Windows 7 は「する・させる」OSで、Windows 8 は「買わせる」OSと言ってみましたが、Windows 7 は「なにをしたいか」という人向きで、Windows 8 は「なにをしたらいいですか」という人向きのような気もします。
Windows 8 を嫌う人がいるという記事もときどき見かけますが、それが扱いにくいのではなく性に合わないのだろうと思います。
ずらっと並んだところから何かを選び出すのが楽しい、あるいは世の中の流れに従って人々が多く望んでいるかどうかをたよりにそれを受け入れていくのが安心、そういう人には Windows 8 派が多いのではないでしょうか。
産業界でも教育界でも、創造性や個性が何よりもだいじであるかのように言われる一方で、その逆をいく心理集約システムが Windows 8 系の底流であり、その浸透拡散が狙いのような気もしています。
みんなそうしているよ、と言われればそれが正しいことと信じ、指の動き一つで多くの人がいっせいにある方向に心を動かされる。
そんなばかなと思っているうちに、気づいたら足はそちらに向かっていたということが、ないと言い切ることのできない魔力が、サイバーの世界には隠されることなく存在しているようです。
あまりにもあからさまなことは、用心という古臭い言葉を忘れさせてしまいます。