売れない作家 高村裕樹の部屋

まだ駆け出しの作家ですが、作品の情報や、内容に関連する写真(作品の舞台)など、掲載していきたいと思います

寒くなりました

2012-10-23 18:55:37 | 小説
 今日は一日雨で、寒かったです。明日の朝はさらに寒さが厳しくなり、11月中旬ぐらいの気温になるそうです。寒くなったためか、風邪を引いたようで、明け方はひどく咳き込みました。

 今月の上旬は、まだ暑いといっていたのですが。

 今回は『幻影』第25章を掲載します。これから物語は大きく動き出します。



           25

 三浦と鳥居は名駅署に二年前の足立商事の横領、背任事件のことを問い合わせた。田中真佐美が名駅署に告訴したと言っていたので、その内容を確認してみることにした。
 すると、五千万円ではなく、一億円の横領として届け出られていた。容疑者として橋本千尋の名前があがっていた。
 田中真佐美は詳しくは事情を知らされていなかったとしても、部長の五藤が知らないはずはない。部長は二人の刑事に隠していたのだ。なぜか。隠したところで、調べればすぐわかることだ。そのことは当たってみる価値があるかもしれない。

 篠島からの帰り、美奈は安藤を家まで送ると申し出たが、安藤は「わざわざ遠回りさせてはわるいので、ここでいい」と、氷室の交差点で車を降りてしまった。確かに美奈はオアシスに出勤しなければならず、あまり時間に余裕はなかった。それでも聞いている住所は、それほど遠回りになるものではないと思うのだが、安藤はここでいいですよ、と譲らなかった。
 昨日も安藤の家に迎えに行く、と言ったのに、美奈にとっては、そのほうが便利だろうと、安藤の家から離れた星崎のレストランで待ち合わせたのだった。
 確かにそのレストランは、春日井市の美奈の家から、名古屋を縦断して、名四国道から知多半島道路に入るには便利な場所ではあった。
 美奈はもう何度も安藤とオアシス以外で会っているのに、一度も彼の家に招いてもらったことがなかった。
 散らかっているから気が引ける、などの理由をつけて、家に呼んでくれないのだった。美奈が「私が一緒に掃除してあげるから、遠慮しないで」と申し出ても、はぐらかされてしまう。
 一度でいいから、好きな人が生活している部屋を見たい、と希望すると、結婚したらきれいなマンションにでも住もう、と言って、応じてくれなかった。
 安藤は美奈の高蔵寺の団地には泊まっていったことがある。しかし、そのとき安藤は何となく人目を避けようとしているようだった。別に不倫をしているわけではないのだから、堂々とすればいいのに、と美奈は少し不満に思った。いれずみ女の恋人という世間体を気にしているのだろうか。
 美奈はオアシスで仲間の三人に会ったが、旅行のことは言いそびれてしまった。いつもなら気軽に報告するのに、今回は水くさいかな、とも思いながらも、言いづらかった。やはり一千万円のことが気にかかっていた。
 仕事を終え、いつものファミレスで四人で少し話をしてから高蔵寺の自宅に戻ると、一気に疲れが出た。
 ベッドに入ると、すぐに寝入ってしまった。
 明け方、美奈は夢を見た。眠りが浅くなり、うとうとまどろんでいるときだった。夢に千尋が現れた。夢の中で、千尋は「彼にお金を渡してはいけません。彼は結婚詐欺師です」と美奈に警告した。
 目が覚めたとき、美奈はその夢をはっきりと覚えていた。これまで千尋は、声だけが心の中に響いた自動車事故から救ってくれたとき以外は、幽霊として現れた。しかし、今回は夢の中に現れた。
 今まで幽霊として出現したときは、遺体が見つかって、刑事に千尋のことを話したときにただ一度、「ありがとう」とお礼を言ったが、それ以外は無言だった。
 今回は夢の中で、はっきりと「彼にお金を渡してはいけません。彼は結婚詐欺師です」と言った。
 あれはただの夢だったのか、それとも、千尋からの警告なのだろうか。
 幽霊として現れるときは、言葉として意志を伝えることができないので、夢の中で言葉を使って私に警告したのだろうか?
 夢としては、非常にはっきりとしていた。一般に夢には、あいまいで非現実的な場面が多いのだが、さっきの夢は、夢と思われないほどリアリティがあった。
 やはり、安藤は結婚詐欺師で、美奈から一千万円をだまし取ろうとしているのだろうか。
 でも、なぜ千尋ははっきり教えてくれないのだろうか。千尋はいつもあいまいだ。夢の中では、はっきり渡してはいけない、と警告してくれた。しかし、その夢自体が、千尋からの通信なのか、単なる夢なのかがはっきりしない。
 ひょっとしたら、殺されるという無惨な死に方をして、この世に未練や恨みを残している千尋の霊は、まだ十分浄化されていないので、自分の意志をはっきり示せるだけの力がないのだろうか、と美奈は考えた。
 地獄界の境界に陥った未浄化な霊は、苦しみばかりの存在で、その地獄の苦しさから逃れることのみしか考えることができない、というようなことを何かの本で読んだことがある。千尋の霊も、苦痛に打ち拉がれて、なかなか美奈に思うように言いたいことを伝えられない状態なのかもしれない。
 千尋が地獄に堕ちている、とは考えたくないが、誰かに殺され、無念のうちに息絶えたのなら、この世に恨みを残し、霊界で苦しんでいることは大いに考えられる。
 美奈の実家の寺には、苦しんでいる不成仏霊を救済できる方法があるとは思えない。かつて父親に咎められた、根本仏教を掲げる教団なら、千尋の霊を救済できるかもしれない。実家の宗派を裏切るような気がして、なかなかその教団を訪れることができないが、一度行って話だけでも聞いてみようかとも思った。
 もし今の千尋さんに、十分に自分の意志を伝えることができるだけの力がないのならば、私のほうで千尋さんの意図するところを、よく汲み取るようにしてあげなければならない、と美奈は考えた。
 千尋は安藤のことを殺人者とは断言していないが、結婚詐欺師であり、お金を渡してはいけない、と言った。結婚しよう、というのも、美奈からお金を巻き上げるための出任せなのだろうか。
 美奈は今日にでも定期預金を解約しようと考えていたが、お金を渡すのは、少し待ったほうがよさそうだ。
 美奈は三時間ほどしか眠っていなかったにもかかわらず、目が冴えて、もう眠ろうとは思わなかった。
 寒い中、ベッドから降りて上着を羽織り、熱いコーヒーを淹れた。
 出勤前に、篠木署の捜査本部に行ってみようか、と考えた。三浦のさわやかな笑顔が頭の中をよぎった。美奈は心がときめいた。
 三浦はどんな些細なことでもけっこうだと言った。千尋が以前交際していた男だと言って、安藤の写真を提供してみようか。安藤が結婚詐欺師なら、名前も、聞いている住所も偽りかもしれない。今まで一度も家に招いてくれないということは、住所はでたらめである可能性が高い。それでも警察なら、じきに探し出すだろう。
 しかし、三浦に安藤のことを話すのは、まだ時期尚早かとも思った。
 おそらく千尋が言うように、たぶん安藤は結婚詐欺師なのだろう。千尋は安藤に騙されたのだと思われる。その結果、安藤に殺された? でも、安藤が殺した、という指摘はなかった。安藤は結婚詐欺で千尋からお金を巻き上げたが、殺してはいない。そう考えるべきなのかもしれない。
 三浦は遺体が千尋のものとの確認がとれた、と連絡してきたとき、当時千尋と付き合っていた男を事件の重要参考人として捜している、と話していた。その男がおそらく安藤だろう。
 安藤のことを警察に伝えれば、安藤はきっと厳しい取り調べを受けることになる。三浦はともかく、一緒にいた猪突猛進型の鳥居は、安藤を引っ張ってしまいそうだ。
 今の段階でそこまでするのは、安藤に対して申し訳ない気がした。結婚詐欺師かもしれないとはいえ、つい昨日、仕事を離れて、真心で身体を交えた安藤を売り渡してしまうことは、気が引けた。
 鳥居といえば、昨日、鳥居が卑美子のところに、捜査協力のお礼を言いに来た、とトヨから連絡があった。そして、卑美子と少し思い出話などもしていったとのことだ。卑美子のタトゥーアーティストという仕事についてはあまり感心できないな、と言いながらも、卑美子の夫が立ち直り、真面目に会社勤めをしていることには、素直に喜んでいたという。
 それから、「こんな仕事をしていれば、やくざなんかとトラブルを起こすこともあるだろう。もし何かあれば、相談に乗ったるでな、連絡しろよ」と気遣ってくれた。
 最後に鳥居は「おみゃーももう若くないんだで、はよ子供でも作ってまえ」と卑美子にけしかけていたそうだ。
 それに対し、卑美子が「もうしばらくして、トヨにこのスタジオを任せられるようになったら、ゆっくり休みを取って、赤ちゃんを作ります。来年には産みたいですね」と答えた。トヨのメールには、卑美子が信頼してくれていることが、とてもうれしかった、と書いてあった。
 美奈はあの無愛想な鳥居の顔を思い浮かべ、けっこういい人なのだな、と思い直した。
 昨夜、四人でファミレスで話したとき、そのことを伝えると、みんな鳥居のことを見直した、と感心していた。
 以前「今度会ったら、ぶっ飛ばしてやりたい」と憤懣をぶちまけていたルミも、「あの名古屋弁のデカさん、顔に似合わず、なかなかいいところもあるんだね」と評価を改めた。

 次の公休日の月曜日に、安藤から電話があった。今夜会えないか、ということだった。安藤は待ち合わせのホテルのレストランを指定した。
 美奈は指定された時刻ぴったりにレストランに入った。安藤はもう来ていた。
 二人で食事をする間、安藤はお金のことを話さなかった。美奈もそれについてはあえて触れなかった。主に篠島旅行の思い出話をした。食事をしながら、美奈は軽くワインを飲んだ。安藤はけっこうビールを飲んでいた。美奈はこれから過ごす時間のことを考えると、少しお酒を控えてほしいと思った。
 食事後、安藤は部屋を取ってあるので、そちらへ行こう、と誘った。
 部屋に入り、「シャワーを浴びてきたら?」と安藤が促した。
 美奈はその前に、話をつけたいことがあった。
「この前のお金のことですが」と美奈は切り出した。
「そのことですが、なるべく早くお願いします。もう毎日取り立てがうるさくて。本当は今すぐにでもほしいぐらいなんです。今日用意してくれているのかと思っていましたが」
 安藤は会ったとき、美奈のバッグが小さいので、現金を持ってきていないのだと思い、失望した。
「お金を貸すこと、しばらく待っていただけませんか?」
「え、なぜですか? この前、すぐにでも貸してくれる、と言ってくれたじゃないですか」
「ごめんなさい。でも、貸すのは待ったほうがいい、と言う人がいまして」
 美奈はいきなりそんなことを言わないほうがいいのではないかとも考えた。けれども、千尋を殺害したのは安藤なのかどうかを知りたかったので、あえてこう切り出した。安藤と千尋が関係があったことは、間違いない。でも、安藤は千尋を殺していないと信じたかった。
「そりゃあ一千万もの大金を貸す、といえば、誰だって待て、と言うと思います。でも、僕のこと、誰かに話したんですか? ひどいじゃないですか。僕は美奈さんと結婚するつもりでいるのに、そんな僕が信じられないのですか?」
 安藤は美奈をなじった。
「いえ、私は誰にも言いません。でも、知ってた人がいるんです」
「何を馬鹿なことを。美奈さんが話してないのに、なぜ知ってた人がいるのですか?」
「千尋さんです。橋本千尋さん」
 とうとう美奈は千尋の名前を安藤に告げてしまった。
「橋本千尋……。なぜ君が彼女のことを……。それに、千尋は死んだはず」
「千尋さんが死んでいることをなぜ知っているのですか? 確かに新聞には外之原峠の遺体は千尋さんと、小さく報道されていましたが、よほど興味がなければ、見逃してしまうような小さな記事でした。それとも、事件に関心があったんですか?」
 報道は小さいとはいえ、美奈が購読している新聞には、千尋の写真が出ていた。だから千尋のことを知っている人なら、記事に気づいた可能性は十分あるのだが、安藤の反応を見るため、美奈はあえてこういう表現をして誘導した。
「死体発見のニュースがあったとき、君が住んでるところの近くだと思い、興味を持ったんだよ。まさか、君は、僕が千尋を殺したと思っているんじゃないのか?」
「そうは思いたくないです。でも、刑事さんは今、千尋さんの相手の男を重要参考人として捜していると言ってました。きっと安藤さんのことを捜し出すと思います」
「俺は千尋を殺してはいない!」
 僕が俺に変わった。
「殺してはいなくても、千尋さんからお金を欺し取ったんですか? 結婚詐欺で」
美奈は厳しい口調で安藤に責め寄った。
「君はそのことを刑事にしゃべるつもりか?」
「言いたくはありません。でも、千尋さんの無念を思うと、罪は償ってほしいんです。そうすればあなたのこと、また考え直してみます」
「何が罪を償えだ、偉そうに。薄汚いソープ嬢の売春女のくせして、罪を償えだと!?」
 安藤は美奈をベッドの上に押し倒し、首を絞めた。アルコールのせいで、理性の歯止めがかからない状態にあった。金を詐取できなかったことが、怒りを倍加させていた。
 体重を乗せ、力を込めてぐいぐい美奈の首を絞め付けた。美奈は意識を失いかけた。いくらもがいても、男の力にはまったく歯が立たなかった。助けて、と大声をあげようにも、喉を絞められ、声が出なかった。美奈は華奢な外見のわりには、よく山歩きをしているので、体力は弱くはなかった。特に足腰など下半身は鍛えられていた。それでも男の腕力にはかなわない。
 美奈の顔は苦痛と恐怖に歪んだ。もうだめだ、殺される、と一瞬覚悟したが、すぐに意識が遠のいていった。失禁していることにも気づかなかった。
 そのとき、安藤は急に怯えたような悲鳴をあげ、美奈の首から手を離した。
「うわー、来るな、やめてくれー」
 叫びながら後ずさりした安藤は、なにかに躓いたのか、後ろに倒れ、後頭部を壁に強く打ち付けて失神した。
 わずかな時間、意識を失っていた美奈は、すぐに気づいて、落としたメガネとバッグを拾い、無我夢中で部屋から逃げ出した。
 ホテルの駐車場に駐めてあった車を発進させて、大急ぎでホテルから遠ざかった。しばらく走って、ようやく気持ちを落ち着けた。そのとき、初めて失禁して下着が濡れていることに気がついた。
「いやだ、私ったら。恥ずかしい。でも、ああいう場合は仕方ないことだわ」
 美奈はこんなことを考える余裕ができてきた。
 少しワインが入っているので、運転には十分注意した。こういうときに警察に捕まったら、酒気帯び運転で検挙されてしまう。それより、事故が怖かった。美奈はあまりアルコールに強くなく、自分では大丈夫のつもりでも、判断力や反射神経が鈍っている可能性もある。まさかこんなことになるとは思わなかった。一晩ホテルで過ごし、明日の朝帰るつもりだったので、多少酒が入るかもしれないと思いながら、車で行ったのだった。
 しかし、問題はそんなことではなかった。やはり安藤は千尋を殺したのだろうか。美奈自身も危うく殺されるところだった。
 安藤自身は、殺してはいないと言っていた。だが、現に美奈は逆上した安藤に殺されかけた。あれが安藤の本性なのだ。そんな安藤を愛してしまった自分の未熟さを美奈は恥じた。
 それにしても、安藤はなぜ美奈の首を絞め上げていた手を離したのだろうか。逆上して美奈の首を絞めてしまったが、途中で正気に返り、手を緩めたのだろうか。
 美奈はほとんど意識を失っていたので、その辺のことがわからなかった。ただ、気づいたら安藤が倒れていたので、あわててメガネとバッグを拾って、部屋から逃れたのだった。
 無事自宅に着いた。まずはシャワーを浴びて、着替えをしたかった。車のシートに敷いてあった座布団も汚してしまった。その座布団も部屋に持ち帰った。明日、車の中に臭いが残らないよう、きれいに掃除しておかなければ、と思った。
 部屋の施錠をし、チェーンロックも掛けた。窓の施錠もすべて確認した。ひょっとして安藤がやって来るかと思うと、恐ろしかった。
 汚れた服を脱ぎ、シャワーを浴びた。そしてボディシャンプーで身体を洗った。
 着替えをしてさっぱりして、ベッドの上に横になった。
 うとうとしかかったとき、千尋が現れた。
「美奈さん、危なかったですね。無茶はしないでください」と言って千尋は消えた。
 そうか。千尋さんが助けてくれたんだ。安藤の前に千尋さんが現れ、驚いて首を絞める手を緩めたんだ。
 これで千尋に助けられたのは二度目になる。
 実際、美奈を助けたのは千尋だった。首を絞められ、気を失った美奈の顔が、安藤には恨めしげに安藤を睨んでいる千尋の顔に見えたのだ。それで安藤は恐怖に駆られて、美奈の首から手を離した。後ずさった安藤の足がもつれて転倒し、後頭部を壁に打ち付けて失神したのだった。
「千尋さん、本当にありがとう」
 美奈は心をこめて千尋にお礼を言った。

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