病息災・武運長久

主祭神 伊奢沙別命は御食津大神(みけつおおかみ)とも称し食物を司り、

また古くより海上交通、農漁業始め衣食住の生活全般を護り給う神として崇められている。

神功皇后、応神天皇はまた漁業に対する御神徳著しく、古来五穀豊穣、海上安全、大漁祈願が行われ、

現に農漁海運業者の崇信が極めて篤い。

神功皇后は安産の神として霊験あらたかである。

仲哀天皇・神功皇后・日本武尊・応神天皇・武内宿禰命は無病息災延命長寿、

また神功皇后・玉妃命は音楽舞踊の神である。

 

ということで、お願いはしっかりと・・・。

そして、本殿の左方向にたくさんの神社があります。

その中の一つに縁結びの神様がいらっしゃいます。

今回、一緒に行っているTさん、良きご縁がありますように・・・。

それでは、御朱印を頂戴することに。

丁寧にありがとうございました。

それでは、最後にこちらへ。

これは、長命水と言いまして、ご利益を期待。

パワースポット長命水

いわれは、こちら。

パワースポット 長命水 ちょうめいすい


 大宝2年(702年)、氣比神宮はそれまで伊奢沙別命(いざさわけのみこと)(氣比大神)1柱を祀る神社でありましたが、

文武天皇の勅命で大神とのご神縁により仲哀天皇・神功皇后・日本武尊・応神天皇・玉妃命・武内宿禰命の神々が合祀され、

御祭神は七柱とされました。

その際、神宮を修営しましたが、修営途中突然として地下水が噴出したと伝えられます。

合祀された神々、特に武内宿禰命は大変長生きをされた神様でありますので、

これは、祀られた神々の御神徳が宿る神水として信仰され、1300年以上の長きに亘り今に長命水の名称で親しまれています。

近年ではパワースポットとして多くの参詣者がここを訪れ、境内名所の一つとなっています。

 

敦賀の気比神宮でした。

 

 

 

 

 

 

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