売れない作家 高村裕樹の部屋

まだ駆け出しの作家ですが、作品の情報や、内容に関連する写真(作品の舞台)など、掲載していきたいと思います

篠島

2012-10-02 16:11:28 | 小説
 10月になり、涼しく、秋らしくなってきました。9月は名古屋では過去数十年で、3番目に気温が高い、残暑が厳しい秋だったようです。

 今回『幻影』第22章を掲載します。篠島旅行の前半部分です。篠島への旅行の章は、『幻影』の中でも、もっとも楽しく書けた部分でもあります。

 私自身、4年前、知多四国霊場巡りをしました。長いこと勤めた仕事を退職し、また、霊場開創200年の年ということで、日帰りで数回に分けて、霊場巡りをしました。最初の寺の最寄りの駅までは名鉄電車、またはJR武豊線を使い、その後は1回平均で10ヶ寺ほど歩いて回りました。1回で20~30kmは歩きました

 そして、最後に日間賀島、篠島の霊場を訪れました。その日で満願、という日に、日間賀島で船から降りるとき、桟橋が揺れた瞬間、愛用のデジタル一眼レフPENTAX *istDLを落とし、ボディーもレンズもだめにしてしまいました。安易な気持ちで霊場巡りをしたので、バチが当たったのでしょうか?

 今回の章には、霊場巡りの思い出なども込めて執筆しました。


             22

 店の公休日に誘いを受け、美奈は久しぶりに安藤に会っていた。年が明けて初めてだった。二週間に一度は安藤から誘いがあったが、このところ美奈はときどき誘いを断っていた。
 今回は新年ということもあり、知多半島の沖の三河湾に浮かぶしのじま篠島で一泊し、ふぐ料理を賞味しようということになった。
 松の内も過ぎ、平日のため、間近での予約だったが、旅館の部屋は空いていた。安藤は年次休暇をあまり消化していないので、二日間の休暇を取得したという。
 昨夜は仕事で遅くなり、朝は一〇時過ぎに起きた。ベッドに入ったのは午前三時ごろだったので、七時間ぐらいは眠っている。今日は知多半島の先端の師崎まで、長距離車を運転するので、十分睡眠をとっておきたかった。朝食はとらず、シャワーだけ浴び、出かける準備をした。荷物などはもう前日に赤いザックに詰めておいた。
 美奈は愛車のミラで、安藤と待ち合わせの、名古屋市南区のレストランに向かった。
 そこで二人で昼食をとり、名四国道から大高で知多半島道路に入った。
 知多半島道路、南知多道路は高速道路並みの規格で、快適なドライブが楽しめる。以前は片側一車線だったが、日本道路公団から愛知県道路公社に事業譲渡されてから、二車線となり、制限時速も八〇キロとなった。
 車の流れに乗って走っていると、ついつい速度が一〇〇キロを大きく超えてしまうことがある。美奈はときどきスピードメーターを確認し、速度が出過ぎると、後続車の様子を見ながら、エンジンブレーキを効かせて減速した。半年ほど前、スピード超過で走り、あわや事故を起こす寸前で、千尋に助けられたことが常に頭の片隅にあった。
 安藤は運転免許証を持っていない。以前、人身事故を起こし、免許取り消しとなってから、もう取得する気をなくしたとのことだった。
 篠島に渡るには、師崎港から高速船に乗る。師崎港に行くまでに、野間大坊と野間灯台に寄ることにしていた。
 南知多道路を美浜インターチェンジで降り、県道二七四号線を上野間方面に走った。杉本美術館に寄りたかったが、残念ながらその日は水曜日で休館日だった。それで上野間から国道二四七号線に入り、野間大坊に向かった。
 野間大坊は源義朝の最期の地として有名だ。一一五九年、京都六条河原で平清盛に敗れた義朝は、東国に逃れようとして、東海道を下る。その途中、尾張国の長田忠致(おさだただむね)のもとにたどり着いた。しかし、入浴中に長田父子に襲撃され、非業の最期を遂げたという。そのとき、義朝は「我れに木太刀の一本なりともあれば、むざむざ討たれはせん」と叫んだと伝えられている。それゆえ、野間大坊の境内にある義朝の墓には、多数の木刀が供えられている。
 車を付近の駐車場に置き、野間大坊の表通りを歩いた。気づかず通り過ぎてしまいそうな陰気な池があった。それが義朝の首を洗ったという血の池だった。折しも雲が出て日が陰り、薄暗くなったので、鬼気迫るような妖気を感じた。
 美奈は赤い小型のカメラバッグから、最近買ったデジタル一眼レフカメラを取り出した。
「あ、美奈さん、いいカメラ持ってますね」と安藤が美奈のニコンD50を見て話しかけた。
「僕はあまりカメラに興味がないから、シャッターを押すだけできれいに撮れるデジカメで十分ですよ」
「このカメラもオートのモードにすれば、シャッターを押すだけでいいですよ」
 美奈はよく山に登り、山の写真を撮っていた。これまでフィルム使用のカメラや、コンパクトデジカメを使っていた。最近は自由になるお金もできたので、デジタル一眼レフのうちでも価格が安くなった、エントリーモデルといわれるカメラを買ったのだった。
 美奈は高校時代、星や山岳の自然の美に引かれていたので、天文部に入っていた。登山などを行うワンダーフォーゲル部は、母親から危険だから、と止められていた。
 それで天体を見たり写したりする望遠鏡、カメラなどには興味を抱いていた。カメラは天体ばかりではなく、山も写すことができる。美奈はカメラにも多少のこだわりを持っていた。
美奈が所属していた天文部には、古いニコンの八センチ天体望遠鏡があった。もう三〇年以上前の望遠鏡だ。今ではEDやフローライトを使ったアポクロマートという、すこぶる性能が高いレンズが当たり前になっている。その中で、ニコンの望遠鏡のレンズは、古いタイプのアクロマートという色消しレンズだった。しかし、古い設計のレンズでありながら、その性能、見え味は素晴らしいものだった。レンズを支える架台もまだしっかりしていた。
 天文部の顧問の先生が、高校時代、ニコンの天体望遠鏡に憧れ、ようやく貯金が目標の額に達したので、さあ、八センチ望遠鏡を買おうとした矢先、価格が二倍近くに跳ね上がり、泣く泣く他メーカーの望遠鏡に変更した、という逸話を話してくれた。美奈の高校に赴任したとき、ニコンの八センチ天体望遠鏡があり、初恋の人に再会したような気分だと、感激したそうだ。
 天文部員の間では、高価ではあるが、非常に高性能な天体望遠鏡を製造している高橋製作所が垂涎の的として、圧倒的な人気を得ていたが、美奈はニコンの製品に思い入れがあった。デジタル一眼レフカメラにキヤノンなどではなく、ニコンを選んだのはそのためだった。もちろんカメラとしての性能も考慮した上でだった。美奈の小さな手には、ややボディーが大きいが、その分しっかりカメラをホールドでき、手ぶれがあまり出なかった。まだ手ぶれ軽減機能が珍しいころだったので、手ぶれしにくいのはありがたかった。
 美奈は新しいカメラで、血の池を写した。
「こんな陰気な池を写すと、心霊写真でも写りそうだ」と安藤が美奈に気味が悪そうに話しかけた。心霊写真でも写りそう、というおかしな表現に、美奈はクスリと笑った。
 大門の近くに、「新四国第伍拾番霊場 大御堂寺(おおみどうじ )」と記された石碑があった。
 野間大坊は知多四国八十八カ所霊場の五一番札所で、五〇番札所の鶴林山(かくりんざん)大御堂寺の一坊として建立された。だから野間大坊と大御堂寺は隣接した境内にある。義朝の子であり、鎌倉幕府を開いた源頼朝が、父の霊を弔うために野間大坊を建てたとされている。
 近くの五二番密蔵院(みつぞういん)、五三番安養院(あんよういん)も同じ鶴林山という山号だ。
 美奈は写真を撮りながら、安藤と並んで大門、鐘楼堂(しょうろうどう)と過ぎ、本堂まで歩いていった。
 ときどき参詣に訪れた人にお願いし、安藤と二人並んで写真を写してもらった。
 大御堂寺の本尊は、阿弥陀如来だ。真言宗の本尊は大日如来だが、ここは阿弥陀如来になっている。美奈の生家の光照寺の本尊も阿弥陀様だ。野間大坊は開運延命地蔵尊が本尊となっている。
 後に美奈が調べると、知多四国霊場の真言宗豊山派(ぶざんは )のお寺は、大日如来以外の仏様を本尊として祀っているところが多かった。
 本堂のすぐ近くに義朝の御廟がある。御廟には写真で見た光景のとおり、たくさんの木刀が奉納されていた。討たれる間際に、「我れに木太刀の一本なりともあれば」と言ったという義朝の恨みが伝わってきそうだった。
 野間大坊の本殿には、平日とはいえ、たくさんの参拝者がいた。知多四国霊場巡礼の人は、ここの納経所で納経帳を提示し、五〇番と五一番の納経印をいただく。
 本殿の前の参道には、本四国八十八カ所巡りのお砂踏みが造られている。霊場巡りの本場である四国まで行けなくても、ここでお砂踏みをすれば、四国の霊場をお参りしたのと同じ功徳が得られるそうだ。
野間大坊を後にして、美奈と安藤は国道二四七号線を南下し、野間灯台に行った。車を近くに停め、灯台まで海沿いの国道を歩いていった。
 天気がよく、伊勢湾に揺らめく波が、太陽の光を反射し、きらきらきらめいた。明るい海の光景は、美奈の心も明るく照らした。寒い冬ではあったが、明るい太陽の陽射しを受けた海辺は、とても暖かく感じられた。
 伊勢湾の向こうには、かすかに三重県の山並みが見える。これがもし夕方なら、伊勢湾を赤く染め、遠い対岸の山に真っ赤な夕日が沈む光景は、何ともいえぬロマンチックなものだろう、と美奈は心の中で、その情景を想像した。
 空をオレンジ色に染めて、対岸の山並みに落ちようとしている夕日、真っ赤にきらめく海をバックにした白い灯台。名古屋港や四日市港など、大きな港を持つ伊勢湾は、船の航行が多い。沖には大きな船が何隻も浮かび、赤い夕日を浴びながら、ゆっくり進んでいる。もう少し遅い時間なら、そんな光景が見られたであろう。
 美奈はカメラで、思い出作りのための場面を切り取った。
 他にお願いする人がいなかったので、三脚とセルフタイマーを使い、灯台を背景にした二人の写真も写した。カメラの液晶モニターを見て、二人の思い出の写真を確認した。

「最近どうしたの? 忙しいの? なかなか僕の誘いに応じてくれないけど」
 美奈が運転するミラの中で、安藤が言った。美奈の車は海岸に沿って、師崎に向かっていた。
「ごめんなさい。最近、仕事が忙しくて、疲れ気味なの。今は週五日出勤で、ゆっくり休養も取れないし」
「美奈さんはトップクラスの人気だそうですね。時々店のホームページを見ますけど、最近はいつもナンバーワン、ってあります。一日何人もの男を相手にするなんて、大変でしょう。僕としては、早く仕事を辞めて、僕と一緒になってほしいな。仕事とはいえ、他の男と寝ていると思うと、さすがに心安らかではないですからね」
 安藤はすねたような口調で言った。
「私も因果な商売だと思うんですが、以前勤めていたマルニシ商会は、クビ同然で退職したし。やはり全身にいれずみしてると、普通の会社には勤めづらいですから、どうしても今の仕事を頑張らなければ、と思うんです」
「だから、僕と結婚してくれれば、一生君の面倒は見てあげる。しがない公務員とはいっても、収入は安定しているし、贅沢さえしなければ、不自由なく暮らしていけますよ」
「でも、私ってけっこう贅沢で、お金がかかる女なんですよ。ソープ嬢は一般の会社勤めのOLより、ずっと収入がいいから、つい金遣いも荒くなってしまうんです」
 美奈はわざと自分を卑下するような言い方をした。しかし実際は美奈は倹約家で、多くの収入を得ているわりには、生活は質素といえた。
 いれずみに関しては、軽く百万円を超える金額を費やしているが、もう大きなものを彫ることはない。まだ肌が白い部分に、もう少し増やしてもいいかな、と思わないでもないが、彫るとしても、胸や腹、足に小さなものを入れる程度で、今後いれずみに何十万円も使うことはない。肘から先の前腕部は目立つので、やめておいたほうが賢明だと思う。
 美奈はいつまでも今の仕事を続けるわけにもいかない、と考えている。身体はけっこうきつかった。あと何年続けられるだろうか。
 このことに関しては、ケイやルミも同様の不安を抱いている。ミドリが三月いっぱいで店を辞めるのは、結婚が理由だが、やはり体力の限界を感じているので、ちょうどいい潮時だ、とも言っていた。
 しかし美奈にとっては、一般の会社勤めは、全身にいれずみを彫ってしまった今では、難しい。
 ケイやルミなら、まだそれほど広範囲に入れていないので、タトゥーを隠して一般の会社などでも勤務することができるかもしれないが、隠すのが困難なほど大きく入れてしまった美奈は、かなりの制約がありそうだった。
 もっとも最近のルミは、トヨの背中の天女に目を奪われて以来、美奈やトヨに負けないように、自分も背中をきれいな絵で飾りたい、と言い出している。
また、ルミはタトゥーアーティストに挑戦してみようかな、と意欲を燃やしている。卑美子に弟子入りしたいという希望を持っている。ルミは絵を描くことが好きで、けっこう上手に描く。高校時代、ルミは漫画家になりたくて、よく漫画を描いていたという。
 その点、美奈は絵が下手で、いくらタトゥーが好きでも、タトゥーアーティストへの夢は持てなかった。
 タトゥーがファッションとして、少しずつ市民権を得てきている、と考えている人もいるが、実際まだまだ「入れ墨」に対する世間の偏見、風当たりは強かった。
 美奈やルミのように、タトゥーに理解がある若い世代が、社会の中心となる時代になれば、タトゥーに対する社会的な見解も、多少変わってくるだろう。だがそれはまだずっと先のことになりそうだ。
 ファッション関係や芸能界など、それほどタトゥーが障害にならない業種もあるが、そのような世界に打って出られるほど、自分に才能があるとは思えなかった。トヨのように、好きなタトゥーを仕事としてやっていければいいが、絵にも自信がなかった。
 だから、稼げる今のうちに、少しでも貯金しておきたかった。無駄な出費はできるだけ抑えるようにしていた。
 それでも安藤に、自分のことをお金がかかる女、と言ってしまったのは、安藤に対する牽制のつもりもあった。
 最近、今ひとつ安藤が信用できない。いくら否定しても、どうしても安藤は千尋を殺害した犯人なのではないか、という疑惑を抱いてしまうのだ。
 確たる証拠があるわけではない。千尋の霊も安藤が犯人だと示唆していない。しかし、最近気になることを思い出していた。
 初めて安藤と、店以外で会ったとき、あれは藤が丘の居酒屋でのことだった。
 美奈が、高蔵寺近郊の山に一緒に登りませんか、と誘ったとき、安藤の顔がこわばったことがあった。そのときは高所恐怖症で、山が苦手だからだと思ったが、今考えてみると、ひょっとしたら春日井市、多治見市の県境の山という場所に反応したのではないかと思う。
 いくら高所恐怖症だといっても、登山に誘った程度で、あのように血相を変えるだろうか? それより、千尋の遺体を遺棄した場所だからこそ、驚いたのではなかろうか。
 そう考えると、疑心暗鬼に陥ってしまう。
「いや、これまで何度も君と会った印象だけど、君は決してそんな金遣いの荒い女性とはとても思えませんが。君は元々真面目な女性なんだ。部屋には贅沢なものなどなかったし、車だって、失礼ですけど、こんな中古の軽ですしね。美奈さんほどの収入があれば、もっといい車に乗れるはずです」
「それは買いかぶりです。私、最初は車にはそれほど興味がなかったので、通勤用に動けばいい、という程度の気持ちでこれを買ったんです。今ではけっこう車が好きになったけど、このミラにも愛着があるので、ずっと乗ってます。何となく私の名前に似ているし。今は猫かぶってますが、そのうち地が出てしまいそうです。そうなったとき、安藤さんに捨てられるのが怖い」
「大丈夫ですよ。僕は決して美奈さんを捨てません。それは信じてください」
「でも、こんないれずみのある女と結婚するなんて言ったら、ご家族に反対されるんじゃないでしょうか?」
「家族は関係ないですよ。僕たちは大人だ。二人の意志さえしっかりしていれば、周りがどう言おうと、困難は必ず乗り越えられる」
「だけど、まだ私たち、一生添い遂げることができる、と確信持てるほど、付き合ってもいませんし。やがて私は安藤さんに愛想を尽かされるんじゃないかと思うと……」
「だからこれからじっくり二人の歴史を作りましょう。二人の愛の歴史を。僕を信じてください」
 安藤の言葉で、この会話は途切れた。しかし、美奈は胸の内で、ひょっとして私も千尋さんと同じ運命をたどるのではないかしら、と考えずにはいられなかった。
 万一安藤が犯人と仮定してのことだが、元日に外之原峠で女性の遺体が見つかった、ということは、新聞、テレビなどで報道されているので、そのことは安藤は知っているだろう。しかし、その遺体の身元がわかったという報道は昨日の時点ではされていない。白骨化した身元不明の女性としか知らないはずだ。
 あれから二年以上経過しているのだから、よもや、遺体の身元がわかるはずがない、と安心しているだろう。それに、美奈と千尋に接点があるなんて、思ってもいないだろう。
 しかし、千尋の怨念がなせる業か、遺体は完全に白骨化せず、一部屍蝋化し、背中にいれずみがあることがわかった。そのいれずみが身元の割り出しに決定的な役割を果たした。
 昨夜、三浦より、遺体が橋本千尋であることが確定した、と電話があったのだった。
 着信があったのはちょうど接客が終わり、待機室で休憩しているときだった。登録していない番号からかかってきたので、誰だろう、といぶかりながら電話に出ると、「あ、木原さんですか。県警の三浦です」と名乗られ、美奈はビクッとした。そして同時に、胸のときめきのようなものを感じた。
「確認できました。歯の治療のカルテから確認できたのです。やはり、あの遺体は橋本千尋さんに間違いありませんでした。これから千尋さんの交友関係に重点を置いて捜査を開始します。ご協力感謝します。もしまた気づいたことがあれば、どんな些細なことでもけっこうですから、いつでもこの携帯まで連絡してください」
 美奈にはわかっていたことだが、いよいよ警察も被害者が千尋ということで捜査を開始する。一日も早く事件が解決することを、美奈は祈らずにはいられなかった。
 ただ、証拠もない今の状態で、安藤のことを三浦に話すことはできなかった。
 美奈はせっかくの旅行なのだし、今は安藤とのデートを楽しもう、と自らに言い聞かせた。千尋を殺害した犯人でなければ、安藤はむしろ好ましい相手なのだ。

 美奈は海沿いのドライブを楽しみながら、愛車の赤いミラをゆっくり走らせた。ときどき後ろの車にもっとスピードを上げろ、とせっつかれた。この地域の国道二四七号線は、片側一車線で追い越し禁止なので、後ろに車が接近してきたら、美奈はスピードを上げた。内海、山海など、美奈も行ったことがある海水浴場の近くを通過した。
「私、小学五年生のとき、内海の海水浴場で、タトゥーをした人たちを見て、自分もいれずみで身体をきれいに飾りたい、と思うようになったんです。そのことは前にも話しましたけど。だから、ある意味、ここは私の原点、といえるかもしれません。今の仕事に就いたきっかけも、背中に観音様を入れるための、資金稼ぎのつもりでしたから。彫るお金が貯まったら、仕事を辞めるつもりでしたが、お店にすてきな仲間ができたので、ずっと続けているのです」
 美奈は安藤に懐かしい思い出を語った。
「僕としては、店の仲間より、僕のために店を辞めてもらいたいな。もちろん、今すぐに、とは言わないけど。君にもいろいろ事情があるだろうから」
 内海の市街地を走るときは、国道二四七号線は、少し海岸線から離れていて、直接運命の出会いの場ともいえる海水浴場は見えなかった。肌に絵を描いてみたい、という願望は、それ以前から抱いてはいたが、はっきり自分の身体にいれずみを刻もう、と決意したのは、内海海水浴場で、四人の男女の身体を彩った、アメリカンタトゥーといわれる、日本伝統の彫り物とは違う、ライトでファッショナブルな絵を見たときだった。
 冬の太陽は西に傾きかけ、海辺のきらめきにもかげりが見えてきた。先ほど野間の海で見られたような太陽の明るいエネルギーは、ずいぶん衰退した。やはり冬の海は、物寂しい。
 途中、駐車できるスペースを見つけ、車を停めて海を眺めていたので、師崎港まで一五キロの道のりに、四〇分ほどかかった。海の見晴らしがよく、快適なドライブだった。山好きな美奈だが、海もいいなと思った。
 師崎港の駐車場に車を駐(と)め、高速船で篠島に向かう。所要時間は一〇分ほどだ。篠島に向かう便は三〇分に一便ほどだった。ちょうど前の便が出たばかりなので、時間待ちの間、二人で羽豆岬(はずみさき)を歩いてみた。陽はずいぶん西に傾いた。篠島に着くころには、海の向こうの山並みに沈む夕日が見られそうだった。
 三河湾を隔てた対岸の渥美半島、伊良湖岬が、これから行く篠島を挟んで、間近に見える。篠島の港の向こう側に、渥美火力発電所の高い煙突があった。三河湾よりずっと広い伊勢湾は、湾口に近いため、対岸までの距離が長く、三重県の山並みは霞んで見えた。
 美奈はカメラのシャッターを何枚も切った。
 羽豆岬付近は小高い山になっており、羽豆神社を経由して、山の上に展望台がある。しかし展望台まで行っては、次の船に乗り遅れそうだった。二人は途中で切り上げ、フェリー乗り場に戻った。美奈はまた別の機会に、仲間のみんなと訪れたいと思った。
 高速船が着岸したので、二人は船に乗り込んだ。船の中にはお遍路さんの格好をした三人のおばさんがいた。もっとも、寒い時季なので、三人とも白装束の上に、上着を羽織っていた。
 美奈は知多半島には、弘法大師ゆかりの知多四国霊場があることを思い出した。さっき寄った野間大坊も知多四国霊場の札所だった。篠島にも番外を含めて、三つの札所がある。この人たちは、今日一日、知多半島の霊場をいくつも巡り、今夜は篠島の宿に泊まって、明日篠島や日間賀島(ひまかじま)の霊場を訪ねるのだろう。
 美奈もいつかは知多や本場四国の霊場巡りをしてみたいと思った。やはりお寺に生まれ育ったためか、宗派を超えて、お遍路さんをしてみたい、という希望はあった。すてきな男性と一緒に巡礼できれば、最高だ。でも、全身にいれずみが入っている私に、そんな素晴らしい男性(ひと)が現れるのだろうか。今美奈の隣にいる安藤が千尋殺しに無関係で、これからずっと一緒に幸せに生きていけたら、どんなにいいだろうか。美奈は安藤が無実であることを一心に祈った。
 しかし、美奈の脳裏に真っ先に浮かんだ男性像は、結ばれることがまず不可能だと思われる、刑事の三浦だった。まだ二度、それも事件関係でちょっと話をしただけだというのに、なぜ三浦のことがこんなに気にかかるのだろうか。
 先日、ルミが「無理無理、全身いれずみの泡姫とデカさんでは、絶対結ばれっこない」と言っていたが、まさにその通りだと思った。やはり安藤が無実であるなら、最も美奈にふさわしい相手だろう。
 船が動き出した。海は穏やかで、船の揺れは少なかった。
 幼いころ、熱海から初島に渡ったとき、船の上から海を見ていたら、ひどく酔ってしまった記憶がある。それで、美奈は船がすっかり苦手になってしまった。
 高校の修学旅行で四国に行ったときは、本州四国連絡橋を使い、船には乗らなかった。美奈はもうずいぶん長い間、船に乗っていない。わずか一〇分ほどの船旅なのに、幼いころの苦い記憶がよみがえってきた。
 しかしまったく船酔いをする間もなく船は篠島に着いた。