海鳴りの島から

沖縄・ヤンバルより…目取真俊

旧正月

2016-02-08 22:41:05 | 生活・文化

 8日は旧正月だった。夕方から実家に帰り、仏壇に手を合わせてきた。昨日はとぅしぬゆるー(年の夜・大晦日)だったので、実家の庭や池の掃除をし、松の枝を切ってきて門と仏壇の花活けに挿した。

 大晦日の夕食は母の作ったソーキ汁。元旦の朝は豚のちむ(肝)と塩、米を仏壇に供える。子どもの頃は庭先で豚を解体して塩漬けにしていた。そーがちぅわー(正月豚)の鳴き声が集落内のあちこちで聞こえていた。今はもう消えてしまった正月の風景である。

 明治生まれの父方の祖母が十代の頃、神奈川の紡績工場に出稼ぎに行ったとき、やまとぅの女工と喧嘩になり、「腐れ沖縄、豚殺し」とののしられたという。祖母は気の強い人だったので、火鉢の鉄箸を引き抜いて相手を刺そうとし、みんなに止められたと話していた。そのあと祖母に対しては、やまとぅんんちゅーも丁寧な言葉遣いをしていたとのこと。

 沖縄の農村では、現金収入を得るために家で豚を買っているのは当たり前だった。母方の祖母も飼っていて、子どもの頃、豚が餌を食べるのを見るのが面白かった。祖母は女手一つで、まーすうやー(塩売り)やぅわー(豚)を売って母と叔母を高校まで行かせたことを誇りにしていた。

 意識があるときに最後に聞いた話は「わんやぴんすーむん(貧乏者)りちうしぇらったーしがよー、がんばてぃいなぐわらびたい(女童二人)高校までぃやらちゃんよー」というものだった。ベッドに横たわってそう繰り返していた姿が忘れられない。

 


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