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四季のうつろいRetter

自然が好き、人も好き。日々四季のうつろいを感じながら…。

山口の旅3 最終日

2015年12月07日 | 旅行
4日目(最終日) 唐戸市場から出ている小船で巌流島へ。



佐々木小次郎と宮本武蔵の決戦場






唐戸市場で名物「瓦ソバ」を食べ、お土産にかまぼこ、昆布巻きなどを買って帰った。
フグの食事処がたくさんあったが、下関では「フク」というらしい。

3泊中の宿は、特徴のある宿をネット予約した。

1泊目、萩では「夕景の宿 海のゆりかご萩小町」
2泊目、飛行機と宿は萩の民宿、レンタカーセットで。
3泊目、海峡ビュー下関(夜景)

1泊目、3泊目のホテルはどちらも夕景、夜景を売りとしているが、天候に恵まれず眺めは期待外れだったが仕方がない。


山口県では、総理大臣は伊藤博文から阿倍晋三まで8人も輩出されている。
幕末より明治期の日本を主導した人材を多く輩出したことから来るのだろう。

    山口の旅 終り


山口の旅2 秋吉台・秋芳洞・下関

2015年12月06日 | 旅行
萩で2泊し、秋吉台・秋芳洞に向かった。
レンタカーでいただいたドライブマップには、市が色別されていて見やすい。
秋吉台・秋芳洞は美祢市というところ、萩寄りにある。

秋吉台は散策コースになっているようだが、冬枯れの景色を観るだけで帰った。


秋芳洞の百枚岩  天井から流れ出る水が作り上げた鍾乳石
上から見ると棚田のようだった。



下関に向かうころから雨になってきた。
宿泊予定の「下関ビューホテル」に寄って近隣マップをもらって散策した。

赤間神宮


みもすそ川公園
壇ノ浦の古戦場を一望できる場所。
幕末の焼夷戦で外国船に砲撃した砲台跡。


関門トンネル 人道を歩く。


歩いているのは観光客より、地元の方のウォーキング姿が目立った。
ここは、雨が降っても、風が吹いても影響がない。ウォーキングにはもってこいと思った。
山口出身の友だちのHさんも、里帰りした時には、近くに住むお姉さんとここをウォーキングするそうだ。




海峡ビューホテル泊
食事はフグコース 
ひれ酒、刺身、網焼き、から揚げ、鍋物・・・・・最後にフグ雑炊



お酒は飲めないので、ウーロン茶に。
ひれ酒は夫もはじめて飲んだが、口に合わないと言っていた。
フグ雑炊がいちばんおいしかったなー。



山口の旅 1 津和野・萩

2015年12月05日 | 旅行
いつか萩、津和野方面へ旅行したいと思っていた。

今年は、偶然にもNHKの大河ドラマ「花燃ゆ」が始まって、山口幕末維新旅行券なども発売された。

6月から山友だちのT夫妻と計画した。
初めに飛行機の早割とホテルセット、レンタカーを予約し、旅行券の発売と同時にホテル2泊分のチケットを購入した。

11月30日、山口宇部空港、津和野からスタート。

津和野の殿町通りは電線も地下に入り、道路は石畳となっていた。
季節がら、イチョウの葉は落ち、堀にでは太った鯉が人の気配で集まってきた。







萩に入ると大河ドラマ「花燃ゆ」の上り旗が目立った。
ドラマも終盤に入り舞台が群馬に移ったこともあるのか、観光客は閑散としていた。





松下村塾のボランティアガイドさんは、「どうぞ部屋に上がって塾生になってください」といって、塾生四天王の話など説明をしてくれた。
子どもたちも大勢来て、何か「おもてなし」をと考え、こんなものを作って「立派になるんだよ、と記念撮影をしていただきました」と話した。

周囲には、幕末の志士たちの住居や、墓地があり、一回りした。
同行のT氏は、歴史に詳しく、大河ドラマの「花燃ゆ」もしっかり研究され、ルーツや、演じた役者名まで、ご夫婦で話しながら見学していた。



2日目は朝一番に長門市仙崎の「金子みすゞ」ゆかりの地へ
小さな「みすゞ通り」には、家並みのそれぞれの軒先に手作りのみすずの詩が飾られ、出迎えてくれた。

金子みすゞ記念館は、平成15年金子みすゞの生誕100年に合わせてオープンした。
記念館の入り口は、みすゞの実家の本屋から入り、みすゞが暮らした当時を再現してとてもシンプルだが、
本館は詩や童謡などをおおきくパネル展示され、誕生から生い立ちや成長の過程がよく理解できた。



金子みすゞ記念館のある漁港の町、”長門市は、日本の心「やさしさ」を奏でるまち 長門”
とうたってPRしている。

本当にほっこりとしたひと時だった。



続いて、足を延ばして青海島へ。
育ちも、生活も海なし県のため、海を見ると開放的な気分になる。
十六羅漢があるというのでいってみると、小高い半島に柵を作ってハイキングコースになっていた。
もちろん歩きます。



岩には、それぞれ、カモメ岩、十六羅漢、変装行列などの名前が付けられていた。




3泊目は、下関へ。





我が家の夏休みイベント こんにゃくパークと楽山園

2015年08月27日 | 旅行
翌朝は雨のため、入浴の後、また寝をし、ゆっくりの朝食とした。
思いはほかのお客さんも同じで3つの大きなレストランが大混雑。
さすが、時間もいっぱいのため早めに引き上げる人も多かった。
せっかくのたくさんのメニューがあるのに、4年生の孫はパンとほかに少々。

2日目は白糸の滝、旧軽銀座など大人の楽しみの予定だったが、あまりの雨に帰り道で楽しもうということになり、
テレビでも宣伝している甘楽町のこんにゃくパークに寄った。
ここは夫が山の帰りに寄ったことがあり、詳しかった。





試食用があり、丁度昼近く、順番に並んでお皿を受け取り、試食をした。
全てがこんにゃく、ラーメン風、うどん風、みそおでん、焼きそば、玉こんにゃく、酢豚風、から揚げ風等々。
詰め放題500円も人気だった。


出がけに大きな看板を見て、すぐ近くにある「名勝 楽山園」、 織田 小幡藩の大名庭園に寄った。





群馬県 唯一の大名庭園は10年ほど前から少しずつ準備し、3年ほど前に開園されたという。

2日間の旅のうち最後に落ち着いた雰囲気で旅の仕上げができた気がした。

帰りの車の中で孫が「旅行楽しかったね、また行きたいね」と。
スポンサーのじいじは首をすくめていた。(笑)





我が家の夏休みイベント 軽井沢

2015年08月26日 | 旅行
このところ恒例となっている我が家の夏休みイベントの家族旅行。
今年は娘に任せ、予約した「ホテルグリーンプラザ軽井沢」。
おもちゃ王国とセットで楽しめるという。



8月20日 それまでの暑さとは打って変わって雨の中、傘を6本持っての出発となった。
川端康成の小説「トンネルをぬけると雪国だった」ではないが、トンネルの向こうは雨はなくて、皆の表情が明るくなってきた。
軽井沢といってもホテルの場所は「嬬恋」。キャベツのPRが大々的だった。
10時近くに到着。
おもちゃ王国の入園券をいただくためのチェックインと、帰る人のチェックアウトでロビーは大混雑だった。
天候が悪いのでチェックアウトも急がずゆっくりだったのだろう。





アドベンチャー、釣り堀、ゴーカート、小型ジェットコースターなど、もあった。
今にも降り出しそうな空模様で、傘は手放せず、荷物番であまり良い写真が撮れなかった。
それでも遊具など雨で休止もなく、子どもたちは堪能できたようだった。

夏休みの後半、平日にも関わらず、3世代家族連れが目立った。
ホテルの中はてんやわんや。

大浴場にはベビーバスも用意されており、今は、こんな赤ちゃんを連れてでも出かけたいのかな?
と思ってしまった。




中禅寺湖 千手ヶ浜のクリンソウ 見ごろだった

2015年06月15日 | 旅行
いつもの東邦観光のツアー広告を見て、ご近所さんから「中禅寺湖 千手ヶ浜のクリンソウ」を見に行きたいと誘われた。
低公害バスに乗り換え、快適な散策。



我が家のクリンソウをの咲いたのを見て、ぜひ、行ってみたいと言っていたが、これほどいろいろな種類があるとは私も驚いた。







我が家の植木鉢では、とうに種になっているが、ここでは丁度見ごろ。

見ごろとあって、平日でも、大型のエコバスは、朝のラッシュ以上の混みよう。
帰りは出発の30分前に行列に並んだ。
赤沼車庫駐車場から走るエコバスから見る小田代原のシラカバ、カラマツなどの新緑もさわやかだった。

朝のラジオ体操仲間。4名、初めて連れだっての旅。
目的があれば楽しい。


九州長崎 歴史の町平戸

2015年06月09日 | 旅行
旅行から帰ってからもう3週間も過ぎている。

旅行3日目(最終日)は、
長崎県の西のはずれ、平戸市は、キリスト教とポルトガル貿易の歴史の町。
大航海時代の城下町。

ここから始まった日蘭交流
オランダ商館前の灯台と平戸城

1616年オランダ商館大増築の際、防波堤を兼ねて築造された石積みの高台。
貿易が華やかな時代に灯台の役目をしていたもので、平戸港に出入りする船の航海に安全を図り、
オランダの国旗も立てられていたという。


ザビエル教会
1550年、宣教師ザビエルが平戸を訪れ、布教を始めたところ。
平戸藩主がポルトガル貿易に対する期待があって、布教活動に協力的だった。
しかし、時代の流れによって禁教、弾圧もされ、時代に奔走されながらも信仰され続けた。

多くの島民は、潜伏時代の信仰形態であるカクレキリシタン信仰を継続し、
平戸独自のキリスト教の歴史が多くの教会を残している。






寺院と教会の見える風景
異国文化の溶け合う街並み 

これらの建築物を堪能するのには、平戸だけでもあと一日必要だった。


ジャガタラ娘像

ジャガタラ娘とは、オランダ貿易時代に商館の外国人と結婚した日本人の女性の子供(混血児)のことです。

その子供達がジャガタラ(現在のインドネシア)に追放されたことを偲び、
望郷の念に悲哀を込めたジャガタラ娘像が設置されています。

ジャガタラ文
追放された婦女子から送られてきた貴重な手紙
 ー日本こいしや 日本こいしや
  かりそめにたちいでて、 
  またとかえらぬふるさとおもえば
  ・・・・・・・・・
  あらにほんこいしやこいしやこいしやこしょろ
  ・・・・・・・・・ー



帰りには九十九島の展望を眺め、佐世保から長崎空港へ向かった。

九十九(くじゅうく)とは数がたくさんあるという意味で使われる例え言葉で、
実際の島の数は208あります。(パンフレットより)


九十九島の遊覧船


九州旅行 終わり




九州の旅2日目 平戸海上ホテル

2015年05月31日 | 旅行
ホテルに到着すると、そう若くないホテルマンが3人外に立っており、元気な声で「いらっしゃいませ」と出迎えてくれた。
当たり前に思うが、疲れが一気に吹き飛んだ。
駐車場が狭いため、車のキーを預け移動させてもらう。

2枚の写真はホテルH・Pより借用

  
ホテル全景            温泉には壁側に水族館があって魚が元気よく泳いでいる。意表を突かれた。




夜は、ホテルオリジナルのマイクロバスでライトアップのオランダ商館、ザビエル教会などの市内観光。
ホテルマンのガイドで、散策コースを巡った。最後に日本酒の蔵元で試飲。
お土産に購入。
この1時間の観光サービスは翌日の観光に大いに役立った。



オーシャンビューの窓からのご来光。


こだわって選んだホテルに満足した。



九州 川内(かわち)峠

2015年05月30日 | 旅行
仁田峠から山をを越え、マップをみながら平戸市に入る。
丁度昼時、昼食場所を探していると、平戸大橋の手前に「平戸瀬戸漁港」というのがあった。
市場の上にあるレストランはにぎわって、ここでも新鮮な刺身料理がお手ごろだった。

食事の後は、平戸大橋を渡って、平戸市へ。
市の中心部、宿泊地を通過して、観光に。

川内(かわち)峠

川内峠の頂上からは絶好のパノラマで、その展望は素晴らしく、東に九十九島、北に玄海灘、遠くは壱岐・対馬が望める。



渡ってきた平戸大橋
平戸大橋(ひらどおおはし)は長崎県平戸市にあり、同市の中心市街地がある平戸島と
本土部を隔てる平戸瀬戸に架かる吊り橋 。延長1km、日本一長いつり橋だった。
2010年より無料となった。(ネットより)

川内峠のあと、生月島最北端の大バエ灯台の夕日をみに行く予定でもう一つの「生月大橋」を渡った。



生月大橋を渡ると、そこには道の駅と公園になって、一休みした。
のどかな景色に、のんびり写真を撮って遊んでいるうちに車を入らせる気力を失った。



時間切れとなって、市内に戻るように宿泊予定の「「平戸海上ホテル」に向かった。




九州 雲仙(仁田峠)・平戸の旅

2015年05月26日 | 旅行
今年はキリシマツツジを観に行きたいと、冬の頃から計画していた。

それは、山に登っていたころは、九州の山はいつも春先だった。
霧島山、阿蘇山、久住山など、細かなつぼみがぎっしりの枝を見て、次回はぜひ花の時に再チャレンジをと思っていた。
その後、あまりにも時間が経過し、どこの山も噴火の心配が出てしまった。

仁田峠   写真は5月19日撮影


手ごろな仁田峠は、台風一過の青空。ちょうど見ごろの予定だったが、前日の大雨で、花はみすぼらしくなってしまった。



地元の登山者だろう、花を求めて、かつての自分たちと重なる。


5月18日、朝、羽田を出発、予約してあった長崎空港脇のレンタカーの手続きをしている間に、観光マップをゲット。
雲仙に入り、丁度昼食時に体験型飲食店「海鮮市場 蒸し釜や」を見つた。







新鮮な魚も豊富で、結局、1番人気のジゲ丼(ちらし寿司)と2番人気のタイの煮付け。
タイの刺身もコリコリと新鮮でおいしく、煮漬けは注文してから一人分を煮つけてくれる。
少々時間がかかるが、時間にゆとりの旅。
この釜ではトウモロコシを蒸してもらった。

昼食を済ませて仁田峠に向かう予定が、濃霧で断念し、翌日(上記写真)にした。


温泉地獄も濃霧と、肝心の地獄が大きな岩を動かし、工事中で、資料館などで時間をつぶして早めにチェックイン。