2月25日発行の同好会誌「ジャーナルスケッチ」の原稿ができ上がった。
もちろんタイトルは「東北応援たび・・・・・」
原稿から抜粋しながら紹介します。
鳴子温泉ホテルでは被害がなく、従業員も皆普通に出勤でき、近隣の被災支援ボランティアの宿泊も受け入れていたという。
いよいよ語り部の話を聞く時が来た。
この地区で一番被害の大きかった宮城県名取市閖上(ゆりあげ)地区に向かった。(地図は資料より)
小高い丘 日和山(日和山)がみ見えるところでバスが停まり、一人の若い女性が乗ってきた。
宮城県名取市閖上(ゆりあげ)震災を伝える会 かたりべ 大宮理香さん
ほんとはバスを降りてこの日和山でお話しする予定でしたが、雪が降って寒いのでバスの中でお話しします。
ここで911人が遺体となり、41人が見つかっていません。
テニスをしていた友だちは、ホームヘルパーの仕事をしているため、年寄りを迎えに行って、避難先の中学校に送り届け、
ここへ戻って家も流され、死んでしまったのです。1ヶ月後にすべてそろった形で見つかりました。
日和山 標高6.3mから2.1m上まで浸水した。(下2枚の写真は資料より)

日和山を背にして 上記の写真の家並みのあとかたすらなく、一面の雑草の原っぱとなっている。
一面平らなので、水はあっという間に押し寄せ、なかなかひかないという。(2014.02.04撮影)
メイプル館 カナダ連邦政府の支援によって作られた 閖上地区に一番先にできた建物
隣接している「ゆりあが港朝市」(休日に開催)など人が集まりにぎわっている。(2014.02.04撮影)
災害の状況を映すDVDや、お土産などたくさん置いている。

はんしんオーナーズ、復興支援応援たび。
ここでできることは、できるだけ多くのお土産を買っていくことです。
皆さん、わかめ、昆布などたくさん買っていました。
荒浜海岸 震災慰霊塔(2014.02.04撮影 )
犠牲者の名前が刻まれています。年齢が違い同じ姓が並び、家族で亡くなられてことを思うといちだんと悲しみを誘います。
お賽銭を入れ、ご冥福を祈りました。
閖上小学校は建築時に外階段を避難するときに目立つようと青色にされていたという。
大勢が避難していることがわかる。(地震発生20分後)(資料より)
被災前
被災後
高い堤防を作ってもらったが、常に見ていた波の変化が見えなくなってかえって怖いという。
かたりべが繰り返し伝えたいことは、一度避難したら戻ってはいけない。
「地域の全員が自分の命に責任を持つ、あんた頼むではなく、私は大丈夫だよ」。
そして、「自分で逃げ、愛する家族を守り、地域のみんなを守る。」
「そんな地域を作ることです」。長い避難生活もされて、強く実感されたことでしょう。