知り合いが推薦してくれた教会が有りましたので、先日は研修ということで、そちらの里の礼拝や説教を学びに行きました。説教の覚書からお分かちさせていただきます。
主こそ神であることを、主からの火の応答によって示し、バアルの預言者に勝利した後のエピソードからです。力強い神の働きを見て気持ちが高揚していたであろうエリヤは、王妃イゼベルが彼を殺そうとしているという知らせを受けて、絶望的な気持ちになってしまいました。絶望の時にどうするのか、という説教シリーズの第一回ということで、この聖書箇所を通して語られた四つの要点を紹介します。
導入
先ず、絶望しやすい状況を確認してみます。それは次の四つだそうです。
一、疲れている。仕事などで疲れている。難しい状況で疲労困憊している。
二、一人ぼっちである。孤独である、もしくは孤独感を持っている。
三、否定的な考え方をし、悲観的である。
四、神を忘れる。その存在、もしくは性質、属性を忘れる。
そんな絶望の時、神が私達に望んでおられることを確認してみましょう。
要点一 神は私達の回復を望んでおられる(五節~八節)
絶望して眠ってしまったエリヤに、神様は焼いたパン菓子と水を備えられました。しかも、二度そうしてくださったのです。皆がこのような経験をするということではありませんが、時には何かの回復の道やそのために必要な物を備え、あるいはそれに気づくようにしてくださるのではないでしょうか。たとえ具体的に神様が御手を伸ばしてくださらないにしても、神様は私達の回復を望んでおられます。絶望の時には、先ず、肉体的、また、精神的な疲労からの回復を考え、また、神様に求めることから始めるのが良いでしょう。
要点二 神は私達の思いの告白を望んでおられる(九節~十四節)
神様がエリヤの告白を引き出すためになされたことは、「ここで何をしているのか。」という問いかけでした。単純に何をしているのかを尋ねられたのであれば、「寝ています」とか、「隠れています」などの回答でも良い場面であったと思われますが、エリヤは心にある思いを神様にぶちまけています。神は、その機会を二度彼に与えています。十節と十四節に、同じ告白がなされています。そういう告白こそが、神様の期待し、望んでおられた事柄です。ダビデによる詩篇を読めば、そのような心の思いが神の前に注ぎ出される時に、嘆きは祈りになり、絶望は希望になることがそこに現れていると思います。
要点三 神は私達が神の言葉を聞くことを望んでおられる(十五節~十八節)
エリヤが思いを告白すると、今度は神が語りかけました。神は私達に語り掛けたい、そして、語り掛けておられる方です。私達が絶望している時に神が語り掛け、私達に気づいて欲しいと思っておられることの中心は二つ有ります。
第一は、私達の中に有る偽りの認識を、真理もしくは事実をもって正すことです。エリヤは告白の中で、「ただ私だけが残りました」と言っています。しかし、それは事実ではありませんでした。ですから、神は語り掛けの中で、エリシャという、彼に代わって預言者となる者が居ること、七千人の神に忠実な仲間が居ることを示しました。(七千という数字は、実際の人数ではなく、大勢のという意味だと考える立場もあります。)
第二は、私達の人生の目的を再確認させることです。神はエリヤに仕事の指示をしています。あなたは預言者であるから、預言者の仕事をしなさいと言っていることになります。私達は預言者ではありませんが、キリスト者です。聖書を読めば、キリスト者がどういう存在で、どう生きなければならないかは示されています。絶望の時にこそ、そこに立ち返り、それを再確認することです。
要点四 神は私達に仲間を与えることを望んでおられる(十五節~十八節)
神がエリヤに与えた命令の中には、二人の王を立てることと、一人の預言者を立てることが入っています。この人達は、全き神の僕とは言えなかったかもしれませんが、バアル信仰に対抗する勢力としては仲間でした。しかし、それよりももっと励ましになることは、エリシャという預言者が起こされるということでした。友達とも言えそうな、近い間柄の人が与えられるということでした。十九節を見ると、十二くびきの牛を使っていたことが書いてあります。十二くびきということは、単純に一つのくびきに二頭の牛があてがわれると考えても、二十四頭の牛の幅を耕すことができるということですから、エリシャは相当熟練した家畜の使い手であり、また腕力、体力も有ったであろうと思われます。そういう要素も、エリヤにとっては大きな励ましであったかもしれません。そして、それだけに止まらず、七千人のバアルに礼拝をしたことのない者が居ると言われたのです。
まとめ
あなたは絶望していますか?絶望に陥りやすい四つの要素を確認し、キリストにあってそれを取り除くように心掛けましょう。そして、神が私達に望んでおられる四つの要点を再確認して、自分の方向を正し、必要であれば休み、神に告白し、神に聞き、再確認して、歩もうではありませんか。同時に、これらの要点を踏まえて、私達が他のキリスト者を絶望させるのではなく、励まし、希望を持たせる存在であることができるように求めましょう。
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主こそ神であることを、主からの火の応答によって示し、バアルの預言者に勝利した後のエピソードからです。力強い神の働きを見て気持ちが高揚していたであろうエリヤは、王妃イゼベルが彼を殺そうとしているという知らせを受けて、絶望的な気持ちになってしまいました。絶望の時にどうするのか、という説教シリーズの第一回ということで、この聖書箇所を通して語られた四つの要点を紹介します。
導入
先ず、絶望しやすい状況を確認してみます。それは次の四つだそうです。
一、疲れている。仕事などで疲れている。難しい状況で疲労困憊している。
二、一人ぼっちである。孤独である、もしくは孤独感を持っている。
三、否定的な考え方をし、悲観的である。
四、神を忘れる。その存在、もしくは性質、属性を忘れる。
そんな絶望の時、神が私達に望んでおられることを確認してみましょう。
要点一 神は私達の回復を望んでおられる(五節~八節)
絶望して眠ってしまったエリヤに、神様は焼いたパン菓子と水を備えられました。しかも、二度そうしてくださったのです。皆がこのような経験をするということではありませんが、時には何かの回復の道やそのために必要な物を備え、あるいはそれに気づくようにしてくださるのではないでしょうか。たとえ具体的に神様が御手を伸ばしてくださらないにしても、神様は私達の回復を望んでおられます。絶望の時には、先ず、肉体的、また、精神的な疲労からの回復を考え、また、神様に求めることから始めるのが良いでしょう。
要点二 神は私達の思いの告白を望んでおられる(九節~十四節)
神様がエリヤの告白を引き出すためになされたことは、「ここで何をしているのか。」という問いかけでした。単純に何をしているのかを尋ねられたのであれば、「寝ています」とか、「隠れています」などの回答でも良い場面であったと思われますが、エリヤは心にある思いを神様にぶちまけています。神は、その機会を二度彼に与えています。十節と十四節に、同じ告白がなされています。そういう告白こそが、神様の期待し、望んでおられた事柄です。ダビデによる詩篇を読めば、そのような心の思いが神の前に注ぎ出される時に、嘆きは祈りになり、絶望は希望になることがそこに現れていると思います。
要点三 神は私達が神の言葉を聞くことを望んでおられる(十五節~十八節)
エリヤが思いを告白すると、今度は神が語りかけました。神は私達に語り掛けたい、そして、語り掛けておられる方です。私達が絶望している時に神が語り掛け、私達に気づいて欲しいと思っておられることの中心は二つ有ります。
第一は、私達の中に有る偽りの認識を、真理もしくは事実をもって正すことです。エリヤは告白の中で、「ただ私だけが残りました」と言っています。しかし、それは事実ではありませんでした。ですから、神は語り掛けの中で、エリシャという、彼に代わって預言者となる者が居ること、七千人の神に忠実な仲間が居ることを示しました。(七千という数字は、実際の人数ではなく、大勢のという意味だと考える立場もあります。)
第二は、私達の人生の目的を再確認させることです。神はエリヤに仕事の指示をしています。あなたは預言者であるから、預言者の仕事をしなさいと言っていることになります。私達は預言者ではありませんが、キリスト者です。聖書を読めば、キリスト者がどういう存在で、どう生きなければならないかは示されています。絶望の時にこそ、そこに立ち返り、それを再確認することです。
要点四 神は私達に仲間を与えることを望んでおられる(十五節~十八節)
神がエリヤに与えた命令の中には、二人の王を立てることと、一人の預言者を立てることが入っています。この人達は、全き神の僕とは言えなかったかもしれませんが、バアル信仰に対抗する勢力としては仲間でした。しかし、それよりももっと励ましになることは、エリシャという預言者が起こされるということでした。友達とも言えそうな、近い間柄の人が与えられるということでした。十九節を見ると、十二くびきの牛を使っていたことが書いてあります。十二くびきということは、単純に一つのくびきに二頭の牛があてがわれると考えても、二十四頭の牛の幅を耕すことができるということですから、エリシャは相当熟練した家畜の使い手であり、また腕力、体力も有ったであろうと思われます。そういう要素も、エリヤにとっては大きな励ましであったかもしれません。そして、それだけに止まらず、七千人のバアルに礼拝をしたことのない者が居ると言われたのです。
まとめ
あなたは絶望していますか?絶望に陥りやすい四つの要素を確認し、キリストにあってそれを取り除くように心掛けましょう。そして、神が私達に望んでおられる四つの要点を再確認して、自分の方向を正し、必要であれば休み、神に告白し、神に聞き、再確認して、歩もうではありませんか。同時に、これらの要点を踏まえて、私達が他のキリスト者を絶望させるのではなく、励まし、希望を持たせる存在であることができるように求めましょう。


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