海鳴りの島から

沖縄・ヤンバルより…目取真俊

ハンセン病市民学会/名護集会開会式

2011-05-24 18:07:21 | 差別問題








 5月21日(土)、22日(日)の両日にわたって「ハンセン病市民学会in名護・宮古島」の名護集会が開催された。学生を含む多くのボランティアが準備や運営にたずさわり、名護集会1日目の会場となった名護市民会館では、入口に並んで全国からの参加者を歓迎していた。













 県外からの参加者受け付け係は地元の高校生がになっていた。市民会館ロビーにはハンセン病や障がい者問題の関連書籍、北部の名産品の販売所が設けられ、八重樫信之氏の写真展も開かれていた。久しぶりに顔を合わせた人たちの歓声や会話でにぎわっていた。







 かぎやで風の歌・踊りで幕開け。



 主催者あいさつを訓覇浩氏(ハンセン病市民学会共同代表)が行った。テープおこししたものを以下に載せる。録音状態が悪く、よく聞き取れなかった所は(一部不明)とした。

 皆様こんにちは。いま紹介していただきました、ハンセン病市民学会共同代表の末席に座っております訓覇浩(くるべこう)と申します。私が今日、代表としてごあいさつさせていただきますのは、この沖縄大会の担当ガイドということでございまして、本来でしたら他にごあいさつしていただく共同代表の方がたくさんいる会ですけども、今日は私がこの役を務めさせていただきます。
 昨日から始まったこの沖縄大会ですけども、私はこの名護大会からの参加になったんですが、宮古に出席された方々がですね、ほんとに素晴らしい宮古大会が開催されたと、口々に伝えておりました。新聞にも大きく取り上げていただき、すでに始まっているこの沖縄大会でありますが、あらためてこの名護で大会を始めるにあたりまして、一言ごあいさつさせていただきます。
 ご承知のとおり、今年2011年はらい予防法廃止15年、そして、隔離政策、この法律がもつ非人間性を厳しく問い、社会に明らかにしたハンセン病国賠訴訟、らい予防法違憲国家賠償請求訴訟原告勝訴10年という記念の節目の年にあたります。ハンセン病問題をめぐるこの15年は、このようなハンセン病回復者のたたかい、その声がですね、市民に届く、そして国を動かした、まさに激動の10年、15年であったと思います。
 これらのたたかいは、ハンセン病問題の真の解決に向けて、大きな扉を開けるものであったと思います。沖縄で開催されるこのハンセン病市民学会も、このたたかいの中から生まれてきた団体であります。
 私たちハンセン病市民学会は、2005年5月に違憲国賠訴訟の成果として(一部不明)されましたハンセン病問題に関する検証会議が1900ページにおよぶ報告書を厚生労働省に提出して、その役を終えましたけれども、その検証会議の願いを市民レベルで引きつぎ、さらにハンセン病問題の全面解決に向けて、多くの人たちと手をつなぎ取り組んでいきたい、そういうことを目的に結成されたものです。交流・検証・提言、その三つを活動の三本柱にしておりますけれども、この間の取り組みにより、毎年ですね、この交流会に参加する方が右肩上がりで増えている、そういう取り組みを続けております。
 特にその活動の中の基盤となってくるのが交流集会なんですけども、第1回を熊本で開催して以来、富山、群馬、東京、鹿児島、岡山、香川とリレーし、本年ついにその機が熟し、一番最初にこの会が始まったときから、ぜひ沖縄で市民学会を開催したい、そのことが沖縄の会員のみならず、多くの人たちが願っていたことでした。そのことがですね、まさにこの記念の年に、ついに実現することになりました。ここまではもうまさしく現地実行委員会の皆様のですね、ほんとにご努力のたまものであると思います。
 ではなぜ、沖縄大会がそこまで待望されてきたのか。それは日本のこれからのですね、ハンセン病問題の取り組みのあり方を照らす大きな機会が、沖縄から照らされるんだ、機会が沖縄から発せられるんだ、そういうことがあるのではないかと思います。
 沖縄におけるハンセン病問題がですね、国策として始まった隔離政策が、さまざまな歴史をもつ沖縄にもですね、強く影を落としました。そして、ハンセン病にかかる人が多く生まれる、そういうような中でですね、隔離政策はその分、より強く被害を沖縄に落としたんだと思います。しかし、そのことは逆に言うと、真の解決を願う、そのことの強さが、この沖縄にはあるということだと思います。
 さらに愛楽園は患者立の療養所だとも言われています。全国のハンセン病療養所退所者の4割以上が、沖縄県在住である。そのような特徴も持っております。米軍統治下にあったことや戦争との関係、様々なですね、沖縄とハンセン病問題、それはある意味で、苦しい歴史も含めてでございますが、これらの課題がそのまま、これからのハンセン病問題の取り組みを照らす、大きな大きな光となる力を沖縄は持っているんだと思います。
 そういう意味で私たちは、今回ここで開催することを通して、沖縄のハンセン病問題を考えるということではなく、沖縄でこの課題に出会うことで、これからのハンセン病問題、ひいては日本におけるこれからの社会のあり方を照らす、大きな力を与えられると確信しております。
 冒頭に大きな一歩を踏み出した、扉が開かれたということを申しましたが、全面解決に向けたハンセン病問題の取り組みのあゆみは、まだまだ道は半ばです。基本法が制定されるなど公の解放はほんとうに進みましたけども、それが一人ひとりの解放の実感にまでつながっているのかといえば、まさしく道は半ばであると言わなければなりません。
 そういうような状況の中でこれから私たちは、ハンセン病問題をこれまで考えるとき、予防法廃止以前がこれまでのハンセン病問題、以後がこれからのハンセン病問題というくくりをしておりましたが、私は今がですね、これまでとこれからの大きな分水嶺になると思っております。予防法が廃止され国賠に勝った、その中で何が実現できたのか、何が実現できていないのか、そのことを今確かめ、これからの取り組みにつなげていく、新たな扉が今ここにあるのだと思っております。
 最後になりますけども、今年はもう一つ大きな記念の年であります。それは全療協結成60年という年になります。ここでですね、ごあいさつの機会として、このような『全患協運動』という本が、全療協が結成されて25年の歴史を振り返る中で編集されましたが、ここに「予防法闘争」ということにつきまして、当時のたたかいを進めておられた皆さんが、このような表現をしておられます。
「人間が人間らしくあるということは、人間として扱われていない者だけの問題であるだけでなく、人間として扱おうとしない者たちや、その社会の人間性に関わる問題であった。これまでもかわいそうだと同情する人たちは沢山いたが、そのためにハンセン氏病患者の地位が非情に良くなったという例はなく、この人間復帰の闘いにとって本当に必要なものは、より人間的な社会を目ざす立場からの連帯である、それ以外のものではなく」
 そのような言葉が指摘されております。まさしく私たちはこの言葉を受けとめていく中で、真の連帯と私自身の自らの主体的解放を勝ち取っていくためにですね、これからも精一杯歩んでいきたいと思います。そのための大きな一歩にこの大会がなるものであると確信して、ごあいさつとさせていただきます。有り難うございました。 



 開会あいさつを金城雅春氏(ハンセン病市民学会in名護・宮古島共同実行委員長)が行った。以下にテープおこししたものを載せる。録音状態が悪く、よく聞き取れなかった所は(一部不明)としている。

 皆さんこんにちは。ただいまご紹介いただきました、共同実行委員の一人であります、そして愛楽園自治会の会長をしております金城と申します。今日はたくさんの方がこの会場におこしいただきまして、有り難うございます。
 一時期は、3月11日の東日本大震災が発生し、自粛ムードが高まってまいりました。われわれ実行委員会でも、今回開催すべきなのかどうなのか、という討議をさせていただきました。先ほど訓覇さんのお話にもありましたとおり、私たちは今、立ち止まっている時間的余裕はありません。全国の平均年齢が83歳を超えております。地元愛楽園でも80歳を超えております。そういう人たちに、あと1年ゆっくり待っていてくれと、解決を1年先延ばししようということは、やはりあと1年の間にできるはず、受けるはずの幸せを受けられなくなってしまう。そういうことがあって、こういう時でございますが、このハンセン病問題をぜひみんなで討議していただきたい。
 新しいハンセン病問題基本法ができてまだ間もない。しかし、皆さんご承知のとおり、新しい法律、基本法の中では、まだまだ認知されてないと言いましょうか、それによる予算計上はされてないし、法律によっての執行がなされていない、というのがわれわれの思いです。
 愛楽園ではすでにもう、らい予防法が廃止され、国賠訴訟の勝利のあと、一般住民を対象にした健康保険証の外来診療を始めております。それと今年4月からは保険制度による入院制度ができました。全国13園の中で両方行っているのは、今のところ愛楽園だけです。ハンセン病基本法の中に地域に開放する、以前のらい予防法とは違う法律体系になっています。国民に広く利用していただく、それが新法の趣旨だと思います。
 そして、高齢化した園を将来的にどうしていくのか。将来どうすれば高齢になっている人たちが、もっと住みやすく、幸せにこれからの生活ができるか。今、全国の療養所では、医師不足、看護師不足、介助員が定員削減されてどんどん少なくなっている。スタッフが減ってくる。しかし、一般の高齢者の介護とは、ハンセン病は(一部不明)違っている。病気のための後遺症で、四肢の感覚が麻痺しております。そういうことで、若い頃は自分でできたのが、もうこの歳になってできなくなってきている。どうしてもマン・パワーが必要になってくる。園の中に70年、80年と過ごしてきた人たち。長生きして良かったと言われる、そういう社会を1日も早く作っていきたいな、というふうに思います。
 また、全国の約4割の退所者が沖縄に住んでいるということで、その人たちも入所者に負けないぐらいもう高齢なんです、皆さん。その人たちの将来も考えないといけない。そういうこともあって、今回(一部不明)の入院制度も発足してきたわけです。それは簡単にできたわけではありません。いろんな関係省庁、関係者にいろいろと話をしていただく、要請をしてやっと厚労省が今年度の予算化をしたということでございます。他の園でもできれば、13園が足並みをそろえてこのことが実行できれば、非常ににいいのかなというふうに思います。
 これから明日まで、分科会また各種々企画等々、これまでにない企画を沖縄のハンセン病市民学会では企画しております。ぜひ最後まで、暑い中ではございますが、体調に気をつけられて、一緒になって討議をしてただければというふうに思います。共同代表を代表いたしまして、皆さんに一言あいさつを申し上げます。有り難うございます。



 開会式ではこの後、仲井真弘多沖縄県知事(代読)と稲嶺進名護市長の歓迎あいさつがあった。



 続けて総会が開かれた。前年度の活動報告、決算、新年度の予算案、方針案が承認され、共同代表や運営委員の皆さんが舞台に上がってあいさつをした。




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