昨晩、夕食を終え家族でTVの前のソファーでくつろいでいた。
私は横に座っていた子供に折り紙を作ってやっていた。子供は一枚の四角い紙が色んな物に姿を変えるのをジッと見つめていた。
横にいた母ちゃんがそっとわき腹をつついてきた。無言で目は真っ直ぐTVに向いている。
視線の先にあったのはこの一枚の写真。
敗戦直後 長崎で米兵が撮った有名な写真だそうだ。(高校の英語の教科書にもこの写真があるらしい)
噛みしめるごとく固く結んだ口、涙をこらえ歯を食いしばり、直立不動の姿勢で火葬の列に並ぶ子供の姿。
昭和20年8月29日に長崎の原爆被災地において、アメリカ海兵隊従軍のジョー・オダネル氏によって撮影されたものであるという。
ジョー・オダネルのコメント(朝日新聞社写真展コメントより抜粋)
「佐世保から長崎に入った私は、小高い丘の上から下を眺めていました。
すると白いマスクをかけた男たちが目に入りました。
男たちは60センチほどの深さにえぐった穴のそばで作業をしていました。
荷車に山積みした死体を石灰の燃える穴の中に次々と入れていたのです。
10歳くらいの少年が歩いてくるのが目に留まりました。
おんぶひもをたすきにかけて、幼子を背中にしょっています。
弟や妹をおんぶしたまま、広場で遊んでいる子供たちの姿は当時の日本でよく目にする光景でした。
しかし、この少年の様子ははっきりと違っています。
重大な目的を持ってこの焼き場にやってきたという強い意志が感じられました。
しかも足は裸足です。
少年は焼き場のふちまで来ると、硬い表情で目を凝らして立ち尽くしています。
背中の赤ん坊はぐっすり眠っているのか、首を後ろにのけぞらせたままです。
少年は焼き場のふちに、5分か10分も立っていたでしょうか。
白いマスクをした男たちがおもむろに近づき、
ゆっくりとおんぶひもを解き始めました。
この時私は、背中の幼子がすでに死んでいることに初めて気づいたのです。
男たちは幼子の手と足を持つとゆっくりと葬るように、
焼き場の熱い灰の上に横たえました。
まず幼い肉体が火に溶けるジューという音がしました。
それからまばゆいほどの炎がさっと舞い上がりました。
真っ赤な夕日のような炎は、
直立不動の少年のまだあどけない頬を赤く照らしました。
その時です、炎を食い入るように見つめる少年の唇に
血がにじんでいるのに気がついたのは。
少年があまりにきつく噛みしめているため、
唇の血は流れることなく、ただ少年の下唇に赤くにじんでいました。
夕日のような炎が静まると、少年はくるりときびすを返し、
沈黙のまま焼き場を去っていきました。背筋が凍るような光景でした。
原爆で両親をなくしたうえ、最後に残った家族である弟(背中にいる子)さえもその後息絶えたのだ。
生老病死、絶対避けられない事であるが、戦争という本来避けられる事態によって理不尽に家族を失う事だけは嫌だ。
大戦後、日本は戦争状態にはない。平和なはずである。
しかし、交通戦争って言葉もある。
今回の事故で私が死にかけた事もあり、この文章を打ち込みながら、この少年、背中の子供に自分の家族、自分が重なり涙があふれてきた。
ぐっすりと眠ったかのような背中の子供の顔、、、、涙
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どうしようもないんです、
戦争って嫌ですね、
弱虫な自分で良いです、
隅っこで小さな幸せで暮らせて、
無事に往生出来れば、
幸せって比較するもんでしょうかねえ、
世の中と出来るだけ関わらずにいた方が、
精神安定で長生きで幸せになれたりして、
幸せなのに幸せを感じない人生も辛いけど、、、
う~~ん、やっぱし、幸せや不幸って比べる物なのかなあ?
不幸な少年で涙するのは情ですけど、
こんなんじゃ涙が涸れちまいます、、、ぐすん。
この少年の前をきっと見据えた意を決した顔、背中のもうすでに息絶えてはいるが眠っているかの様な顔・・・。
死んでしまった者は当然、意識も意思もありません。魂というのがこの世に本当に存在するのかわかりません。しかし残されてしまった者の心の中には存在し続けます。この少年の心中の既に両親を失い、さらには唯一の兄弟を失ったその悲しみは計り知れません。しかしその前を見る眼光に自分自身のこれから強く生きなければという意志を感じ取りました。
私も家族揃って同じ部屋で寝ていますが、子供が本当に息をしているのか気になります。起きている時はまとわりついて自分の事をさせてもらえない事も大変ですが、もし突然、目を閉じたまま再び開ける事のない状態にでもなる事がどちらかにあるかもしれません。
一期一会、今の瞬間は今しかないと大切にしていきたいと思っています。
今回の事故でもう数ミリ切れていたら動脈に達して、私が目を開ける事もなかった危機的な状態を体験して、更にその思いも強いです。
偶然の事故でもそんな状態になったら悲しい。しかし、人為的な「戦争」によって命を失う事は本当に悲しい。現にロシア、グルジアが戦争になっています。
なんとかせねば、、、って出来る事はホント小さい事でしかありませんが。
仕事場の待合室の壁の隅っこに開業以来、こそっと「戦争の無益」さを訴えるポスターを貼っています。
この写真を使ってポスター作るつもおりでいます。
死ぬのは歳の順番でいいです。