3月中旬に秦郁彦編『沖縄戦「集団自決」の謎と真実』(PHP)が刊行された。一読していくつか感じたこと、考えたことがあり、ブログに書こうと思ったのだが、4月は基地問題への対応に忙しくて、手をつけることができなかった。5月に入り連休の小閑を利用して二、三書いておきたい。
本書を編んだ理由を秦氏は「あとがき」でこう記している。
〈本書を第二審の結審前に裁判官にも読んでもらい、判決の参考にしてもらえればという淡い期待もあったのだが、予想外のスピード裁判になったため、それもかなわなかった。
第二審の敗訴後、原告は最高裁へ上告したので、法的な決着はまだついていないが、編者を含む本書の執筆仲間は、裁判という手法に頼らず、歴史的事実の解明を進め、最終判断は後世に委せる志向をあらためて確認した。
本書はささやかではあるが、この志向に沿った産物である。執筆者は多彩な顔ぶれにしたいと考えたが、裁判が政治化した事情を顧慮してか、声をかけても辞退する方があり、最終的に本書のようなメンバーになった〉(329ページ)。
なかなか興味深いことが述べられている。ここで言われている〈第二審〉とは、大江・岩波沖縄戦裁判控訴審のことだが、〈結審前に裁判官に読んでもらい、判決の参考にしてもらえれば〉というくだりには笑ってしまった。裁判がもっと長引いて、結審前に本書が出ていれば判決は変わっていたかもしれない、とでも言いたげだが、夜郎自大もはなはだしい。
〈編者を含む執筆仲間は、裁判という手法に頼らず〉とあるが、編者の秦氏は上告審にどのような見通しを持っているのか。本書の第七章〈集団自決の問題ー同調圧力に屈した裁判所〉で秦氏はこう書いている。
〈原告が第一審の大阪地裁(深見敏正裁判長)の判決で敗訴したのが二〇〇八年三月二八日、直ちに控訴しての第一回公判が六月二五日だから、審理らしい審理はしなかったにせよ第一審が二年半かけたのに比べ異例のスピード裁判と言ってよい。原告は直ちに最高裁へ上告したが、画期的な新証拠が出ないかぎり書面審理だけで棄却される可能性が高い〉(234ページ)。
本書を含めて原告側から〈画期的な新証拠〉が出た、との話は聞かないから、秦氏は〈書面審理だけで棄却される可能性が高い〉と敗訴の見通しを記しているわけだ。本書には藤岡信勝氏や「狼魔人日記」の江崎孝氏も文章を寄せていて、日頃は強がりが得意な右派の論客が顔を並べている。だが、秦氏の一文に示されるように、大江・岩波沖縄戦裁判にすでに白旗を掲げ、実に弱気な有様だ。〈裁判という手法に頼らず〉と書けば体裁よく見えるが、何のことはない、最高裁でも負けそうだからしっぽを巻いて逃げます、と敗北・逃走宣言をしているだけではないか。
その上で活動を〈歴史的事実の解明〉に絞ろうとしているようだが、秦氏らの〈志向〉は右派内部で必ずしも共感を呼んだわけではないらしく、〈声をかけても辞退する方〉があったという。実際、同裁判における藤岡氏や秦氏らとの関わりでいえば、鴨野守氏や恵隆之介氏、チャンネル桜の関係者といった人たちが原稿を寄せそうなものだが、それらの名前はない。
さらに、同裁判を共に進めてきたはずの原告側弁護士たちの名前もなく、そればかりか、弁護団への敵対感情さえうかがえるような批判が目につく。本書には宮平秀幸氏の陳述書が収められているが、宮平氏が二審の法廷で証言を行えなかったことをめぐる弁護団への不満が、藤岡氏によって記されている。
〈裁判は現在、最高裁に上告されているが、事実審理は二審で終了するので、法廷では宮平の証人尋問が行われる余地はない。本人尋問が弁護団の訴訟方針で行われなかったのは、私としては残念であるが、そもそも、法廷が歴史の真実を決定するわけではない〉(88ページ)。
秦氏も宮平氏の証人尋問の件について、こう記している。
〈宮平秀幸の証言が新聞、雑誌で報じられ当然、本人が証人として登場するだろうと予想されていたのに、なぜか弁護団は申請しなかった。裁判官も意外に思ったのか、判決文で「訴訟代理人は、期日前には、当審で宮平秀幸の証人調べを求めるとしていたが、結局、証人申請はなされなかった」(二四〇ページ〉と述べている。証人調べする予定を狂わせられた裁判所の強い不満を窺わせる〉(240ページ)。
実際に宮平秀幸氏の証人調べが行われていたら、さぞかし興味深いものになっていたであろう。大江・岩波側代理人の尋問によって、宮平秀幸氏の〈虚言〉は完膚無きまでに叩かれていたはずだ。原告側弁護団が、次々と変わる宮平証言の危うさに気づき、宮平氏を証人として法廷に立たせたらとんでもないことになる、と判断して証人申請を見送ったのは容易に想像できる。宮平証言が本当に一審判決を覆せるだけの真実性を有していたなら、証人に立たせないはずがないのだ。原告側弁護団の証人申請見送り自体が、宮平証言の真実性のなさを証明している。宮平氏の陳述書は二審で〈虚言と断じるざるを得ず〉とされたが、その具体的な問題点は、本ブログでもくり返し批判しているので、参考にしてほしい。
この宮平氏の証人申請をめぐる問題を含めて、藤岡・秦氏ら支援者グループの一部と原告側弁護団の間には、かなり強い対立と遺恨が生じているようだ。本書に収められた曾野綾子氏との対談で、秦氏は次のように原告側弁護士の一人を激しく批判している。
〈秦 あの判決はむちゃくちゃなんです。ただ、裁判官は初めから結論ありきで、大江氏を勝たせる、沖縄に配慮した、という見方も多いんですよ。
ところがそんな上品な話じゃなくて、もう少し次元が低いんだという見方もあります。原告側弁護団のT弁護士という人はずぼらな人なんです。「天才的だ」と評する人もいますが、準備書面の提出が遅くて裁判官がじっくり読めないわけですよ。
曽野 それは、それは。
秦 もちろん被告の大江・岩波側も読む時間がないので苦情を申し立てる。裁判長が怒って叱責した。
曽野 お困りですよね、それは。
秦 Tさんはさらに法廷へ遅れて来るんですね。まだ到着しませんので、もう少しお待ち下さいと裁判官を待たせたとか。
曽野 じゃ、アフリカ的人なんだ。
秦 ええっ?
曽野 アフリカ的です(笑)。私なんか、アフリカや中南米でそんなつき合いばかりでし(た)から。地球上にはそういう人もいることに馴れていますけど。
秦 日本の裁判官は礼儀がうるさい。それにプライドの高い人が多く、裁判官が入廷しますと「全員起立」と号令がかかります。
曽野 私は一時、裁判の傍聴が趣味だったのでよく知っています。いろんな裁判官を見ました。
秦 ですから堂々と遅れてくるというのは、誇り高い裁判官の心証を悪くします。日本の裁判は、裁判官の心証主義ですから、こんな礼儀知らずの弁護士に勝たせてたまるかとなっても不思議じゃないと友人の弁護士は言っています。原告側支援グループの中でも、T弁護士が心証を悪くしたので、勝てる裁判を負けてしまったとこぼしている人がいるんです〉(132~133ページ)。
〈もう少し次元が低い〉どころか、おそろしく次元が低いこの会話は何だろうか。こういう会話を交わす人物が、右派を代表する戦史研究者なのらしい。ここで問題にされているT弁護士とは、原告側弁護団の中心となって活動していた徳永信一弁護士のことだろうが、私も裁判を傍聴していて、徳永氏が法廷に遅れてやってきたり、準備書の提出が遅れて深見裁判長から注意される場面を目にした。しかし、それで裁判長が心証を悪くしたから〈勝てる裁判を負けてしまった〉という主張には呆れはてる。子どもの喧嘩ではあるまいし、秦氏は最近まで仲間であった徳永弁護士や裁判長を悪し様に言って、それで敗訴の理由を明らかにしたつもりなのか。
原告側の提出した証拠や証言がことごとく真実性を疑われ、説得力を持ち得なかったことへの反省はなく、むしろそれを押し隠して、敗訴の原因が徳永弁護士の個人的問題にあったかのように言うのは、これがついこの間まで支援者として一緒に裁判を闘っていた者の発言か、と驚くほどだ。徳永弁護士をはじめ原告側弁護士たちは、この秦氏の発言を読んで、怒り心頭に発しているのではなかろうか。
注目すべきは、このような会話を含む曾野氏との対談を、編者の秦氏がわざわざ本書に収録している点である。結局のところ秦氏らは、最高裁では自分たちの出番がなく、さらに最高裁でも敗訴の可能性が高いことを見越したうえで、敗北の責任をすべて徳永弁護士ら弁護団に押しつけ、裁判から逃げ出しているだけではないか。
その際、自分たちが二審に宮平秀幸氏を担ぎ出したことの責任を追及されないように、あらためて宮平陳述書を本書に収め、二審で〈虚言〉と断じられたことに抗弁している。そうやってさらなる歴史の偽造と自己正当化を図っているのだ。最高裁の判決が出ないうちから、弁護団と仲間割れを起こして敵前逃亡し、自己保身に汲々としている秦氏らの様子は、姑息かつ卑劣としか言いようがない。
本書を編んだ理由を秦氏は「あとがき」でこう記している。
〈本書を第二審の結審前に裁判官にも読んでもらい、判決の参考にしてもらえればという淡い期待もあったのだが、予想外のスピード裁判になったため、それもかなわなかった。
第二審の敗訴後、原告は最高裁へ上告したので、法的な決着はまだついていないが、編者を含む本書の執筆仲間は、裁判という手法に頼らず、歴史的事実の解明を進め、最終判断は後世に委せる志向をあらためて確認した。
本書はささやかではあるが、この志向に沿った産物である。執筆者は多彩な顔ぶれにしたいと考えたが、裁判が政治化した事情を顧慮してか、声をかけても辞退する方があり、最終的に本書のようなメンバーになった〉(329ページ)。
なかなか興味深いことが述べられている。ここで言われている〈第二審〉とは、大江・岩波沖縄戦裁判控訴審のことだが、〈結審前に裁判官に読んでもらい、判決の参考にしてもらえれば〉というくだりには笑ってしまった。裁判がもっと長引いて、結審前に本書が出ていれば判決は変わっていたかもしれない、とでも言いたげだが、夜郎自大もはなはだしい。
〈編者を含む執筆仲間は、裁判という手法に頼らず〉とあるが、編者の秦氏は上告審にどのような見通しを持っているのか。本書の第七章〈集団自決の問題ー同調圧力に屈した裁判所〉で秦氏はこう書いている。
〈原告が第一審の大阪地裁(深見敏正裁判長)の判決で敗訴したのが二〇〇八年三月二八日、直ちに控訴しての第一回公判が六月二五日だから、審理らしい審理はしなかったにせよ第一審が二年半かけたのに比べ異例のスピード裁判と言ってよい。原告は直ちに最高裁へ上告したが、画期的な新証拠が出ないかぎり書面審理だけで棄却される可能性が高い〉(234ページ)。
本書を含めて原告側から〈画期的な新証拠〉が出た、との話は聞かないから、秦氏は〈書面審理だけで棄却される可能性が高い〉と敗訴の見通しを記しているわけだ。本書には藤岡信勝氏や「狼魔人日記」の江崎孝氏も文章を寄せていて、日頃は強がりが得意な右派の論客が顔を並べている。だが、秦氏の一文に示されるように、大江・岩波沖縄戦裁判にすでに白旗を掲げ、実に弱気な有様だ。〈裁判という手法に頼らず〉と書けば体裁よく見えるが、何のことはない、最高裁でも負けそうだからしっぽを巻いて逃げます、と敗北・逃走宣言をしているだけではないか。
その上で活動を〈歴史的事実の解明〉に絞ろうとしているようだが、秦氏らの〈志向〉は右派内部で必ずしも共感を呼んだわけではないらしく、〈声をかけても辞退する方〉があったという。実際、同裁判における藤岡氏や秦氏らとの関わりでいえば、鴨野守氏や恵隆之介氏、チャンネル桜の関係者といった人たちが原稿を寄せそうなものだが、それらの名前はない。
さらに、同裁判を共に進めてきたはずの原告側弁護士たちの名前もなく、そればかりか、弁護団への敵対感情さえうかがえるような批判が目につく。本書には宮平秀幸氏の陳述書が収められているが、宮平氏が二審の法廷で証言を行えなかったことをめぐる弁護団への不満が、藤岡氏によって記されている。
〈裁判は現在、最高裁に上告されているが、事実審理は二審で終了するので、法廷では宮平の証人尋問が行われる余地はない。本人尋問が弁護団の訴訟方針で行われなかったのは、私としては残念であるが、そもそも、法廷が歴史の真実を決定するわけではない〉(88ページ)。
秦氏も宮平氏の証人尋問の件について、こう記している。
〈宮平秀幸の証言が新聞、雑誌で報じられ当然、本人が証人として登場するだろうと予想されていたのに、なぜか弁護団は申請しなかった。裁判官も意外に思ったのか、判決文で「訴訟代理人は、期日前には、当審で宮平秀幸の証人調べを求めるとしていたが、結局、証人申請はなされなかった」(二四〇ページ〉と述べている。証人調べする予定を狂わせられた裁判所の強い不満を窺わせる〉(240ページ)。
実際に宮平秀幸氏の証人調べが行われていたら、さぞかし興味深いものになっていたであろう。大江・岩波側代理人の尋問によって、宮平秀幸氏の〈虚言〉は完膚無きまでに叩かれていたはずだ。原告側弁護団が、次々と変わる宮平証言の危うさに気づき、宮平氏を証人として法廷に立たせたらとんでもないことになる、と判断して証人申請を見送ったのは容易に想像できる。宮平証言が本当に一審判決を覆せるだけの真実性を有していたなら、証人に立たせないはずがないのだ。原告側弁護団の証人申請見送り自体が、宮平証言の真実性のなさを証明している。宮平氏の陳述書は二審で〈虚言と断じるざるを得ず〉とされたが、その具体的な問題点は、本ブログでもくり返し批判しているので、参考にしてほしい。
この宮平氏の証人申請をめぐる問題を含めて、藤岡・秦氏ら支援者グループの一部と原告側弁護団の間には、かなり強い対立と遺恨が生じているようだ。本書に収められた曾野綾子氏との対談で、秦氏は次のように原告側弁護士の一人を激しく批判している。
〈秦 あの判決はむちゃくちゃなんです。ただ、裁判官は初めから結論ありきで、大江氏を勝たせる、沖縄に配慮した、という見方も多いんですよ。
ところがそんな上品な話じゃなくて、もう少し次元が低いんだという見方もあります。原告側弁護団のT弁護士という人はずぼらな人なんです。「天才的だ」と評する人もいますが、準備書面の提出が遅くて裁判官がじっくり読めないわけですよ。
曽野 それは、それは。
秦 もちろん被告の大江・岩波側も読む時間がないので苦情を申し立てる。裁判長が怒って叱責した。
曽野 お困りですよね、それは。
秦 Tさんはさらに法廷へ遅れて来るんですね。まだ到着しませんので、もう少しお待ち下さいと裁判官を待たせたとか。
曽野 じゃ、アフリカ的人なんだ。
秦 ええっ?
曽野 アフリカ的です(笑)。私なんか、アフリカや中南米でそんなつき合いばかりでし(た)から。地球上にはそういう人もいることに馴れていますけど。
秦 日本の裁判官は礼儀がうるさい。それにプライドの高い人が多く、裁判官が入廷しますと「全員起立」と号令がかかります。
曽野 私は一時、裁判の傍聴が趣味だったのでよく知っています。いろんな裁判官を見ました。
秦 ですから堂々と遅れてくるというのは、誇り高い裁判官の心証を悪くします。日本の裁判は、裁判官の心証主義ですから、こんな礼儀知らずの弁護士に勝たせてたまるかとなっても不思議じゃないと友人の弁護士は言っています。原告側支援グループの中でも、T弁護士が心証を悪くしたので、勝てる裁判を負けてしまったとこぼしている人がいるんです〉(132~133ページ)。
〈もう少し次元が低い〉どころか、おそろしく次元が低いこの会話は何だろうか。こういう会話を交わす人物が、右派を代表する戦史研究者なのらしい。ここで問題にされているT弁護士とは、原告側弁護団の中心となって活動していた徳永信一弁護士のことだろうが、私も裁判を傍聴していて、徳永氏が法廷に遅れてやってきたり、準備書の提出が遅れて深見裁判長から注意される場面を目にした。しかし、それで裁判長が心証を悪くしたから〈勝てる裁判を負けてしまった〉という主張には呆れはてる。子どもの喧嘩ではあるまいし、秦氏は最近まで仲間であった徳永弁護士や裁判長を悪し様に言って、それで敗訴の理由を明らかにしたつもりなのか。
原告側の提出した証拠や証言がことごとく真実性を疑われ、説得力を持ち得なかったことへの反省はなく、むしろそれを押し隠して、敗訴の原因が徳永弁護士の個人的問題にあったかのように言うのは、これがついこの間まで支援者として一緒に裁判を闘っていた者の発言か、と驚くほどだ。徳永弁護士をはじめ原告側弁護士たちは、この秦氏の発言を読んで、怒り心頭に発しているのではなかろうか。
注目すべきは、このような会話を含む曾野氏との対談を、編者の秦氏がわざわざ本書に収録している点である。結局のところ秦氏らは、最高裁では自分たちの出番がなく、さらに最高裁でも敗訴の可能性が高いことを見越したうえで、敗北の責任をすべて徳永弁護士ら弁護団に押しつけ、裁判から逃げ出しているだけではないか。
その際、自分たちが二審に宮平秀幸氏を担ぎ出したことの責任を追及されないように、あらためて宮平陳述書を本書に収め、二審で〈虚言〉と断じられたことに抗弁している。そうやってさらなる歴史の偽造と自己正当化を図っているのだ。最高裁の判決が出ないうちから、弁護団と仲間割れを起こして敵前逃亡し、自己保身に汲々としている秦氏らの様子は、姑息かつ卑劣としか言いようがない。
私は、この二審までの完全敗訴で一番痛手を受けてるのは曽野綾子氏ではないかと思いますね。この対談の後ろのほうで、
「私はもう沖縄問題から足を洗いたいんです。今は「エボラ出血熱」の勉強…」「私にとって沖縄というのは、あまり触りたくない土地になってきました…」
と、沖縄がいい鴨ではなくなって来たことを実感したような言葉を吐いてます。
いい気なものです。37年前に「ある神話の背景」を書き、その後の沖縄知識人の反論を、鼻であしらってきた曽野綾子氏ですが、頭に乗って大江健三郎氏を叩こうとした事は「無謀」だったでしょう。