「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

47都道府県「住んだ町」「旅した町」会津若松 鶴ケ丘城 白虎隊

2021-02-20 07:03:01 | 2012・1・1

福島県東部、会津地方の中心都市人口、13万人。筆者は昭和44年から46年にかけて月に1回ほど仕事で会津若松市を訪れた。UHF局の民放開局当時で視聴するためのコンバーター普及とスポンサーの開拓で、本社の郡山から1泊泊りで出張した。

会津若松といえばやはり町の中心部にある鶴ケ城と戊申の役で町の火を遠くにみながら自刃した白虎隊の悲話である。仕事の合間をみて筆者は歴史の跡を観光したが、一方では先の戦争で戦火に合わなかった城下町を駆けずりまわったが、それが筆者には楽しかった。造り酒屋の蔵、漆細工の店、由緒ある和菓子店などなど。

ビジネスホテルなどない時代であった。七日町駅近くの商人宿に泊まり雪のしんしんと降る夜、熱燗の美酒の杯を傾け、語尾のきれいな会津弁の女将の昔話を聞いた。そのあと食べたワッパ飯やニシン蕎麦の美味だったこと。もう半世紀も前の話だ。

 


五輪開催待ったなし 女三人船頭さんのかじ取りに期待

2021-02-19 10:16:57 | 2012・1・1

女性蔑視ともとらえられる発言で東京五輪パラリンピック組織委員会の会長を辞任した森喜ててて朗元総理の後任に橋本聖子五輪相が、その橋本さんに代わって丸川珠代元五輪相が”透明”な形でかえりり咲いた。この結果、五輪開催を前に舵取りの船頭さんに開催地の小池百合子知事をいれて女性三人が出そろうことになった。

女性の船頭さん三人の出そろいときいて、僕は森さんではないが不謹慎、不見識だが”女三人よれば姦しい”という諺を思い浮かべた。三省堂の慣用句ことわざ辞典によれば「女はとかくおしゃべりだから三人も寄りあうと大層やかましい」という意味である。ご三方がおしゃべりだかどうか知らないが、五輪開催まで5か月、待ったなしの大変な時期に大役を仰せつかったものだ。

コロナ騒ぎのためか五輪が5か月先に東京で開催される空気が感じがしない。今の話題は接種が始まったワクチンが本当に4月初めに65歳以上の老人にも安全に期日通り接種できるのか。肝心の一般人スケジュールはどうなっているのか。こんな状況下で、本当に開催できるのか。コロナ収束と並んでの国家的な大事業である。

 

 


五輪開催気運に水を差す島根県知事の発言

2021-02-18 12:02:53 | 2012・1・1

東京五輪開催まで3か月余、それを盛り立てる聖火リレーまで45日と迫ったのに島根県の丸山達也知事が県内の聖火リレーを中止すると公表した。政府のコロナ対策からみて時期ではないということらしい。知事の座右の銘は臨機応変だそうだから、いざ、機に臨めば心変わりすると思うのだが。

東京五輪は7月23日から8月8日まで332競技、44会場で行われる。これはすでにIOC(国際オリンピック委員会)とお間で決定事項であり、あとはコロナの感染状況をみて会場を無観衆にするとか制限するとか決めることだと了解しているのだが。ところが、ネットの意見調査によると,五輪を中止すべきだというのが76.96%もいるのだ。丸山知事もその一人なのだろう。

しかし、五輪開催はすでに世界的に決定している。開催国としては、開会を前に開催気運を盛り上げるのは当然である。それなのに、残念ながら日本では組織委員長が辞任して後任選びでそれどころではない。五輪は国家を挙げての事業である。


47都道府県「住んだ町」「旅した町」 郡山(2)開拓の歴史

2021-02-18 06:59:09 | 2012・1・1

郡山は近年の町村合併で今や人口32万人、東北では仙台に次ぐ都会である。明治時代の初めには僅か7千人の宿場町,400年前の松尾芭蕉の時代には檜皮(日和田)葺き安宿しかなかった。明治初期の郡山について作家の宮本百合子は「貧しき人々の群れ」の中で県令だった祖父、中条政恒の時代の住民の貧困な生活を描いている。住民は明治維新後九州の久留米藩などから移住してきた武士たちであった。

郡山発展は安積疎水の引水とそれによる原野の開墾であった。芭蕉時代は奥羽街道の沼ばかり目立つ(奥の細道)原野だったが、明治維新後すぐの明治3年、新政府は国家事業として猪苗代湖から疎水を引く工事にとりかかり、オランダから”お雇い外人を招き僅か3年で延べ80万人を動員して完成した。その歴史は市役所近くの開成館に展示されている。

郡山の奈良時代からの伝説に「采女(うねめ)」物語があり毎年8月第1週の週末に行われているが、これは当時大飢饉の巡察に来た役人と采女の恋物語を題材にしたものといわれ昭和40年から始まっているが今では「東北五大祭り」になっている。


47都道府県「住んだ町」「旅した町 郡山 チョンガー生活2年

2021-02-17 07:55:44 | 2012・1・1

昭和44年(1969年)11月から2年間、生まれて初めて僕は白河の関を越えて東北の地に住んだ。それが郡山である。福島県の中通りの中央部に位置する人口35万人の最大の都市だ。19年勤めた新聞記者の生活にピリオドを打ち郡山に新しくできた民放に営業職としての転職転勤、家族を東京に置いてのチョンガー(単身赴任)であった。

郡山には縁もゆかりもなく知人友人もなかった。当時駅前のアーケード街で暴力団の抗争があとをたたず、週刊誌は”東北のシカゴ”などと報じていた。まったく知らない町で治安を心配したが、2年間、東北人の心の温かさに助けられ無事勤務できた。しかし、今振り返ると汗顔の至りだ。

2年間のチョンガー生活で僕は3回も引越ししている。会社が用意してくれた郊外の快適なアパートは通勤に不便(東京に比べれば比ではないのだが)と移転、会社近くに移り、さらに飲むのに便利だと夜の繁華街、堂前の近くに引越ししている。

高度成長時代の前、モーレツの時代だった。仕事もしたが、単身赴任を良いことによく遊びよく飲んだその結果風邪をこじらせ、喀血し1か月も入院した。郡山には磐梯熱海という名湯があるが在任中一度も行ったことがない。

 

 


卆壽 90歳誕生日 人生の余禄に感謝

2021-02-16 08:36:41 | 2012・1・1

今日は満で90歳の誕生日である。90歳卆壽のお祝いは普通数え年でするそうだが、やはり満のほうが”大台”に乗ったという実感がある。「人生百年時代」であり、冥途への土産話がまた1つ増えた。余禄であり感謝したい。

10年前80歳の傘壽を迎えたとき、小ブログは当時の平均寿命(79.59歳=2009年)を越え、父母の物故時の年齢(父84歳、母82歳)になったと”達成感”みたいなことを書いている。あれから10年、あっという間であったが、振り返ると僕にとっては生死にもかかわる10年でもあった。大腸ガン2回、膀胱ガン3回など7回も入院6回も手術している。

84歳の時には、僕は左膝の人工関節手術も受けて、身体障害者手帳を頂戴し、要介護3の認定を受けたが、何とか今は自宅介護で済んでいる。このまま、できれば人生の余禄を楽しませてもらいたいものだ。

2月16日の花言葉はレント.ローズだそうだ。(写真)レント(lent)とはキリスト教の復活祭前の四旬をいい、この季節に咲く花だ。意味は苦しみに耐えて頑強だという。それにあやかりたいものである。


47都道府県「住んだ町」「旅した町」 佐久市 藤村 鯉太郎

2021-02-15 07:29:05 | 2012・1・1

上田市につぐ東信地方第二の市、人口10万人だが、むしろ佐久平の中心といったほうが良い。1977年信越新幹線の開業に伴い「佐久平」が新設され、さらに2005年旧佐久市(野沢、中込)と岩村田、臼田が合併して発展した。「 佐久平」駅はJR在来線小海線の岩村田ー中佐都駅間の田畑だった地だけに昔からの中心地ではないが、大型店舗、ホテルなどは駅前に集中している。

南佐久郡、北佐久郡という行政区分があるが、昔から信州では群馬県堺の千曲川流域の盆地を佐久平といい、住民を”さくっぽ”と呼んでいた、江戸っ子みたいな気のさっぱりした気性の人が多いという。昭和の時代橋幸夫が歌ってヒットした「佐久の鯉太郎」みたいな人物だ。佐久では鯉料理が名物だ。

町村合併で山間地区の前山も佐久市だが、ここにある古刹、貞祥寺境内には明治30年代、島崎藤村が小諸で教師をしていた時、寄宿していた旧居が保存され一般に公開されている。


心配な大地震と大地震との間の間隔

2021-02-14 15:40:39 | 2012・1・1

東日本大震災の大地震(M9.0)から1年というのに昨夜13日11時8分、福島県沖を震源とするM7,1の地震が発生した。震度が60キロと深かったため津波はともなわず人的被害がなかったのは幸いだった。

東北の太平洋沖は地震の巣みたいだ。今回は10年だったが、歴史を紐解くと30年から40年に一回大地震が起きている。東日本大震災の前は1978年の宮城県沖地震、その前は1934年の三陸沖地震、いずれもその間隔で起きている。

その間隔を一番心配しているのは首都圏の住人ではないだろうか。100年前の1923年(大正12年)9月1日の関東大震災以来大震災は起きていない。その前の安政大地震から関東大震災までは68年に過ぎない。南海トラフ大地震がここ近年中にかなりの角度で起きるという。卒寿の老人起きてもらいたくないものだ。


47都道府県「住んだ町」「旅した町」 上田 真田城址 別所温泉

2021-02-14 09:13:56 | 2012・1・1

長野県東部を地元では「東信」という。その「東信」第一のが都市が上田である。人口11万人。16世紀の天正年間に武将真田昌喜によって築城された跡がる。徳川軍勢の二度に渡る攻撃を守りぬいた堀と土塁などが残っており公園になってる。

上田市内には真田家ゆかりで”隠し湯”ともいわれる別所温泉がある。ここには国宝の安楽寺三重塔をはじめ北向き観音など史跡に富んでいる。郊外の塩田平を望む丘の上には、先の戦争で亡くなった全国の画学生の遺品の絵を蒐集展示した美術館「無言館」がある。

信州大学繊維学部は戦前上田地方が養蚕で盛んんであった時代の蚕糸専門学校の伝統を引き継いでいる。

 

 

 

 

 

 

 


咲いた咲いたチューリップの花が

2021-02-13 08:49:01 | 2012・1・1

ご近所の家の庭の片隅でチューリップの花が咲いていた。🔻咲いた咲いたチューリップの花が 並んだ並んだー残念ながら黄色一色だが。「家居のつぎつぎしくはあらま欲しきかな」(徒然草)ご近所の優しいお気持ちがしのばれる。