神社にある神を祭る小さな建物、「ほこら(祠)」の語源について、たいていの「語源辞典」は「ほくら(秀倉、宝蔵)」から転じて出来た言葉だと書かれている。その説明では、「ほくら」の「ほ」は「誉める」(古語の「ほむ」)の「ほ」で「誉」「秀」などの漢字が当てられる。名詞の「ほまれ(名誉)」も同源であるとのこと。「ほくら」から「ほこら」への音変化は一見もっともな説のようであるが、それを証明するものは何もない。私は「ほこら(祠)」の語源は日本の古代史と密接な関係があると思っている。
ー鉾(ほこ)には神がやどるー
毎年、京都で行われている祇園祭り、そのクライマックスは「山鉾巡行」(やまほこじゅんこう)である。日本各地に見られる神社の祭礼には必ず「山車(だし)」とか「神輿(みこし)」が町内を巡る。「だし」とは「出す」の連用形(名詞形)、「みこし」の「こし」は「越す」の連用形(名詞形)である。(神様がお越しになるとの意味)。その山車や神輿には神様がお乗りになっている。私の郷里の徳島でもよく見られるのであるが、なんとその神輿の前を「鉾(ほこ)」を持った神主が歩いている光景がしばしば見られる。日本では古来「ほこ(鉾)」は神霊が宿る神聖なものとされてきた。いまでも神社の神宝として本殿に祭られている所もある。
この「鉾」はすでに九州北部の弥生時代の遺跡から大量に出土している。鉾は鏡や剣と同様に古代の倭人は、なにか神(霊力)が宿るものとして神聖視している。この「ほこ(鉾)」こそ「ほこら(祠)」の語源ではないか。「ほこ・ら」と読んで、「ら」は「たから(宝)」の「ら」と同じ。「たか」は「高、貴」なので、「ら」は「高さ」の「さ」と同じように接尾語のひとつであり、形のある物を意味する言葉を作ると考えられる。「ほこら(祠)」とは「ほこ(鉾)・ら」つまり、神のいます神聖な場所という言葉ではないのか。我々日本人は2000年前の弥生時代以来の精神文化を今に持続し、信仰している。この神社の「ほこら(祠)」もその一つなのではないのか。
なお、動詞「誇る」も、「ほこ(鉾)」に動詞形成の接尾語「る」が付いたものと考えられる。昔の人は鉾をかざして、霊力が付いたと誇ったのではないか。なお、「誇り」はその名詞形(連用形)。