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日本語の諸問題 (34) 「ただし」の語源

2015年05月14日 | Weblog

 日常、よく目にする 「粗品さし上げます。ただし、先着100名様限定」などの広告、この「ただし」の語源について「国語辞典」や「語源辞典」には意味は説明されているが、語源について明確に書かれているものはない。語源が分からないのである。私の日本語文法理論では単純明快。動詞「正す(ただす)」の名詞形「ただし」である。これが副詞化したものと考えられる。

「正す」は国文法では「さ、し、す、す、せ、せ」と活用するが、現代日本語ではあまり使われない。「直す」や「訂正する」にとって代わられている。「襟(えり)を正す」などのように文語的表現が主流になっている。この名詞形「正し」に様々な接尾語が付いて「正しい」「正しく」などのように単語を作ってゆく。つまり、「ただし」とは「正確に言えば」「正しくは」との意味を持つ副詞なのである。「飲み放題、ただし、30分以内」は「飲み放題ではあるが、正確に言えば30分だけである」との意味になる。「ただし書き」との言葉も「補足説明」の意味でよく使われる。また、「ただ、次のことだけは言える」の場合の「ただ」も「真実、事実」の意味なので、「正(ただ)」と同語源である。その他、「つまり」の語源について、「語源辞典」には動詞「詰まる」の連用形(名詞形)から出来たとある。「ただし」の語源とまったく同じ用法である。

 -英語との類似性ー

 英語の  just  を辞書で引くと形容詞として 「正しい、公正な、正当な、正確な」などの意味があり、副詞として 「ちょうど、たった今、まさに、きっかり」などがある。その他に「ただ、単に」の意味もある。「まさに」の「まさ」は「柾目、正目(まさめ)」「正夢(まさゆめ)」のように「正しい、本当」の意味であり、これに助詞「に」が付いたものにすぎない。「まさか」も同様、「まさ(正)・か」であり、類似語に漢語を使った「本当か?」がある。また、「まさ(勝、優)る」も「まさ(正)」を動詞化したものである(正義は必ず勝つということか)。「まさしく」も古語形容詞「まさし」に「く」が付いたものである。

 ここで、興味を引くのは  just  に 「ただ、単に」 の意味があることである。日本語の「たった今」は「ただ今」が音便化したものであるので(『広辞苑』もそう説明している)、「ただ今」の「ただ」も「正す」の語幹「ただ」である可能性が浮上してくる。また、「ただちに」もその派生語であろう。『広辞苑』には 「ただし」 の語源についての言及はない。

  英語の  just now  を日本語に訳せば「ただ今」もしくは「たった今」となる。 just (正確)と日本語「ただ(正)」が同じ用法を持っているのは偶然とは思えない。「ただ単に」「たった100円」「ただの教授」(本の題) 「タダ(無料)」などの言葉もすべて語源が「ただ(正)」に由来する言葉であろう。だからと言って日本語と英語は関係があるなどと言っているのではない。所詮、人間の考えることはよく似ているものだということである。

 <追記>

 大方の日本人は中学・高校の6年間英語を学ぶ。ここで、英語の文法はなんと合理的に出来ているのかと、初めて言語の文法に触れたように思う。 just  の名詞形は  justice  (正義、公正)、  動詞形は  justify  (正当化する) のように様々な接尾辞が付いて単語を作ってゆく。一方、中学で学んだ日本語文法(国文法)では動詞や形容詞の活用表などを暗誦させられ、今にして思えば、あれが文法なのかと怒りすら覚える。本当に国文法が正式の日本語文法であるならば、日本国文部科学省はフランス同様、この国文法を英語で外国人に教えられる人材を国家資格者として養成すべきではないか。日本の学校で教えられているのと同じ文法を、日本語を学ぶ外国人も学習する。至極、当然のことである。うそ偽りの文法を教えるなど、日本語を学ぶ外国人に対して失礼である。 ーこれは皮肉ー

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