goo blog サービス終了のお知らせ 

糸田十八文庫

キリシタン忍者、糸田十八(いとだじっぱち)が、仲間に残す、電子巻物の保管場所。キリスト教・クリスチャン・ブログ

賛美の歌詞のプロジェクションについて 其ノ二

2017-01-09 00:19:44 | 奉樂(賛美)の覚書
以前も同様の内容のことを書きましたが、それに付け加えたいことを思い出しましたので、其ノ二として追加しておきたいと思います。

パワーポイントやそれに準じた賛美専用のプロジェクション・ソフトが有ります。

パワーポイントの背景と文字色の関係をよく確認してスライドを作成する必要が有ります。
明るい背景に文字色も明るいものが選ばれて、読めないということが時々有ります。
私が多用するのは、白に近い背景に黒等の濃い文字色を用いるものと、青や紺の背景にアイボリーや黄色などの文字色を用いるものです。
背景に風景写真などを用いる場合も有りますが、そういう場合でも、文字が読みにくいということがないように配慮する必要が有ります。

背景と色の関係を考慮したつもりでも、自分のモニターと実際のプロジェクションでは見え方の印象が全く異なる場合も有ります。
できるだけ、リハーサルの時間を設けて、事前に確認するようにした方が良いと思います。
最近の経験ですが、背景が白に近くて文字色も明るめという設定のスライドが、私のモニターでは見辛かったので、文字色を濃くしたところ、教会堂ではそれが見辛く、元の設定の方が余程見やすいということがわかり少々驚いたことが有りました。

奉仕者が仕上げてくれたパワーポイントのファイルサイズが妙に大きいので、どうしたのかと思って確認しましたら、実際の画面サイズより大きい画像を背景に採用していたり、画像のファイル形式が大きいものであったりしたことが有りました。コンピューターが古くて動作が怪しくなったり、共有フォルダーの容量が圧迫されるということになったりしますので、リサイズしたり軽いファイル形式に変換したものを奉仕者に送信してやり直してもらったことが有ります。





にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へにほんブログ村

    ↑
よろしかったらクリックにご協力ください。

単里の楽隊で旋律楽器を担当している忍者に送る七つのヒント(英語です)

2016-05-25 21:20:21 | 奉樂(賛美)の覚書
フルート、サックス、バイオリンを例に挙げていますが、どの楽器でもある程度はヒントになろうかと思います。
表題の通り、英語で申し訳ありません。




https://sevennotesofgrace.com/2016/05/25/7-tips-for-those-who-play-melody-instruments-in-a-church-band/





にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へにほんブログ村

    ↑
よろしかったらクリックにご協力ください。

ワーシップバンドに適したドラムヘッドの記事(英語です)

2016-05-10 09:35:10 | 奉樂(賛美)の覚書
 米国のウェブサイトに、表題のような内容の記事が掲載されていました。自分の経験から各ドラムに適したブランドのドラムヘッドを紹介しています。理由とその人のチューニングも紹介されています。英語ですが、参考にされたら良い記事だと思います。
 サイトには他にも奉樂のヒントに関するものが含まれていますので、ご覧いただければ幸いです。

先に掲載したリンクが切れていましたので、文中に新しいリンクを埋め込みました。






にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へにほんブログ村

    ↑
よろしかったらクリックにご協力ください。

ドラムスの椅子

2015-04-13 16:08:27 | 奉樂(賛美)の覚書
 ドラムスの椅子に関わる私の体験から二つお分かちしておきたいと思います。

 何人かのドラムス奉仕者がいたりする場面では、短時間の内に自分に合った高さに調整が必要になる場合が有ります。それがうまく行かないと不本意な奉仕になったりすることが有ります。幾つかのバンドが奉仕するイベントに参加した時のことでした。いざドラムに向かうと、椅子が大変低くセットされていました。調整をしようとするのですが、調整用のネジが大変固く締めてあり、どうしても動きません。そうこうしているうちに他のメンバーのセッティングが終わり、演奏を始めなければいけなくなってしまいました。調整は諦めて慌てて座り、フォーカウントを入れたのですが、あまりに焦って後半の二つが早くなってしまい、しっとりした曲のはずなのに慌ただしい演奏になってしまいました。

 もう一つの体験です。置いてある椅子が古いようで、調整のネジが少しゆるくなっている部分が有ったようです。演奏中に突然椅子が下がって来てしまいました。少しずつ下がり、ついには一番下まで下がってしまいました。自分の意図しなかった所でスネアがリムショットになっていしまったりしましたが、幸い演奏は無事に終えることができました。

 一応の対策として二つのことをお分かちしておきたいと思います。
 調整用のネジが自分の力では動かせない時は、ネジの頭を二本のスティックで挟んで回すと梃子の原理で力が伝わって回せるようになります。これは、ネジを締める時にも用いることができます。自分の力では十分にネジが締められない時は、今度はその方法できちんと締めるということもできます。
 酷使された椅子だと、ネジが摩耗したりしてゆるくなっている場合が有ります。上記の方法で締めても十分に締まらなくなってしまっているものも有るかもしれません。拘りの有るドラマーは、自分の椅子を持ち歩く場合が有りますが、それならば普段からコンディションがわかりますので、買い替えるタイミングも判りますので、突然の不具合で困ることはほとんどなくなると思います。
 






にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へにほんブログ村

    ↑
よろしかったらクリックにご協力ください。

ネイルを利用する

2015-03-17 22:46:16 | 奉樂(賛美)の覚書
 ギターを弾いて賛美する奉仕に携わる人の中には、爪のコンディションを保つのが課題になっている人もいらっしゃると思います。幾つかのケースが有ると思いますが、私の場合は、人差し指の爪が演奏中に弦に触れて削れていくというものです。プロのギタリストでも同じ課題が有って、うっかりそういうことを忘れて弾いてとうとう下の皮質に触れるまで削れて痛い目に有った体験談をギター雑誌で語っているのを読んだことが有ります。

 私の講義所の先輩は、クラッシックギターが上手で、大学の講師になったり、地方のギター演奏者協会を設立したり、ギターアンサンブルグループを結成したりして活躍していましたが、演奏の機会が多いものですから、爪が削れて良い音が出る形状に保つのに苦労していました。

 いずれの場合でも、ネイル、着け爪をうまく利用することが良い解決になる場合が有ります。

 まず、爪をスチール弦に擦り付けるように弾いて、爪が削れてしまう傾向の有る方の対処です。できるだけ目立たない色のネイルを購入して、自分の爪の形状に合わせてハサミで切ったりヤスリで整形したりして使います。私の爪の形は、根本の方が平に近くなるので、ネイルをの先端を丸く整形して根本の方に当て、元来は根本の方になる部分を先端部分の形状に合わせて整えて使っています。爪が削れることを心配しないで、思いきってギターのストロークができるようになり、長時間の練習や賛美集会でも気持ちを入れて弾けるようになりました。ピックケースの中に接着シールのシートと一緒に数枚入れて持ち歩いています。

 次に、クラッシックギターを頻繁に弾く方です。自然な爪の色に近い物、弾く時の感触が自分の爪に近い材質や厚みのものを何種類か試しながら感覚にぴったりなものを選ぶことになります。取り換える頻度は個人差が有ると思いますが、自分の爪よりは長持ちです。爪が伸びるのを待たず、新しいネイルを着けて整形すれば、直ぐに狙っている音で弾くことができます。
 講義所の先輩は、説教中に手でジェスチャーをすると、以前はあまり良い色のネイルが無くて、「あの牧師は変な人じゃないか?」と奇異な目で見られたりすることが有ったが、透明なものが手に入るようになってとても助かったと言っていました。

 既にそういうことをしている方は大勢いらっしゃいますが、考えたことがなかった方は、一度試していただければと思います。






にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へにほんブログ村

    ↑
よろしかったらクリックにご協力ください。

幸せな一瞬でした

2015-02-08 20:21:32 | 奉樂(賛美)の覚書
 私は時々奏楽の奉仕が与えられます。そういう時は奉樂の覚書のカテゴリーで述べて来たようなことを心がけてご奉仕させていただいています。

 ある日曜日、詩編の内容からの賛美に心を合わせて楽器を奏でていましたが、ある一瞬に自分が周囲の物事や音にも心捉われずただ主にだけ思いを向けていることにはっと気づいた時が有りました。一端そんなことに気付いたとなれば、心はその場の流れに引き戻されたことになるわけですが、例え一瞬でも一心に主に向かっていた時間が有ったことに感謝しました。実際にそこまでの状態は経験したことが無かったと思いますし、今後一生の中にこのような瞬間が二度と訪れなかったとしても、その瞬間が与えられた恵を感謝だと思いました。
 私にとって根源なる主に導かれ、私に託されている時間と命の一瞬をその主とのつながりのために用いることができた1秒にも足りないその瞬間が、私には宝のような瞬間でした。奥義書講義所の先輩と新里創設のために気持ちを注いで過ごした2年間を、私は天国の宝箱の中に見出すのだと思っているのですが、それよりも尊い宝を一ついただいたと思いました。しばらく涙と鼻水が止まらなくなりましたが、幸せな一瞬でした。





にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へにほんブログ村

    ↑
よろしかったらクリックにご協力ください。

マイクコントロール

2014-06-07 15:31:13 | 奉樂(賛美)の覚書
マイクのコントロールなり設定の影響が大きいのはやなり礼拝の中であると思いますので、このカテゴリーでお願いいたします。


賛美アシストや奉樂の奉仕でマイクを使う時は、使用する人もセッティングやミキシングをする人もマイクの特性やコントロールの仕方の共通理解が必要であると思います。以前に述べたことも含まれますが、改めてアップしてみます。

ボーカリストとして奉仕している時は、多くの場合ダイナミックマイクを使用していますので、マイクヘッドをしっかり口の正面に向けることを心がけてもらいたいと思います。マイクのカバーは球形にちかいことが多くて全方向に同様な効果を発揮するような気がしますが、カバーを取ってみれば、音を拾う面は真っ直ぐ本体と同じ方向にしか向いていません。ですから、そこにしっかり音が入るようにすることでより良い音質と音量を得ることができるのです。意識的に少し外して使うのは、音量や音質に狙った変化を与えるためです。例えば、自分がメインボーカルでなかったりコーラスを入れたりする時に少し軽めな音質にしてより良いブレンドを目指すような場合です。

メインボーカルの人は、自分の音量が目立って上がってしまうところに気を付けて、自分の口とマイクの距離を調整することで音量の急激な変化が出ないようにする必要が有ります。その場合は、練習などの時にモニターでチェックをしながら、どのような声量の変化にどのようなマイクの距離がうまく対応するかということを確認しておく必要が有ります。注意してマイクの距離を調整したのに、必要以上に離してしまってかえって表現が貧弱になってしまうことも有ります。このような部分は、ミキサーが注意していても調整することはできませんから、ボーカリストが自覚を持って取り組むべき内容です。


マイクの距離に関して、もう一つの特性を理解しておいていただきたいと思います。自宅録音の経験の有る方々は体験的にもご存知だと思いますし、レコーディング本にも書かれている内容です。マイクと音源の距離は、音量だけではなく、音像やエア感、空間感覚も変えます。レコーディングの時には、ある音の定位をどうするかということを考えます。それはステレオ効果において右寄りに定位するか左寄りに定位するかということと、リスナーの近い方・浅い方か、遠い方・奥の方に定位するかということを考えます。それで、後者については、エコーの深さやマイクの距離でコントロールすることになるのです。ヘッドフォンでモニターしますと、マイクを近づけて録った音は目の前で音が出ているような印象の音像になりますし、マイクを離して録った音は距離感の有る部屋の真ん中辺りで音が出ているような印象の音像になります。

このことは、楽器のマイクセッティングや、複数のボーカリストが存在する場合のセッティングで注意するべき要素となります。ミキサーがヘッドフォンでモニターしながら、自然な音像になるように調整します。音量を下げることで音のキャラクターが微妙に変わることも有りますから、いろいろ試しながらやることになります。ボーカルに関しては、個々のボーカリストのマイクと口の距離が極端にバラバラだとブレンド感や統一感に欠けたミックスになります。また、カラオケの時やロックボーカリストのように口にくっつくかと思うような距離でマイクを使うのも礼拝の中では少々生っぽくきつい音像になり、避ける方が良いのではないかと個人的には思っています。こぶし一つ分ぐらいあけて使うのが良いと思います。




にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へにほんブログ村

    ↑
よろしかったらクリックにご協力ください。

オリジナルのエレキギターを作る時に

2014-04-13 01:05:19 | 奉樂(賛美)の覚書
  私もエレキギターを弾いて数年経つと、自分だけのオリジナルな一本が欲しいと思うようになりました。就職してそれなりのボーナスが出るようになって、数本注文する経験をしましたが、振り返って幾つか思うところが有りますので、書いておこうと思います。


1.なるべく多くの形状のギターを弾き比べておくこと
  私の場合は国産のレスポールタイプとストラトタイプしか弾いたことがありませんでした。オリジナルの形状を考えても、それは案外この二つの経験から来る先入観が有りました。後になっていろいろなボディ形状のギターを弾いてみると、こんな形でも自分により合うバランス感やフィット感が有るのかとびっくりすることが有りました。直観的に馬鹿げているとか形が美しくないと思っても、膝に載せてみたりしないと判りません。

2.音のキャラクターを決定する要素や回路についていろいろ聞いておくこと
  バンドの経験が有っても、ギターの理解は表面的であったりする場合も有ります。私は、音のキャラクターを決める要素は、どのような木材を使うか、フレットの素材や形状はどうするか、ピックアップの種類は何にするかぐらいしか考えていませんでした。後になって、コンデンサーの種類で音のキャラクターが大きく変わる場合が有ることを知って、見聞が狭かったと思いました。
  回路についての失敗です。ピエゾピックアップとマグネティックピックアップの両方を載せたギターを作りましたが、ボリュームについてはそれを併せてコントロールするマスターボリューム一つになるようにしました。ところが、マグネティックピックアップのキャラクターが、ピエゾの回路に大きく影響されて、うまく出ない結果になりました。ショップに確認してはいませんが、ピエゾ用の回路の電池がなくなってくると、パッシブであるはずのマグネティックピックアップの方の出力も下がるとミキサーの人に指摘されるようになりました。ボリュームはそれぞれに独立してコントロールできるようにするのが良かったと思います。
  塗装については、いろいろな記事を読んだ結果、できるだけ薄い方がいいというように思いました。塗装を剥がすミュージシャンの記事が比較的多く目についたからです。しかし、後になってディストーション系のエフェクトが自分の好みに合うサウンドキャラクターでかかるのは塗装が厚いギターだということに気付きました。塗装に関する記事を検索していくつも読み込んでみると、やはり、厚く塗装を施したギターの方がディストーションをかけた時音が散らないと述べているものが有りました。これは好みの問題ですが、知らないと、厚い塗装のボディーのギターを薄い塗装でリフィニッシュして、音質が変わって気に入らないというようなことが起きるかもしれません。

○現在の私のエレキギターについての考え
  思いつくままにいろいろ述べてみようと思います。
  先ず、ボディー形状です。ストラップを使って立って弾く時には形状はあまり影響が無いように思います。座って弾く時のバランス感覚や手の位置がしっくりくるかどうかが私には気になります。定番ではストラトの形が良かったと思います。布袋さんやキース・リチャーズが一時期使っていたような、セミアコ風の幅の大きなボディーも良かったかもしれないと思っています。
  ボディー形状でもう一つ考えられるのは厚みです。おおよそ3.5センチのものが多いと思いますが、3センチ、あるいは大胆に2.5センチにすることもできます。賛美集会が盛んな単里(教会)ですと、何時間も弾き続ける場合も出てきますから、薄目にして軽量なギターにするのも一考であると思います。
  ネックの形状は好みの問題ですから、何種類か弾き比べて、これというものを実際に持って行くとか、ショップに有るギターの握りで指定するなどして注文するとあまり感覚的ずれは生じないと思います。
  ネックをボディーにどう接合するかということに関しては、スルーネックやセットネックがより良いサスティーンを得られて良いと考えることが多いと思います。でも、人によっては年齢が上がると握りの好みが変わってくる人がいます。握力が下がると、案外太目のネックの方が助かる場合も有ります。すると、ネックだけ作り直せるので、ボルトで留める方式の方が良いかもしれません。
  一本のギターでいろいろな音色を出したいという願いが有ると思います。アコギのような音も出せると賛美集会では重宝すると思います。すると、ピエゾピックアップも組み込むことになりますが、先に述べた私の反省から、ボリュームは別々に有る方が良いと思います。マグネティックピックアップに関しては、いろいろな種類のものをショップに教えてもらうとか音を聞かせてもらうなどして比べて選ぶと良いと思います。また、ハムバッキングとシングルの切り替えをするバイサウンドシステムは、案外出力が変わるだけで音質的な変化は乏しいことが多いと感じます。出力差をバッキングとリードの切り替えに利用することはできます。大きな音色の変化を目指すならば、複数のコンデンサーを組み込んでスイッチで切り替える方が狙った効果に近くなると思います。
  スイッチの位置や、切り替えの方向はいろいろ考え、演奏の状況を想像して決めると良いでしょう。私は激しいカッティングで予想しない時にスイッチに手が当たって音色が変わってしまうという失敗を何度もしたことが有ります。
  ペグについては、チューニングの安定のために、是非ロック式のものを選ぶことをお勧めします。スパーゼル製等の簡単に弦をロックできる構造になっているものが良いと思います。

  ギター本体とは違う部分にも触れておこうと思います。
  ストラップも大事な要素だと思いますので、少しお金をかけても複数試してみると良いと思います。幅広のものが肩に負担が少ないかもしれません。ロック式ピンのものにすると、演奏中に外れて変な音が出るとか、ギターを落とすということが防げて良いと思います。
  ハードケースを選ぶ場合は、シンプルなものが良いと思います。アルミのフレームがついていたりすると、頑丈そうで見た目もカッコいいのですが、ぶつかると痛かったり、何かの拍子でギターにぶつけて大きな傷を作ることが有ります。私の場合は、ギターをしっかり入れないうちにふたが閉じてしまい、アルミフレームのせいでボディにくっきり一直線の凹み、傷ができてしまいました。
  塗装の色については、奉仕で使用するということを念頭に入れて、なるべく落ち着いた色を選ぶと良いと思います。また、色の持つシンボル的な意味を考慮することも意義が有ります。キリストを象徴する赤や紫、祭司を象徴する青、聖化を象徴する白、ノアの箱舟や救いを象徴する木目の見える仕上げや茶色、牧師ガウンのような謙遜の象徴の黒などということを意識するわけです。







にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へにほんブログ村

    ↑
よろしかったらクリックにご協力ください。

バンドで讃美歌や聖歌を演奏する時

2014-02-02 23:56:16 | 奉樂(賛美)の覚書
 このような場合に私が気になることが有ります。バンドのリズム隊であるドラムとベースの演奏スタイルが合わないと感じることが有るのです。私の友人は、バンドが讃美歌や聖歌の演奏にも加わる取組を始めた時に、合わないという理由で自分は参加しないという意思表示をしていました。それは、先入観や慣れないということからも有ったかもしれませんが、実際に演奏していたバンドの仲間の演奏の仕方が合わないということでもあったかもしれないと思います。彼は現在はそういうバンドの奉仕に戻ってきていますが、よく合う演奏をしていると思います。

 それでは、どのような演奏の仕方が合わないと感じられ、どうすればより合う演奏にすることができるのでしょうか。それぞれの楽器につてい述べてみたいと思います。

 先ずドラムです。あまり経験が無い奉仕者ですと、ロックっぽいビートを刻むことが有ります。しかし、讃美歌や聖歌はもっと大きいビート感で叩く方が雰囲気が出ることが多いと思います。スネアの入る位置を三拍目ではなく四拍目に置いてみるとか、一章節に四つ打ちのパターンを考える等の工夫をする方が良いと思います。
 また、讃美歌や聖歌は9/8 とか 12/8のような拍子の指定になっている場合もありますが、自分の知っている3系のパターンが合わなくて苦労していたりする場合が有ります。どんなパターンが雰囲気を出せるのかを、もっと研究する必要が有るかもしれません。クラシック系や、ジャズ、プログレ系などのドラムの経験者の演奏を参考にしたり教えてもらったりすることも有益であると思います。

 次にベースです。吹奏楽の経験などが有る人でも、読譜ができるという感覚で弾くからでしょうか、手数が多くて邪魔に感じる演奏をする人がいます。讃美歌や聖歌のベースパートをそのまま弾いていたりするからです。それは歌詞をつけて歌うという前提で書かれているので、歌詞を表現できないベースの方にはそういう演奏は必要が無く、音数が多いということは、それだけ余裕のない耳障りな表現になる傾向が有ります。同じ音が続く章節であれば、頭の一音だけ弾いて全音符で伸ばすぐらいの弾き方の方が安定感が有り、賛美の邪魔にならないベースの弾き方になると思います。
 讃美歌や聖歌のベースパートの中には、フックと言いますか、印象的なメロディーラインになっている部分も有ります。そういう場面では、その印象的なラインを弾きたいという気持ちからか、少し力が入ってしまったり、急ぎ足な演奏になったりする場合が有ります。しかし、そういう箇所でも落ち着いて、音数を減らしたラインを工夫した方が合うことが多いと思います。先に述べた友人の最近の奉仕で、彼もそういう取組をしていました。

 ご一考いただければ幸いです。






にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へにほんブログ村

    ↑
よろしかったらクリックにご協力ください。

奥義書の言葉を反芻する

2013-10-11 22:45:01 | 奉樂(賛美)の覚書
 礼拝の心構え一部に関わると思いますので、このカテゴリーでお願いします。

 旧約聖書の聖い動物、食べても良い動物の条件の中には、反芻することが含まれています。どうしてそうなのかをはっきり述べている注解や説明には出会ったことが有りません。聖書神学的にも科学的にも、もしかしたら文化的背景の理解をしても、この説明は難しいのかもしれません。ですから、これから述べる理由づけは、単純に霊想的な範囲でようやく意味を持つことであろうかと思います。古典的な説明としては、家畜が反芻するように、神の言葉を反芻しなければならにのだということを示唆しているのだというものが有ります。私はこういうことをこの箇所の解説として断言するのは避けるべきであると思いますが、その原則は有効であると思います。申命記八章三節には、「それは、人はパンだけで生きるのではなく、主の口から出る一つ一つの言葉によって生きる。」ということが書かれています。ですから、神の言葉を反芻するということには当然意味が有ります。

 さて、私は何度か説教は礼拝の形式であり礼拝の表現であるということを書いてきました。それが聖霊の働きをもって我々に特別啓示である奥義書の言葉を尊ぶことであり、与え主である神への畏敬の念を持って耳を傾けることによって神への賛美礼拝を奉げることになるからです。詩篇一篇には、神の教え、神の言葉を昼も夜も口ずさむという告白が有ります。説教は、特にその週のためその会衆のために神によって備えられた言葉と考えられる部分が有ると思います。ですから、その週の間は、繰り返しその説教のアウトラインとポイントを心の中で繰り返し思い出して告白し続けることに意味が有ると思います。そういうことができるような形で説教のノートを取っておられるでしょうか。是非そういう工夫や取組をなさることをお勧めしたいと思います。

 一方で、そういう説教で語られた御言葉の反芻が難しい場合が有ります。それは、ノートの取り方の問題ではなく、説教が実際にはみ言葉の解説、説き明かしになっていない場合です。これは、ノートを取ってあってもポイントがすっきりまとめられていても、振り返ってみるとどうも読まれた聖書の言葉の説明になっておらず、反芻して日々の個人的礼拝を深めるには向かないということにつながります。これは説教者の方で気を付けるべき点です。

 私自身の取組としては、いつでも語れるぐらい記憶に残っている説教を、電車の中であるとか、一人で静まれる時であるとかの機会に頭の中で繰り返し語るということをすることがあります。それまでに何度もそういう取組をしたことがある説教でも、大事なポイントになるところで、神の真実なご性質に感動して感謝し、賛美することが度々あります。毎週の説教がそういうものになるように、皆様が御言葉を反芻する習慣を身につけられると良いと思います。強く霊の促しや感銘を受けた説教が有れば、大忍と同じように語ることができるぐらい反芻してみることも意味が有ると思います。





にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へにほんブログ村

    ↑
よろしかったらクリックにご協力ください。