昨日の午後から戦没者遺族会の追悼式に参加してきました。
まずは、地元の「戦没者追悼式」です。
私は、戦後73年で平成最後となるこの式典ですが、初めての参加です。
まずは町内代表の方の式辞。
そのあと、焼香がありました。
ここには、町内の戦没者の方の名前があります。
もちろん、私のおじいさんの名前もありました。
そのあとは、高島市民会館で高島市主催の「戦争犠牲者を追悼し平和を誓う市民の集い」に参加しました。
高島市長の式辞、市議会議長・県会議員の方の追悼の言葉があり、発表の場へと移ります。
発表というのは、「次世代戦跡訪問研修参加者」の中学生・高校生の方、4名の発表でした。
主に、鹿児島県知覧特攻記念館に行かれた話などが中心です。
今回の発表者は、ひ孫にあたる方だと思います。
それにしても、この子たちはスゴイ。
続いて、献奏というのがありまして、ピアノ演奏とソプラノで「庭の千草」「からたちの花」「ふるさと」が演じられました。
これまた、いい歌です。
庭の千草なんか、情景が浮かぶほどです。
そして、高島市内の若者による詩の朗読「私が一番きれいだったとき」がありました。
それから、参加者全員で献花をしました。
私も、壇上に上がり、菊の花を一輪、献花しました。
最後に、平和都市宣言の朗読があり終了。
今回、このような式典に初めて参加したのは、今年から遺族会の地区の係を仰せつかったからです。
最初は、孫なのに・・・。と思いましたが、遺児である子供さんたちと言いましても73以上の方ばかりとなり、高齢化が著しく、成りて不足からの理由もあり、不詳私が引き受けた次第です。
実のところ、配りもの等の役目は、おばあさんがしてくれており、助かってます。
とにかく、全国の武道館の場合もそうですが、戦没者の妻もほんとに少なくなり、子供さんも高齢となってきていて、なかなか出席が難しくなってきてます。
そこで、孫の代へとなるわけです。
我が家では、長男だったおじいさんが昭和12年12月に満州で、戦死。
早い時期での戦死のため、村葬で大変なお葬式が執り行われて、すでにそれも80年以上前になります。
私の父親も3歳の時でしたので父親の記憶はなかったと思います。
大変な時代です。
それにしても、あいさつ等でもありましたが、「先の大戦」と言われてます。
忘れてはならないことですが、さすがに古くなってきた感はあります。
ましてや、孫となると・・・。
家に帰り、仏壇に手を合わせて、飾ってあるおじいさんの軍服姿の遺影を眺めました。
私よりはるかに若いです。
無念だっただろうな・・・。
もう戦争はあきまへん。
この孫の代も平和であって欲しいです。
今回は、義理か役目で参加しましたが、式典の最中、いろいろと考えさせられました。
いい機会でした。