ビター☆チョコ

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カポーティ

2006-10-04 | 洋画【か】行



すでに作家としての名声を手にしていたトルーマン・カポーティ(フィリップ・シーモア・ホフマン)は、
ある日カンザス州ホルカムという田舎町で起きた一家惨殺事件に興味を持つ。
事件の詳しい内容も犯人もまだ見当もつかない事件だったのだが、カポーティは早速取材助手で幼馴染のネル・ハーパー・リー(キャサリン・キーナー)とともに現地に向かう。
取材を続けるうち犯人が逮捕され、カポーティは犯人に強く興味を引かれる。
カポーティは今までにない新しい作品を書くために犯人の一人ペリー・スミス(クリフトン・コリンズ・Jr)に深く関っていく。

その深い丹念な取材で書き上げたのが「冷血」という作品だ。
ノンフィクション・ノベルという新しいジャンルを開拓しただけでなく、死刑制度の是非や取材者のモラルなど様々な物議を醸しだしたそうだ。
その取材から「冷血」を書き上げるまでの過程がこの「カポーティ」という映画だ。

映画を観る前に「冷血」を読んでみた。
ノンフィクション・ノベルというが、フィクションのように感じる。
映画の中ではほとんど語られていないが、本の前半は惨殺されたクラッター家の人々、そしてクラッター家に関る人々が細かく生き生きと描かれていく。
映画の中で、
カポーティが殺されたクラッター家の娘ナンシーの日記を読むシーンがあるのだが、
たぶんこの日記を読んで作家としての想像力を膨らませて書いたのだろう。
クラッター家の誰よりもナンシーの描写が細やかだ。
犯人が逮捕されるのは本の中盤も過ぎた頃だ。

映画の中では、この「冷血」を書き上げるまでのカポーティの苦悩が描かれる。
犯人のペリー・スミスと面会を重ねるうち、二人の間には友情ともいえるものが生まれてくる。
ペリーの持つ不幸な生い立ち。強いコンプレックスとナルシシズム。
それはまさにカポーティが持っているものと同じ種類のものだったのだろう。
自分と似たものを見るとき湧き上がる愛しさと嫌悪という相反する感情。
その同類である友が死刑にならなければ、長い年月をかけて書いてきた本の結末を書くことが出来ないのだ。
カポーティの中でペリーを救いたい気持ちと死刑を待ち望む気持ちが複雑に同居する。

「愛する人を自分の目的のために利用できるものなのか」と映画の中でカポーティは問われる。
「出来ない」とカポーティは言う。
でも作家としての彼は、書くためならどんなことでも利用しようとしているのが観ているこちらにはよくわかる。

そうして書かれた「冷血」は、ペリー・スミスとの関係で苦悩したことなど微塵も感じさせないほど客観的な目で書かれている。
「冷血」というのはこの犯人たちのことではなく、カポーティ自身のことなのではないのだろうか。

「冷血」の後、カポーティは作品をほとんど書かずに亡くなったそうだ。
この作品で燃え尽きてしまったのだろうか。
人を愛しながらも利用しつくす。
人間の心の中には複雑で恐ろしい魔物が潜んでいるようだ。