ビール飲みオヤジの日々雑感

ビール飲みオヤジが日々感じる雑感を徒然なるままに。

横綱 大鵬

2013年01月20日 | 時事
巨人、大鵬、玉子焼きの時代に、神田神保町の美津農本店で作った近鉄の帽子を被り、人間起重機と言われた明武谷を応援し、目玉焼きが大好きだった小学生のオヤジは典型的なアンチ天邪鬼でした。
本当に強かったのか周りがていたらくだったのか、いずれにしても巨人も大鵬も安定感を感じるくらいの強さでした。

脳梗塞に倒れなければ、理事長も張っていたでしょうし、角界はまた違った発展を遂げていたかもしえません。
歴史にもしも・・・はありませんが、天邪鬼オヤジにとっても実はヒーローでした。

あの頃は横綱も強かったけど、大関には琴桜、清国、豊山、大麒麟なんていたし、関脇には長谷川がいたし、それぞれ味があって強かったです。
昭和の大横綱のご冥福をお祈りします。合掌。

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<大鵬急死 2日前もテレビ観戦>
日刊スポーツ http://www.nikkansports.com/ 2013年1月20日

 昭和の大横綱が逝った。大相撲史上最多32回の優勝を誇る元横綱大鵬の納谷幸喜(なや・こうき)氏(日刊スポーツ評論家)が19日午後3時15分、心室頻拍のため東京・新宿区の慶応病院で死去した。72歳だった。1956年(昭31)に初土俵を踏み、61年秋場所の優勝で第48代横綱に昇進。ライバル柏戸とともに「柏鵬時代」を築き、71年5月に引退するまで、歴代最多32回の優勝を重ねた。史上初の一代年寄として後進の指導に当たり、14人の関取を育てた。通夜・告別式の日程は未定。

 初場所7日目、誰より多く、賜杯を抱いた大横綱が死去した。午後3時15分、芳子夫人や大嶽親方(元十両大竜)らにみとられながら、息を引き取った。午後3時15分。病院から約6キロ離れた国技館では、十両取組の真っ最中だった。

 納谷氏は2日前、体調が急変。東京・江東区の自宅での定期検診中、呼吸困難に陥り、慶応病院に入院した。一時は持ち直し、ベッドの上で5日目の取組をテレビで観戦した。19日の朝も朝食を取ったが、異変が起きた。前日は丸一日付き添った芳子夫人に電話し「久しぶりだな」と言い、世話人の友鵬には本場所中にもかかわらず「何で来ないんだ?」と話した。その後、容体が悪化し、帰らぬ人となった。

 2日前の午前9時ごろ、横綱白鵬から見舞いを受けた。自宅に呼び入れ、こう言った。「頑張れよ。稽古しろよ。稽古しかないんだぞ」。ベッドの上から言葉を振り絞ると、白鵬は静かに聞いていたという。これが、現役力士にかけた最後の言葉になった。

 「巨人、大鵬、卵焼き」。63年ごろ、子供たちの好きなものとして流行語になったが、好まなかった。23歳当時、若き横綱として前年名古屋場所から6場所連続優勝を達成。生前「オレは1人でやっている。巨人は、お金でいい選手を集めている。一緒にしてほしくない」と話したこともあった。

 天才に見られることを嫌った。21歳で横綱に昇進。「努力したなんて、誰も言ってくれない。人一倍、10倍くらいはやってきたと思います」。ウクライナ人の父と日本人の母の間に、サハリン(旧樺太)で生まれた。北海道に引き揚げる時、4隻中3隻の船が沈んだ。中学卒業後、働きながら定時制高に通い、巡業中の二所ノ関一行にスカウトされた。

 16歳で入門してからは毎日、テッポウ2000回、四股500~600回を必ずやった。美男子として女性人気も高まり、60年代の相撲界を引っ張った。優勝32回、6連覇2回、全勝優勝8回、45連勝-。巡業では大関陣をつかまえて、研究を重ねた。恵まれた素質に加え、努力の末に数々の大記録を打ち立てた。

 引退後は、初の一代年寄「大鵬」を襲名。巨砲ら14人の関取を育てた。36歳だった77年に脳梗塞で倒れ、左腕などにまひが残った。日本相撲協会の理事などを歴任し、05年5月の定年退職。相撲博物館館長を務めたが、08年11月に体調問題で退任した。その後は、入退院を繰り返していた。

 娘が3人、孫は9人。中でも、三女美絵子さんと元関脇貴闘力の鎌苅忠茂氏(現在は離婚)との間に生まれた4男のうち、次男幸林(たかもり)くん(15)、三男幸之助くん(12)は埼玉栄中相撲部に在籍。将来は角界に入門し、土俵での勇姿を見ることが夢だった。大嶽部屋を11年10月に新装したのも、将来を見据えてのことだった。

 近年、角界の不祥事が起きる度、頭を痛めつつも「みんなで力を合わせて、相撲を盛り上げてほしい」と現場にエールを送り続けた。遺体はこの日午後7時前、病院から大嶽部屋へ移された。霊きゅう車から部屋へは、北の湖理事長(元横綱)、部屋の力士、孫2人らの手で稽古場の上がり座敷に運ばれた。満員札止めとなったこの日、角界の将来を後進に託して、天国へ旅立った。【佐々木一郎】

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