ビター☆チョコ

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愛されるために、ここにいる

2007-10-29 | 洋画【あ】行

父親から受け継いだ司法執行官という仕事に疲れ果てているジャン=クロード(パトリック・シエネ)。
それでも、その仕事を自分の息子に継がせようとしている。
妻は去り、犬と暮らし、仕事は辛く、週末は気難しい父親を老人ホームに訪ね、それで1週間は過ぎてしまう。
同じ1週間を繰り返すうち50才を過ぎてしまった。
唯一の息抜きは、事務所の窓から見えるタンゴ教室の音楽に合わせて、タンゴを踊る真似事をするだけ。
そんなある日、ジャン=クロードは医者に健康のために運動することを勧められる。
ジャン=クロードは、あのタンゴ教室のドアをたたいた。

ここまで観ると、どうしても「Shall We Dance」を思い出すのだけど、ここに現れた男は
行き詰ってるとはいえ、どこか男の色気のようなものをとどめていた役所さんでもリチャード・ギアでもなく
50才というのが嘘みたいな、色気どころか水分もなくなってしまったような、とことん疲れたおじさんなのだ。

その干からびたようなジャン=クロードは、タンゴ教室でフランソワーズ(アンヌ・コンシニー)と出会う。
帰り道、フランソワーズに話しかけられたジャン=クロードは、彼女が幼い頃、近くに住んでいた小さな女の子だったことを知って驚く。

古い知り合いだった気安さと、タンゴのパートナーを組むことで、二人の間は急速に近づいていく。
ジャン=クロードはフランソワーズに恋心を抱くようになる。
しかし、フランソワーズは迷っていた。
ジャン=クロードには黙っていたが、結婚式にタンゴを踊るために教室に通ってきていたのだ。
でも、婚約者との間はしっくりいっていない。
ジャン=クロードに惹かれていく気持ちが、単なるマリッジ・ブルーから来るものなのか
あるいはファザー・コンプレックスのようなものなのか。
そして、その事実をジャン=クロードが知ったとき。。。。

恋というものには、いくつになっても心を揺らすものなのですねぇ。
50歳を超えた男と
そしてこちらもすごく若いとは言えない女が
ふと、出会って、仄かな恋心を抱きあう。

もし、二人が踊るのがタンゴじゃなかったら、たとえばワルツとかルンバとかだったら
二人の出会いは「恋」に発展しなかったんじゃないかと思う。
寄り添って、息を合わせ、流れる音楽に合わせて体を揺らす。
流れる音楽は、どこか孤独と哀愁を帯びていて、情熱と官能を感じさせるアルゼンチンタンゴ。
初めはどこかぎこちない二人の踊りが
徐々に打ち解けて、肩にまわす手にどこか熱を帯びてくる様子は、見ていてもドキドキするのだ。

大人の恋には、いろいろ付録がついてくる。
抱えている問題の多さが、二人が別々に歩いてきた今までの人生の長さを感じさせる。
二人の恋の行方を追うだけじゃなく
映画は、ジャンと息子、ジャンと父親の関係にも軸をおいている。

見事に不器用さが受け継がれている男三代は、
誰もがお互いを想いながらも言葉や態度に出せないでいる。
分かりあうためには
どんなに近しい間でも、時には言葉が必要なものなのかもしれない。
愛されるのを待っていても、気持ちが届かないこともある。
愛されるためには、自分からドアを開けなくてはならないのだ。

「愛されるために、ここにいる」という邦題がついているけど、
元々は「愛されるために、ここにいる訳じゃない」という題名なのだそうだ。
なにもしなくても
ただそこにいるだけで、愛されるのももちろん素敵なことだけど
待ってるだけじゃなく
自分から一歩踏み出せば、もっと人生の楽しみは深くなるかもしれない。

 

 






 


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2 コメント

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タンゴ (kimion20002000)
2007-11-08 00:35:27
TBありがとう。
タンゴならではですね。
50歳を過ぎたオジサンとしましては、ちょっとタンゴ教室へ・・・という勇気は出ませんが(笑)
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敷居が高い (チョコ)
2007-11-09 16:15:30
kimion20002000さん

こんにちは♪

同じく、です♪

運動不足解消のために、ちょっとタンゴ教室へ。。とは、どうしても思えなさそうです。
あまりにも敷居が高すぎです(笑)
返信する