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糸田十八文庫

キリシタン忍者、糸田十八(いとだじっぱち)が、仲間に残す、電子巻物の保管場所。キリスト教・クリスチャン・ブログ

賛美チームにおけるキーボード

2008-09-24 05:47:10 | 奉樂(賛美)の覚書
ポリフォニック・シンセサイザーが普及して、教会の賛美においても、ピアノやオルガンの他にシンセサイザーもしくはキーボードと呼ばれるものがよく使われるようになってきました。今では、バンドでキーボードを弾きたいと考えて、すぐシンセサイザーやキーボードから取り組み、楽譜やCDなどでその効果的な弾き方を学んでいく人が多くなってきました。しかし、クラッシック・ピアノしか習ったことのない人が、機会を得て賛美チームに入った場合、中にはうまく合わせていけない人がいらっしゃるようです。賛美チームでキーボードを担当しているけれども、どうもよくわからない、周囲の反応が良くないという場合は、次のことを参考にしたいただければと思います。

賛美チームにおけるキーボードの第一の役割は、賛美チームのサウンドを包み込み、豊かにし、一体感を持たせることです。クラシック・ピアノのバックグラウンドの有る人の中には、何か流麗な装飾音を入れなければならないという観念が有るようで、一生懸命色々なカウンターメロディーを弾いている人が居ますが、それは、取り越し苦労とか、余計な脅迫観念と言えると思います。最初から最後まで、白玉でコードを押さえているだけで、基本的な役割は十分果たすことができます。このような場合は、ストリングス、木管、コワイア系の、柔らかくて暖かい音色を中心に選ぶのが一般的です。

第二の役割は、賛美の流れを整え、会衆の賛美の流れをサポートすることです。賛美の表現は、歌を通してなされますから、人間の呼吸と深く結びついています。殆どの賛美歌やプレイズ・ソングは、ニ小節目や四小節目などに、二分音符や全音符などの伸ばす音が配置されます。そこで言葉の意味に一区切りが着き、息継ぎをして次のメロディーに移るのです。そして、この二分音符などの場所から次の小節への橋渡しのサポートを担当する主な楽器がキーボードなのです。
 次の小節の歌い出しの音は、前の二分音符などと違う音である場合が殆どです。キーボードが、その歌い出しの音の直近の音(直ぐ上か下の音)で終わるようなメロディーを、その二分音符などの位置で弾くと、次の小節の歌い出しがスムーズになります。聴く方にも滑らかで、歌う人にも助けになります。また、二分音符などの部分のコードと次の歌い出しのコードの間に、コードの一度、三度、五度の構成音のいずれかをなぞると、スケールの上向、下向のメロディーになるような、橋渡しのコードやメロディーを入れるという方法もあります。コードを入れる場合は、先に打ち合わせをしておいた方がいい場合もありますので、いろいろ試しながら、感覚をつかんでください。
 
 第三の役割は、賛美の曲の持っている雰囲気をサポートすることです。キーボードのサウンド・バンクは、大まかに分類すると、鍵盤楽器、弦、木管、金管、合成音、打楽器という感じになっています。すると、殆どがクラシック音楽でも使っているような音が高い割合を占めています。ですから、交響曲などをよく聞いている人は、どの音がどんな雰囲気の時に多用されているかがすぐ判ると思います。
 弦・ストリングスは、荘厳さ、繊細な心の有様などを演出できます。管楽器は、陽気さ、力強さ、リズム、アクセントを演出できます。木管は素朴さ、陽気さ、暖かさなどを演出することができます。賛美の歌詞とメロディーに現れる雰囲気をよく確認して、何度か音色を試していくと、普段から使いたい音が絞られていくと思います。

キーボードは、曲毎のテーマの持つ感情的雰囲気をサポートする楽器という面が有ります。賛美のテーマとそれに伴う感情を自分のものとして共有しながら、またそれが何をか探り、自覚しながら弾くことが、更なる賛美の表現となり、更なる霊的な深い神との交わりにつながり、また、会衆を導くサポートができるのだということを意識していただければ幸いです。

賛美チームには、別にピアニストが居るという前提で書いたということを、お断わりしておきます。




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賛美チームにおけるベース

2008-09-19 06:01:25 | 奉樂(賛美)の覚書
多くの場合は、エレキベースが用いられると思います。エレキベースという前提でお話させていただきます。

ギターのポジションが空いてなかったので、仕方なくベースを弾くことにした人もいらっしゃるかもしれませんが、ベースほど自分の感情をストレートに表現させてくれる楽器は無いのではないかと、個人的には思います。あなたの賛美と祈りの思いを、ベースの太い弦と音にぐっと込めて、指先に賛美の念を込めて、深い賛美の心の中で弾いて頂きたいと思います。

賛美の中におけるベースの役割は、私達の賛美の根底を支える、揺るがない信仰を現わすことであると思います。パッヘルベルのカノンという作品は、大変有名で、いろいろな人が編曲したりして用いていますが、バロックの作品集のCDなどでその演奏を聴くと、ベースのパートの演奏が最後まで変わらないことに気付かれると思います。カノンというものも、本来は神へ捧げものとして演奏され、ベースの役割は、変わらない信仰を現わすことであったと教えてくださった方がいます。私個人は、そんな文献は見たことが有りませんが、そういうベースの理解は、賛美チームにおいてはとても力になると思います。いつも、「イエスはキリストです。イエスは主です。」という、賛美の根底に有る信仰告白を、言葉ではなく、演奏で捧げているのだという理解が、ベーシストと賛美チームには力になると思います。

ベースはドラムと共に、リズムを担っている部分も有ります。お互いに意識しあって、バスドラムのパターンとベースのパターンを合わせることによって、力強い賛美の調和が出てくることが有ります。また、リズミックに弾くためには、ミュートが大事です。弾いた一音を、どのポイントでミュートして切るかということに注意して、歯切れの良さと安定感を出すことができます。きれいなミュートのためには、左手(右利きの場合)の押弦をアップビートの位置で指を弦に着けたまま解く感じにすると良いと思います。また、もう少し歯切れの良さを演出したい時は、弦をはじく右手の指で軽く叩くように弦に乗せてミュートすると、その軽い打撃音が、ドラムのスネアと一緒になって、良いノリを出す場合があります。

ゆっくり目なテンポの賛美で、思いを込めた弾き方、表現をするのには、スライド(もしくはグリッサンド)で弾くということが効果的な時が有ります。次の音を単純のオンタイムで弾くのではなく、下の方、もしくは上の方の音からその音を目指して指をフレットの上で滑らせて行きます。音が継続して変化して行きますので、継続的な期待とか同意の気持ちを表すことができます。また、ギターのトリルのような感覚で、スライドを用いて隣の音に移動してから素早く元の音に戻る奏法は、躍動感を持たせながら、一つのポイントに留まろうとする気持ちを表すことができます。

ノイズや弾き辛さ、音程の不安定の要因になりますから、ネックの調整はこまめにすると良いと思います。音量、音質は、会衆の好みなどでも変わりますから、自分の好きな設定をした後、第三者に確認してもらうぐらいの心の余裕が有る方が良いと思います。弦のワウンドのタイプによっても、出る音のキャラクターが変わりますから、適当に購入するのではなく、自分の居る環境で、一番賛美の表現に向いていると思える弦を探すということも必要ではないかと思います。

ドラムの時にも書きましたが、ベースを弾かない他のメンバーも、ベースの心を知って、共に賛美の演奏をすることに意義が有ると思います。





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賛美チームにおけるドラムス

2008-09-18 16:19:35 | 奉樂(賛美)の覚書
かっこいいし、音程のミスということが起こらない楽器だから、賛美チームのドラムの奉仕がしたい。そんな感覚で捉えては、賛美におけるドラムの素晴らしさは味わえません。

十八(私のことです)は、ドラムの役割は、第一に「アーメン」「ハレルヤ!」を表現することに有ると思っています。ドラムが刻むパターンは、殆どがバスドラムとスネアのアクセントが組み込まれています。その各一組に「アーメン」という気持ちを込めて叩くのです。また、ハイハットの刻みも、一本調子ではなく、強起弱起を意識して、強さを叩きわけると、日本語で「そうそう」と相槌を打っているような感じになります。そして、曲のアクセントの部分、フィルイン、サビの用いる別なパターンなどは、「ハレルヤ!」という気持ちを込めて叩く場面であることが多いと思います。

第二に、ドラムは押しと引きをサポートする役割が有ります。いわゆるAメロにおいては、静かな告白をするパターンになっている賛美も多いはずです。そこでは、力をセーブして、「うんうん、そうだそうだ」と相槌を打つような、優しいドラミングが合うことが多いはずです。また、そういう時は、スネアのアクセントを、パターンの後ろ寄りに配置すると、落ち着いてどっしりした告白の雰囲気を演出できます。例えば、4/4系のリズムでしたら、3にスネアを入れるのではなく、4にスネアを入れるのです。 
 逆にサビに入ったら、他の楽器とのバランスを考えながら、少し強く叩くようにします。また、バンド全体の演奏がこれから気持ちを高めて大きくなるというような時には、ドラムが徐々に盛り上げて、その変化を自然に感じさせることができます。そういう強弱のトランジションを上手にサポートするためのパターンやパーツの使い方に注意すると、賛美の流れがさらにスムーズになります。
 強弱の雰囲気は、スネアの使い方でも変わります。後ろ寄りのアクセントのリムショット→前寄りのアクセントのリムショット→リムよりのスネアヘッドを叩く乾いた音→スネアヘッドのセンターを叩く豊かな音→スネアヘッドとリムを同時に叩く攻撃的?な音、という風に、強さを変えていくことができます。

ドラムは「待つ」姿勢の楽器だと思います。リズムパターンとテンポを保たなければなりませんから、「ここだ!」というポイントを待ってスティックを降ろさなければなりません。そのジャストを狙って待ち構えて出した一つ一つの音とタイミングが、神様への捧げものなのです。勿論それは他の楽器も共通のことなのですが、ドラムは特にそれが感じられる楽器であると思います。
 また、フィルインやおかず、パターンのバラエティーなどは、その賛美のメロディーや歌詞などとも関連して、ここぞという段階で使わなければ、やたらうるさいだけの、未整理の演奏という感じになってしまいます。ゴーストノートを多用する癖の有る人も、ぐっとこらえる方が良い場合が多いと思います。そういう「待ち」の姿勢も時々必要だと思います。
 リズムキープが苦手な人は、気持ちが盛り上がると、フィルインで早くなってしまったりします。なるべく大きいカウントを意識しながら、走らないように気をつけるのですが、「ああ、ちょっと早くなってしまった。」という瞬間が有ります。その時は、次の章節の頭で合わせるために、一瞬「待つ」ことを意識します。特に走ってしまったのが、サビの最後の部分である場合は、落ち着いたAメロに戻ることが多いので、さらに待つ感覚が必要になってきます。ガクッとバンド全体のテンポが落ちたような錯覚を感じることも有りますが、全体に合わせる気持ち、待ちの姿勢で一体感を保ちましょう。

また、ドラムは、他の楽器のアクセントやフィルをサポートして盛り上げる力があります。歌のメロディーが4章節や8章節ごとに白玉になっていたりすると、キーボードかドラムがそこを埋めたり、アクセントのパターンが入ったりことが多いのですが、他の楽器と同じリズムパターンのシンバルでサポートしたりすると、ぐっと雰囲気が出て、一体感も上がることがあります。
 ベースのランをサポートしたりすることもできます。特に、バスドラムが、ベースのパターンをなぞると、ぐっとグルーブというかノリが出てきます。

賛美チームのメンバーで、ドラムをなさらない方々にも、ドラムがこんなに賛美の心に溢れた楽器なのだということを理解していただきたいと思います。





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歌詞のプロジェクト

2008-08-24 03:55:24 | 奉樂(賛美)の覚書
賛美の歌の詞をスクリーンに映して用いることは幅広く行われていると思います。以前はOHPが多く用いられましたが、現在は液晶プロジェクターを用いることが多くなっていると思います。パソコンにつないで、パワー・ポイントやその他の歌詞投影用のソフトでスクリーンに映すわけです。

賛美においては、この歌詞を映すという奉仕がかなり大事な位置を占めていることを、ここではアピールしておきたいと思います。

皆が歌詞を全て暗記しているということは殆ど有りません。ですから、歌詞がスクリーンに映し出されることは大きな助けです。それは、単に歌詞を示す、教えるというようなことではなく、会衆を一致させ、賛美に、神様との霊的な交わりに入っていくことを助けるのです。ですから、この奉仕が適切になされないと、逆に、礼拝の妨げになりかねない場合が有ります。

私が注意すべきだと思っている事柄を列挙いたします。

1.会衆が見やすいスライドを心がけること。
フォントサイズが小さ過ぎる。字体が細いもので見辛い。背景が邪魔になって、歌詞がよく見えない。こういう状況は避けなければならないと思います。

人間の目の反応からすると、青や紺などの背景に、白、オレンジ色などで、サイズが大きめのブロック体の文字が見やすいようです。聖画や風景写真を用いる場合は、特に、フォントサイズ、フォントカラーに注意して、よく歌詞が見えないスライドが無いように気をつけるべきではないでしょうか。

2.スムーズな流れを作り出すタイミングでスライドを切り替えること。
担当者が律儀な方で、その歌詞の部分の最後の瞬間までスライドを切り替えないというようなことが時々有ります。そうすると、次の歌詞の出た瞬間が、その歌詞の歌い始めの瞬間と同じになってしまったりします。すると、歌詞を暗記していない会衆は、一瞬出遅れてしまって、自然に歌えないということがあります。これでは、賛美の気持ちが乱される人も出て来ます。

タイミングとしては、スライドに表示されている最後の文字の部分まで歌われたら、一呼吸ぐらいのうちに、次のスライドに切り替えるのが良いと思います。賛美している会衆は、次の出だしの歌詞がわかっているという安心が有りますし、どのような賛美の気持ち、賛美の流れになるかを理解して、心を込めて歌うことができます。

3.スライド奉仕者は、できれば練習に立ち会う。
賛美チームが必ず練習をするわけではありませんが、練習やリハーサルが有るならば、そこに参加して、心を合わせることが大事であると思います。また、そうすることで、スライドのレイアウトや、切り替えのタイミングなどで、改良すべき所に気が付くかもしれません。

一節、二節、繰り返し三回など、順序を決めるタイプのリーダーも居れば、そういった回数などは、その時の雰囲気に合わせてどんどん変えるタイプのリーダーも居ます。後者のタイプのリーダーの場合は、リハーサルを一緒にしてあると、より雰囲気がつかめると思います。また、スライド奉仕者が予期しないような進行になる時も、すぐ目当てのスライドに行けるような下準備も必要であると思います。

もし、リーダーがハンドサインを用いる人ならば、ついていくのが楽かもしれません。しかし、サインの意味を知らなかったり、見逃したりすると、賛美の流れを妨げる結果になることがあります。賛美、スクリーン、リーダーに満遍なく注意を払う必要があります。


歌詞の奉仕が軽く見られる場面に時々出くわしますが、これはそれなりに細やかな配慮が必要とされる奉仕です。奉仕を依頼する側も、奉仕を引き受ける側も、そういう部分に留意して、会衆が心を込めて賛美できるように、真心を込めて奉仕できることを願っています。





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賛美は楽しい

2008-08-03 03:40:22 | 奉樂(賛美)の覚書
ハレルヤ。
まことに、われらの神にほめ歌を歌うのは良い。
まことに楽しく、賛美は麗しい。
(詩篇百四十七編 新改訳第二版より)


賛美が好きという態度について、音楽が好きという程度の内容ではいけないという態度で、ややもすると否定的に取られるかもしれないことを書きました。しかし、それは、歌、音楽を楽しむという姿勢に対するコメントであって、賛美をよく理解してそれを楽しむことは大事なことです。

神を賛美するということは、神がどういう存在であるかをほめたたえ、自分と神の関係を喜ぶという面が有ります。それをしっかり認識していれば、深い賛美の空気の中に入って行くことができ、神との関係を楽しむことができるのです。

人間は感情が有ります。いろいろな感情がわいてきて、いろいろなことに煩わされたりします。ですから、気分が乗らない時もあるかもしれません。いや、楽しくない!と感じる時もあるかもしれません。その時はこの「まことに、われらの神にほめ歌を歌うのは良い」という一節を思い出してください。そのことを真っ先に記者は挙げています。良いことだから、たとえ感情が伴わなくても、賛美することには意義が有ります。前の記事にも書きましたが、神は賛美されるべき偉大な方だから賛美するのです。この基本線に踏み止まっている時、神は私達は良い方向に導いてくださいます。主は良き方です。




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賛美が好き、ですか?

2008-08-01 15:14:30 | 奉樂(賛美)の覚書
クリスチャンが自己紹介をする時に、「賛美が好きです。」ということを言う人がいます。キリスト教会で賛美と言うと、音楽、歌を通して神をほめ讃えるということが主に思い浮かびます。しかし、「賛美が好き」ということが、個人にとって、突き詰めるとどういう意味なのかは、慎重に考えなければならないと思います。よく聞いて見ると、どうやら教会における音楽や歌が好きという程度の内容のようだと思われる時があります。それでは、賛美の意義が損なわれている場面も出てくるかもしれません。

賛美は、我々の崇める三位一体の主をほめ讃えることです。信仰者であるならば、その主が賛美されるべき偉大な存在であるが故に賛美するのですから、好きとか普通とか言うことはできないのではないでしょうか。むしろ、言ってはならないかもしれません。

私が嫌いな質問が有ります。ある賛美集会の後に、リーダーが「皆さん、恵まれましたか?」と尋ねたのです。恵まれたという評価は、人それぞれであり、その内容も多様です。また、何か波長が合わなくて、「恵まれた」と感じない人もいるかもしれません。そんなことを尋ねることに何の意義が有るのでしょうか。私は言いたいのです。

「百万年賛美して、百万年恵まれなくても、主は賛美されるべき偉大な方であるから賛美するのです。」と。

むしろ、「思いを込めて、心から主を讃えることができましたか?」という質問の方が大事なのではないでしょうか。この機会に、「賛美とは何だろうか。」と自問し、思索を深めていただければと思います。

このカテゴリーでは、音楽による神への賛美に関連したいろいろなことを書いて見たいと思います。





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