現在、高校で学ぶ「日本史」は戦前「国史」と称されていた(旧字体「國」が使われていた)。しかるに「国語」はこれまでどおり「国語」である。なぜ「日本語」にならないのか。それにはそれなりの理由がある。
(1)戦前の「国史」とは
現在の日本史教科書には、三世紀の倭の女王「卑弥呼」が必ず登場する。邪馬台国が九州か大和かはさて置いて、倭女王・卑弥呼が中国(魏)に朝貢して、「親魏倭王」の金印を授けられたことが書かれている。「親魏倭王」とは、魏の皇帝の臣下として冊封されていたことを意味する。「国史」教科書には全く触れられていない。
日清戦争に勝ち、東アジアの盟主としての地位を確保しつつあった日本が、古代に中国の属国であったなどの事実は一般国民には知らせたくなかったのである。しかし、大学の研究者がこのことで論争することはわりと自由であった。この点では、現代でも平気で歴史を捏造する近隣国とは違っている。ただし、「記紀」が日本の正史であることは時の政府の基本方針であった。(紀元は二千六百年)
卑弥呼に代わって「国史」に出ていたのが「記紀」の「神功皇后」である。神功皇后の三韓征伐は日本の朝鮮支配の理論的裏付けとなった。神功皇后が実在したのかどうか、古代に日本が朝鮮半島南部を支配していたのか(任那日本府問題)はさて置いて、古代より今日に至るまで、日本は天皇をいただく東アジアの強国であったことを子供たちに教えるのが「国史」の目的であった。
あと一つは、天皇に対する絶対的忠誠心を植え付けること。その結果、楠正成や新田義貞は忠臣であり、足利尊氏は逆臣と教えられた。(今日では信じがたい話だが、栃木県足利市出身者は肩身の狭い思いをしたらしい)。 つまるところ、「国史」とは忠君愛国を教える教科であったのである。
(2)戦後の「日本史」と「国語」
戦前の天皇制イデオロギーの呪縛から解放された日本は、新しい日本史像を構築した。歴史を文献史料をもとに、より公平にあるがままに記述するようになった。「国史」との決別である。卑弥呼が登場し、足利尊氏も復権した。
しかるに、「国語」は「日本語」とならなかった。なぜか。それには「国語」の由来を知らなければならない。
もともと、今の「国文法」の土台を作ったのは幕末の国学者である。「国学」とは外来思想である仏教や儒教を排し、日本古来の精神に日本人としての拠り所を求めようとする学問であった。当然、万葉集や古事記の研究が中心となり、幕末の尊皇攘夷運動の精神的支柱となった。つまり、日本は古来、万世一系の天皇を中心とした国であり、日本語も悠久の昔からこの列島に存在するものであるとの観点から、明治の国語学者がほぼ現在の形にまとめ上げたものである。つまり、「国語」とは「国学」の一形態なのである。
「国語」「国文法」との用語は日本人が日本の心を知るためのものであり、言語としての日本語を学ぶ学問ではないのである。有名な国学者、本居宣長の歌
敷島の大和心を人問わば朝日に匂う山桜花
「国語・国文法」とはまさに「大和心の発露」なのである。そこには言語の文法とはかけ離れた奇妙な論法が展開されている。私がこれまで述べてきた形容詞の活用がそうであり、極め付けは形容動詞である。「静かな」「平和な」がなぜ形容詞的意味を持つ動詞(形容動詞)で活用するのか、日本人も理解できないし、まして外国人にはなおさらである。「 平和 peace 」は万国共通の名詞であるのに。どの国語辞典にも「名」「形動」と二つある。
言語としての日本語は「日本語」「日本語文法」と呼び、外国人のためにのみ使われる用語である。もし、日本の学校で学ぶ「国語」を「日本語」に統一した場合、当然、「国文法」は「日本語文法」との整合性が求められる。日本語文法には二種類の文法体系があるなどという詭弁は許されない。「静かな」を「形容動詞」とするか、それとも日本語文法のように「な形容詞」とするかがその一例である。
しかし、これ(国語と日本語の統一)は絶対に無理である。なぜなら、「国文法」を正式の「日本語文法」として文科省が認定し、これを外国人に教える教師に国家資格を与えたとしても(フランスはそうである)、この国家資格日本語教師に教えられる外国人たちは、おそらく、全く理解できないと授業をボイコットするであろう。まして、外国の大学などの日本語教育機関に派遣された場合、その大学から「もういいから帰ってほしい」と通告されるのがオチであろう。「未然、連用、終止・・」など日本の生徒もチンプンカンプンなのに外国人に理解できるわけがない。
そのことが分かっているから、日本の国語学者も「国文法」を正式の「日本語文法」とせよとは言わない。川端康成の「あいまいな日本」ではないが、「曖昧な国語・国文法」でいいのである。「国語・国文法」とは日本の心を知るための「国学」であり、言語(日本語)の文法ではないのであるから。これでは、日本の生徒が可哀想である。
<追記>
あるテレビ局がドイツの大学の日本学科を取材した番組で、日本語に堪能なドイツ人教授が 「日本人には文法の説明はしてもらわない」 とキッパリ言っていた。多分、その教授は自分なりに日本語の文法を会得しているのであろう。それはおそらく私(小松)の日本語文法理論と同じではないかと勝手に想像している。
外国人にとって日本語のような膠着語とは、単語に様々な接尾辞 suffix をくっ付けて文を作る言語であり、日本語の助詞も助動詞も、つまるところ suffix であり、「広い」「広く」「静かな」「静かに」の「い」「く」「な」「に」もすべてある意味を作る接尾辞と理解し、学生たちに教えていると思われる。これを国文法のように活用(語形変化)するとか、(外国人向け)日本語文法のように「広く」は形容詞「広い」の副詞的用法などと言うから、日本人に文法の説明は御免こうむりたいと言ったのだと思う。日本語は本当にやさしい言語なのである。
日本語がアルタイ語的(膠着語)要素を持つ言語であることは従来から言われてきたことである。最後に今一度、国語(日本語)教育について触れたい。