「墓(はか)」の語源については諸説あるが、一番有力と思える説は岩波版『古語辞典』(大野晋編)に出ている。古語に「はか」という言葉があり、その意味は三つある。それは
(1) 稲などを刈り取る予定の範囲や量 (2) およその見当、目安 (3) 仕事などの進捗状態
この場合(1)が本来の意味であり、(2)と(3)は派生的な意味とある。なぜなら、(1)は万葉集に例があるが、(2)(3)は平安朝以後の文献に出てきている。つまり、「はか」とは区切られた一定の範囲をさす言葉であり、これが「お墓」に使われるようになったのであろう。さらにこの辞典には「はかり」(計り、測り)はその動詞化とある(動詞はすべて連用形で表記されている)。なお、「はかどる」(物事の進捗状況)は「はか」に「取る」が付いたもの。
また、『日本語語源辞典』(藤堂明保編)にも同様の記述がある。それには「はか」について、「面積(広さ)、分量(重さ)、距離(長さ)に関して事物のなりゆきに区切りをつけること、ひいては事柄の進み具合、結果がはっきり見渡せること、またその結果をいう」とある。そうして、「図る」「量る」「計る」「測る」などの言葉は名詞「 はか」の動詞化されたものであると書かれている。藤堂氏は漢字学者であり、国語学者ではない。しかし、この両人とも日本語には名詞を動詞化する文法機能があることを認めているのである。これは一体どういうことなのか。なお、アルタイ系諸言語には名詞に接尾辞をつけて動詞化することは顕著である。ウズベキスタンの小学校国語教科書( ona tili・・母語 )にはちゃんとその説明がある。
<追記>
本稿を読まれた方は日本語が名詞を動詞化する文法機能を持っていることなど思いもよらないであろう。なぜなら、唯一の日本語文法(国文法)の学校教科書にはそのような記述はいっさい無いからである。しかし、日本の若者は「事故った」(事故る)、「ミスった」(ミスる)というように無意識的に動詞化して使っているのである。ところが、昔の人もこの「はかる」のように名詞を動詞化していたのである。(先に書いた「真似る」も同じ用法、王朝時代は「まねぶ」)。このような動詞化の文法機能は英語にもある。例えば、wide が widen (広げる)。この場合 -(e)n が動詞形成の接尾辞である。日本語の「高まる」「高める」「広がる」「広げる」「広める」なども形容詞語幹に接尾語を付けて動詞化したもの。人間の考えることはよく似ているものである。
「はかる」の他にも「帯(おび)」から「帯びる」、「曇(くも)」から「曇る」、「宿」から「宿る」、「腹」から「はらむ」、「綱(つな)」から「つなぐ」などの動詞が出来ている。なにも名詞だけではなく、形容詞語幹「高(たか)」から「たかる」、古語形容詞「聡(さと)し」の語幹「さと」から「悟(さと)る」、その名詞形(連用形)は「悟りを開く」として使われている。また、擬態語「そよそよ」から「そよぐ」、「ゆらゆら」から「ゆらぐ」、「ころころ」から「ころぶ」のように動詞化は日本語の基本文法の一つと言えるものである。しかるに、国文法教科書にはこの重要な文法機能にはまったく触れられていない。もはや故人となられた大野氏や藤堂氏はちゃんと自著の本には書いているのに。日本の子供たちにはこのような難解な(?)文法は無理とでも思ったのであろうか。一体全体、国語(日本語)教育はどうなっているのだろうか・・。