ジャーナル88号届きました。楽しみに読ませて頂きます。
次号の原稿、乞うご期待下さい。
東日本大震災と同時に福島第一原発から8年。
ここ数日のテレビ、新聞の報道に加え、自分自身の8年が思い起こされる。
東日本大震災の起きた時間は、3月の第2金曜日、絵手紙教室の年度末の総会をしている時だった。
この絵手紙は、今年の総会が終わったばかりの、この1年間役員をしてくださったH・Sさんへ昨日投函したものです。
私は2011年の1月22日、乳がん手術後、通り一片の治療の抗がん剤点滴の予定が、原発の影響で計画停電騒ぎがあって、予定通りできるかどうかの瀬戸際だった。
が、病院の多い清瀬市に通院しているので、何とか停電を免れて治療を継続することができた。
その後順調に快復し、その時を意識することなく、ジャーナル(文集作り)に、スライド作り、4年前までは仕事にと楽しく過ごしてきた。
しかし、昨年から再び抗がん剤を服用するようになって、体調に変化をきたすようになった。
社協のボランティアも始めたばかりだが、この春2つのボランティアを辞退した。
あれから8年、大震災の復興に個人で応援できたのは、わずかな寄付とカキ養殖の復興のための一口オーナー、数年後「復興応援ツアー」といって、わかめなどお土産をたくさん買ってきたことくらいだ。あの時タイムカプセルを埋めた12歳だった子どもたちが成人して、仕事に就いた先はほとんどが地域の復興を意識していた。
いまだに普通の生活に戻れないことに心が痛む。