■■■Take the 'R' Bike■■■

『R自転車で行こう!』・・・R(ラバネロ)号に相応しいローディになるべくR(ロード)の「道」を修行中の40半ば♂。

無事到着!

2008年12月31日 | 育児・家族・自分・日常
朝6時過ぎには出発。渋滞もなく予定通り、ってかしまじろうタウンのあるイオンに到着が開店2分前という緻密さ。
ナビなくとも道は楽勝でした。
久しぶりの『牧のうどん』で昼飯。その後天神の三越ヴィトンで母ちゃんに財布買って西新の友人宅へ。
博多は輸入車多いですね。
夕御飯は河豚らしい。楽しみ。
皆さんよいお年を!

来年こそ・・・

2008年12月31日 | 育児・家族・自分・日常
小さい頃は一年が長く感じていたのに、歳をとると一年があっという間です。
(今でも結婚式での乾杯前の挨拶だけは長く感じますが・・・)
さすがに来年は自分の足車を買って、家を建てなきゃね。
(情報収集に必要なPC修理が一番先かな。)

子供も随分体調がいいので、福岡旅行に行ける事になりました。
移動中です。
今年最後の運転はRANGE ROVERでゆったり、まったりと思ったのですが、PASSATの実力を確かめたい気持ちがどうしても強くPASSATでの福岡旅行となりました。
よく考えたら福岡は昔住んでいたのでナビはいらないかなと。。。
基本的な道だけでなく裏道もは知っているので、渋滞する時期みたいに臨機応変に新しい抜け道を探す時はナビより地図の方が短時間で複数ページが見易く、全体的なルート設定の組み立てもし易いって事もあります。
あとボケ防止にも・・・。

あと少しで着きそう。
友達には以下の文をメールしておきました。
『一つお知らせしておきます。
息子は、一昨日までは大変お利口ないい子でした(見せてやりたかったやなぁ)が、本当に残念ながら昨日から反抗期になり、キカンタロになりました。
本当に一昨日まではいい子だったのですが・・・』

予期せぬ死

2008年12月30日 | 育児・家族・自分・日常
今年一番の出来事は本当に死ぬ寸前までを体験した事でした。距離わずか(切れた静脈から動脈まで)数ミリもう少し深ければ今頃は天国でした。
たった数ミリの違いで拾った命。
自分の中でも何かが大きく変化した。
朝起きて目が覚める事、目が覚めて身体が自由に動く事など当たり前の事に感謝するようになった。
より一層家族との時間のその時、その時の『瞬間』を大事にしようと思った。
子供を叱ったままにしない。もし寝る前に叱ってその夜に心臓発作で死んだら、子供の覚えている最期の顔は『父ちゃんの怒った顔』になっちまう。そんなの嫌だ!
母ちゃんにも同じ。
従業員にも同じ。
怒らないといけないところではキチンと怒る。
が、その怒った顔を忘れさせるほどの笑顔でなるだけ早くフォロー。


一昨日は元気だったのに突然死したPCを前により一層そう思えた。
今朝もしかしたら『直っているかも』と思ったPCはやはり突然の心臓発作で還らぬ人となったまま・・・。トホホです。
              by携帯でR

(T_T)

2008年12月29日 | 育児・家族・自分・日常
PCのバッテリーが充電されていない状態になっているのに2、3日前に気付いた。
ACで使用していたが、今朝使用している最中に電源のコードが抜けてしまった。

・・・でこんな状態になりました。
セーフモードでもその下のでもダメ。
あーーーーーーっ、どうしましょ。

アノ世とこの世の距離は数センチ!

2008年12月27日 | 事故orz

その日雨が降って走行出来ない天気だったら・・・
その日に練習のスタート時間が1秒でも速かったら(遅かったら)・・・
途中で喉が渇いた時に停車してドリンク補給を行っていたら・・・
途中気分が変わりコース変更していたら・・・・
事故に遭遇しなかった。回避できていた。
しかし車にはねられてしまったのは事実。
これはまぎれもない不運!

メットを被っていた。
メットの厚みの分だけ、ガラスに食い込まず動脈切断ギリギリまぬがれた。(隣の静脈は切断)
メットによって地面に頭から崩れ落ちていったが、後頭部が保護された。
夏でも万一の為に着ていたハイネックの分ガラスが食い込まなかった。
ハイネックの分細かいガラスの破片が大きく裂けた首の創面に入り込まなかった。
静脈から大量に出血したが、車で通りかかった看護師さんが加害者に止血するように指
示。
骨折は一箇所もなかった。
これは、、、、、、幸運!

こうして元気に来年を迎えられるのは、一番はメットのおかげです。
術中の写真でも動脈が見えているし、あの厚みがなくもっとフロントガラスに突っ込んでいたら、、、、。
メットの厚みを見る度にこのわずか数センチの厚みが「この世とアノ世」の距離だったなぁと、感慨深いものがあります。
当たったついでにコレも当たりますようにと入れてみた。パンパン!

ん?よく考えたら、「急所を外してくれた」訳だから、、、、笑


冬の『生え』

2008年12月26日 | 事故orz

景色がビュンビュンと気持ちよく後方に流れていく。
太陽の日差しも眩しい初夏の昼であった。
気持ちのいい汗が浮かぶのだが、自転車のスピード自体が風となり汗がすぐに乾き冷やしてくれる。
遠くまで田畑が広がる見通しのよい一本道をロードレーサーEASTON号で疾走していた。
仕事場まであと1キロくらいになったのでいつものように、ゆっくりとケイデンス(回転数)を落としてクールダウンに入る。
呼吸も次第に整え、ゆっくりと漕ぐ足をポンプとして全身の隅々まで血液を送り出し、練習で溜まった老廃物を押し流す。
交差点が近づいてきた、ゴールまで500m、時間は充分にある、ゆっくりでいい。

突然、走ってきた対向車が急に曲がってコチラに勢いよく突っ込んでくる
「な、何で?」


ここで目が覚めた。
今日は2009年正月。新しい年の始まりなのだが、病室で迎えた。
窓の外に目を向けると今年は晴天に恵まれたようだ。初日の出もきっと綺麗だっただろう。
隣の病室のTVから琴の「春の海」が静かに流れていた。
いつもは廊下に騒然とした足音が響く時間帯だが、患者も正月の一時外泊許可をもらった人が多いらしくいつもより少なく静かである。
再び天井に視線を向ける。天井の幾何学模様を昨年は何回数えた事だろう。数すら覚えてしまった。
季節はずれのハエが一匹。夏には何匹もいて目で追っていたのだが、すっかり姿を見る日も少なくなった。
その一匹もジッと動かないでいる。
今日も長く退屈な一日が始まるのだろうか。


廊下に聞き覚えのある足音が二つ。
この足音は。
病室の扉を開ける音が聞こえた。
「おめでとう、パパァ!」
外はまだ寒いのだろうか赤いほっぺをした息子がペタペタとスリッパの音を乾いた病室に響かせベッドの脇に走り寄る。
そして私の手を触ったようだった。
残念ながら、実際その手が冷たいのか、暖かいのかはわからない。
頭をなぜてやりたいのだが、それも叶わない。
首から下が動かなくなってもう半年たつ。


二人して大晦日から実家に泊まってたらしい。
「色々親と話をしたのだけど、、、コレ」
私の視界の外に立っていた嫁が手に持った紙を私に見えるように目の前に差し出した。


離婚届。


コツコツと二つの足音が遠ざかるのをただ呆然と聞いていた。
そして、また静寂が戻ってきた。
天井を見た。まだハエは動かないで先ほどの場所にいた。

                                           by R
 



いやーホント今年は本当にやばかったんだよなぁ。首の静脈がバッサリと切れはしたが、動脈までは「ヘルメットの厚さの分」かろうじて届かず、骨?脊椎にも全く異常がなかったのが幸いでした。
万一命が同じく助かるにしても不随症状が出るような状態であったら、大変でした。動脈までバッサリやって即死だった方がまだましだと思った事でしょうね。
子供が小さいのに加えて私が要介護となったらあながち上のような話になる事もありえます。いや、きっと迷惑はかけられないと自分から離婚届を出していたかもしれません。
あくまで「今回は良かった」、、、だけです。今年の事故で沢山の事を考えさせられました。それはまた、後日。
昨年までは正月のお守り買うときもそんなに信心はなかったけど、こうして命があるのはお守りのおかげかしら。。。



正月の予定

2008年12月26日 | 育児・家族・自分・日常

年もあとわずか、一週間きりました。
年末は今週27日の土曜日は通常土曜は仕事は休みですが、仕事場の大掃除を従業員全員でしてその後に忘年会に突入。
なんか最近入った娘が、「飲める」らしいので楽しみです。私も久しぶり飲もうっと。
28日日曜日に仕事場の床にせっせとワックスかけて、29日月曜、30日火曜の午前中までは再び仕事。
火曜の午後は「たな卸し」等の事務仕事を終わらせ次第今年の仕事は終了。


年、大晦日から正月は兄弟の家族皆で実家に泊まるのであるが、今年の大晦日から正月は博多で過ごす予定にしている。
福岡の大学時代の友人の実家にソロソロ遊びにこないかと誘われているのである。早良区の西新という西南学院大学の近くにあり、福岡タワーにも歩いていける距離の街中である。毎月の様に博多には出かけていた私達だが、子供が生まれてからずっと博多には行けなかったのでとても楽しみだ。
そこの家には昔、一時居候して住んでいた事もあり、兄弟の様によくしてもらっている大親友の家である。以前にも何度かそこで正月を迎えた事があるが福岡の自分の家の様に居心地がよい。母ちゃんも行った事があり、「一週間くらい泊まるから先に帰っていて」などとほざいている。
て今回の小旅行、RANGE ROVERかPASSATどちらでいくかで迷っている。
今回は正月の真っ只中であり渋滞が予想され、子供がいるためにかつての様に深夜の走行で渋滞を回避する事が出来ないので乗車時間がかなり長くなる可能性が限りなく高い。
費と渋滞で余計燃費が悪くなる事を考えるとPASSATだし、また長距離巡航能力と疲労度を試してみたい気もする。母ちゃんもPASSATは楽勝で運転出来ると言っている。
が、唯一の欠点は母ちゃんの買い物、子供の送迎用の車なのでナビをつけていないのである。
RANGE ROVERはナビがあるがご存知の通り、大飯食らいである。それと気がかりなのが福岡は雪が降る事があるのだが、ただでさえタイヤがデカイので万一積雪の際にはチェーンを買わないといけない。そのチェーンがないかもしれない。
渋滞時の「運転」に関しては視界の点から言うとRANGE ROVERが絶対楽である。それと通常の運転であっても見切りがいいっていうのでしょうか、バックでの駐車等でも意外とPASSATより大きいRANGEの方が運転しやすい気がします。慣れているからかもしれませんけど。
コレくらいの幅寄せも簡単。

後は子供と母ちゃんがどちらが楽にくつろげるかですが、、、コレはまだPASSATのシートに長時間座った事がないのでこれっばかりはわかりません。少なくともRANGEなら間違いは絶対ないでしょうけどPASSATも試したい気がする。

今回初めての長時間のドライブ車酔いする可能性もあるし、車内で子供が着替えたり、トイレ等の世話の事も考えるとRANGEがいいのかな。。。
嘔吐した時の為に準備した物はRANGEの方が足元が広い(深い)のでイザって時に使いやすく設置でき、対応し易いってのもあるなぁ。
ずは子供の体調次第ですけど。まだ風邪が良くならず夜中に眠りが浅くなった時に咳き込みすぎて嘔吐する状態が一昨日まで続いています。特に一昨日は4回も嘔吐して皆寝不足になりました。見かねた母ちゃんが私に仕事場で寝た方がいいよっていうくらい咳もひどかった。昨日は薬を変えてもらって落ち着いたのですが・・・。
食欲があるのでまだいいのですが、親のエゴでの無理は禁物。どうなるやら。
けるとしたら、唯一残念なのが「年越し蕎麦」。ウチはオフクロの完全な手打ちでスープも自家製。これがまためっちゃ美味いのです。行けなくなったらそれが食えるから善しとしよう。行けたら、、、、もちろん「長浜ラーメン」、いやそれより「牧のうどん!」で決定かな。


ターゲット!

2008年12月25日 | 

賀状も今朝、無事投函終了。ギリギリ夏休みの宿題終了した気分。
印刷したのを確認後に最後、一筆書くのに少し時間がかかりますが、10年くらい前は毛筆で宛名も文面も手書きしていたのでまだ大変だったので、当時からしたらホント楽勝です。買う枚数も随分無駄がなくなりました。(昔、100枚くらい余らせた経験あります。)
年賀状自体の存在意義を疑問視していました。「毎日、結構頻繁に顔を合わせる人なのに必要あるのかなぁ(直接顔を合わせて言えばいいような)」「仕事上の付き合い(同じ会所属の方)でもそんなに親しくしていない方、殆ど話した事のない人に送る意味があるの?」「子供の写真を送って意味があるの?」など、、、、。
しかし、最近は見方が変わりました。近況が楽しみだったり、びっくりしたり、子供の写真を見てその成長ぶりに感心したり、、、もっと歳をとると「生存確認」の手段になるかもしれませんね。
ただ今でも同じ会に所属する方で「年賀状が毎年来ないとわかっている」方に出してもいいものか少し悩みますね。「出さない主義」ならそれでいんだけど、もしかしたら「私が嫌い」なのかもしれません。出したら先方に迷惑になるかもしれないなぁと、、、、。一応出しますが、いたってシンプルなものを出します。
の年賀状は「割とシンプルな仕事上のそんなに親しくない方へのVer.」「家族の写真『満載』の親しい方へのVer.を数種」の2種類以上作っています。コレも昔と違ってPCで自分で作成できるし、ハガキ自体も「写真用」があるので綺麗に自分の意のままに作れるので面白いですね。数種作ってそれぞれに振り分けて印刷しております。写真は「奇跡の一枚」だけを大きく載せるより、沢山の色んな表情のカットを沢山取り込んだ方が実際の顔がわかり易いので沢山の写真(20枚以上)を使います。ただ、子供の数が圧倒的に多いです。
嫁さんの写真だけは「コレは使ったら駄目」とか某国並みの厳しい事前の検閲があります。笑

【いよいよターゲットにしている土地】
さて現在の最終的なターゲットは何処かというと・・・・
今の借家のすぐ近く。
下の青い線で囲んだ土地は全て大家の土地です。

大家さんちの横に駐車場があってその横です。
現在は三方はフェンスで囲ってあります。
88坪とちょっと小さいです。
周囲は前面は道路、後ろは借家の方と大家さんの来客用の駐車場、向って右横は借家の私有道路、左は左の土地の駐車場。

そうです、4方何も囲まれていない珍しい土地なんです。
以前からいいかもしれないと思っていましたが、前面の道路の交通量が結構あるので五月蝿いかもしれないと躊躇していた所です。嫁も当時は狭いと難色を示していたのですが、広い庭に難色を示すようになった最近では乗り気になってきました。
周囲の環境は実際にそこに何年も住んでいますが、何の問題もありません。
現在、88坪でどのくらい家が建つのか検討中。


メリークリスマス!

2008年12月24日 | 

リークリスマス!
子供も今朝は早く目が覚めて大きな靴下(ウチのばあちゃん手作りのめちゃくちゃデカイ!)に入ったクリスマスプレゼントを見つけて大喜びしておりました。
さすがに九州はホワイトクリスマスはないですね。大学時代の教授に「栗須」先生って方がおられましたが、その先生のお母さんは「マス」という名でした。(実話)
わが夫婦にはクリスマスプレゼントは届きませんでした。「お年玉」に期待します。

て土地のお話。
昨日黒猫師匠の言われた治安、隣人ってのも私も非常に重要だと思います。
「騒音オバサン」、「ゴミ屋敷」、「猫屋敷」(あっ、、、、これ黒猫師匠の事ではありません。汗、、、海外の奴です。世話をしないで沢山の猫ちゃんを不衛生な状態に住まわせていた奴です。)、「クレーマー隣人」、etc、、、、等とトントントンカラリの隣組(古い!)なんて耐えれません。
んな事にならない為、後悔しない為にも出来る限りの「調査」、「情報収集」、「推測」が必要です。
調査、情報収集といってもある程度までしか調べられません。ZENRINの地図に私の仕事上で知り合った人の名を見つけてさりげなく、住環境について聞き出したりして情報を仕入れています。あと昼間の状況と夜では違う環境だったりするので朝、夜間の人通り、照明等。実際にその土地をさりげなく歩き住んでる人の服、顔のチェック。(コレは毎日沢山の様々な人を相手にしているので、初対面でもある程度推測する力を鍛えられているのが役に立ちます。)
あとは防犯上の問題点がないかとか、警察署の位置関係だったり、、、(まぁ、コレは近いから「必ずしも」安心って訳ではありません。実際、私の実家は消防署から僅か100メートルもない所にあるのですが、火事で全焼しましたし・・・)
近くに豪邸でもあれば、そっちが狙われるだろうから隠れ蓑にならないかなぁ、、、と思ったり。自分で泥棒、強盗に入りやすいと思える所は駄目ですね。。。(ってそんな事は思わないけどさ。)
にも周囲の住宅の状況を実際に見た上での推測では、その家の外回りの整理状況、車の車種、車の仕様等で出来る推測も色々ありますよね。
まだ子供も小さいし災害の事もあるので川、用水路の位置、土地の高さも調べます。大雨の時は車で冠水するかどうか土地のはチェックしたり、土地の便利さ、土地の安全度、、、etcなどもあるし、、、こんな事していると中々気に入る土地ってないのですよね。

×【きょうのワンコ】
O【今日の土地】です。
写真の撮り方が悪くて狭く見えますが500坪くらいあります。

この土地は一人の地主さんが4区画に分筆して売りたいという土地です。だいたい一区画が「120坪」。
ただ、その売り出しに当たって南道路の土地は「平屋」という条件がつけられているのです。そうする事によって北側の土地も売りやすくするためです。

周囲は交通の便もよく、閑静な住宅街で治安状況もいい所なので南道路に2階建てでもいいならココでもいいと思ってたのですが平屋ではちょっと・・・。
しかしいい事を思いつきました。
北、南の2区画ともに購入すればいいだけ。これならば南側に2階建てでも文句を言われる筋合いはなくなる。
しかし240坪は、、、必要ないかも。土地を探した初めの頃は200坪くらいで探していました。嫁も広い庭のある家に憧れていました。が、仕事場が300坪あるのですが実際、庭の管理が大変。庭を維持管理する大変さを知った嫁は現在は「広い庭」を管理するのは嫌だと・・・。綺麗な庭を「作る」のは出来ますが、「維持管理」するにはかなりの時間と労力が必要です。子育て真っ盛りの現状としてはない方がいいかな、、、老後にもし庭弄りしたかったら仕事場の土地を使ってもいいわけだし。
といった理由で広い土地はいらないので残りを売るって手もありです。南北2区画を一括購入して南に2階建てを建てて、北側を売る。
それか、ハウスメーカーにこの話をしたら北側でも南側に2階を立てても日陰にならない広さを確保して南を売ってもいいのではと言っておりました。
もしそうするなら、その余った土地を売ってくれるそうです。ホントかなぁ、、、。

まぁ、残った土地にとんでもない人が来る可能性もあるのが欠点かな。
4区画買えば安心だろうけどさ。。。
もっと田舎の方なら500坪でも安いんですけど・・・・。


借景の土地

2008年12月23日 | 

日のうちに年賀状の宛名を打ち出しておいて今朝3時に起きて仕事場で黙々と文面の印刷中です。
文面に結構な枚数の写真を毎年載せるのですが、文面を先に印刷すると「文面部がプリントされる事によって紙面の抵抗」が増すためなのか宛名の印刷の時によくひっかかって中断ばかりしておりました。宛名だと写真に比べ、文字ばかりなので印刷部が少ないので多分抵抗は少ないだろうと今年は宛名からの印刷を試みたのですが思った通りスムーズでした。
あと一息!
間があと少しあるので過去に見つけた土地の話でも・・・
【借景の土地】
この土地が一番気に入っていた土地でした。
ある会社の住宅完成展示会に行って中を見学していた時に、そこの窓からの景色が「素晴らしい!」。なんと隣接する土地が県の林業かなんかの試験場の広大な土地で芝生が綺麗に手入れされた景色なのです。試験場なので人が通る事もなく大変素晴らしい眺めだった。その住宅の横にはまだ240坪ほどの土地があり「売り地」の立て看板が出ていたので、早速問い合わせ・・・。
大阪かどっかの人が持ち主らしかったけど、まだ値上がりするかもしれないから「売れない」との事。。。orz
あー凄く残念。庭をその試験場側につくると凄くいい感じの家が出来ると思ったのですが、タイミング悪かったです。
その後、その「売り」の看板はすぐに撤去されていた。それから数年、毎週そこを通る度に「売り」の看板が出ていないかんぁと心待ちにしていたのだが、、、出ません。
銀行の支店長が時々「家はまだですかぁ」と催促に来るのでその時にそこの土地の話をしたら銀行の方で交渉すると言ってくれたが、駄目でした。
縁がなかったのでしょう。



土地からその試験場の眺め。

こんないい土地はなかなかないです。

唯一、この土地の悪い点をいうなら朝は少しだけ隣が2階建てなので日陰になる事くらいかな。


惜しかった土地

2008年12月22日 | 

年も後10日をきりました。
年賀状をこの週末の二日で印刷する予定が、、、子供の風邪がうつったのか頭痛と発熱があり、やる気が出なくて未印刷の年賀状の山を前に夏休み終盤になっても宿題を終えていない子供の心境を味わっております。トホホ。
私の症状はほっておけば治るし日中は仕事に集中しているので大丈夫なのですが(事故って首の静脈、筋肉をバッサリ切っても翌々日には仕事場に行くくらいだから、熱ぐらいで休むつもりは毛頭ないですけど、、、)、子供は夜中、睡眠が浅くなった時に咳きが出るのですが、咳き込みすぎて嘔吐してしまう毎日で年末までに治るのか心配です。
末は頭を使わなくていいので、土地を探しておりましたが、、、いい物件は見つけられなかったです。
私のような田舎でもバブルの際に県外の中央の人に土地をかなり買われており、その人らが土地がまだ値上がりするだろうと手放さないみたいです。
人口減少は明らかな田舎の土地の値段が上がる要素が果たしてあるのでしょうか。周囲からの移動があり、人口が集中していく要素がある都会ならまだしも、減る一方、の地方にそこまで需要があるとは思えません。人口減少しても核家族化による「家族数単位」の増加による新しい土地の需要が若干はあるとは思いますが、現在不景気で地方経済も厳しい状況が続いている中ではどうでしょう。
れにしても、土地を物色しているとアチコチで「アパート」が建っているのが目につきます。空き地だった所がちょっと見ない間にアパートが建てられているタケノコ状態。しかし先に言ったように人口減少の明らかな田舎なので、これが「居者のニーズ」があって建てられているのかは甚だ疑問です。
土地所有者に「不労所得」っていう美味しそうな「絵に描いた餅」をエサにちらつかせて、「アパート建築受注」で絶対的に収益があるのは何処・・・。
入居者がいなかったら、、、、って実際、建築後に半年以上入居者が埋まらない物件もあります。銀行返済は大丈夫なんだろうかと心配してしまいます。

て来年には土地を決めて家を建てますが、過去に気になっていたが購入にいたらなかった土地たち。
【惜しかった物件その1】
これは6年ほど前には見つけて購入しようかと迷った物件です。
国道から一本奥に入った、便利な土地だけど閑静な場所です。


200坪ちょいの土地で後ろは大型電気店の駐車場ですが、搬入口になっているので車の一般者の出入りはなく静かな土地です。日当たりも良い土地でした。
近くに遊歩道を楽しむ人の為の公共の駐車場があり、来客が多い時に駐車場としても使えそうでした。
が、後ろに大きな建物があるのに気付き、、、、気になり調べるとなんと九電の変電所。
一応、念のために調べました。
「電磁波!」
案の定計測されました。って事で断念。
現在もまだ売れていません。まさかこんな街中にこんな施設があるとは思いませんでした。気付いて良かった。


「パパ嫌い!」、、、orz

2008年12月19日 | 育児・家族・自分・日常

12月17日。この日は12月8日のジョン・レノンの命日とともに12月における忘れられない日となった。
その日、いつもの通り夜7時半頃に帰宅。既に仕事場でシャワーを浴びていたので、寒い洗面台で服をそそくさと着替え、私が一日の中で最も楽しみにしている晩ご飯(一日の中で唯一、精神的にゆっくりと食べられるから、いやここは見栄をはってディナーとでも言っておこうか。。。)を一人味わって食べた。
食後にお茶を飲み、遊んでくれるのを待っていた子供と遊ぼうと、さっきまでゴロゴロと転がって遊んでいた布団を敷いてある部屋に行った。
突然、子供が「パパ嫌い!」
11月で3歳になったばかりの息子の口から初めて聞いた「パパ嫌い。」という言葉。。。子供にいつかは言われるもんだとは覚悟していたのだが、実際に聞くとショーック!orz
・・・・その後2、3回同じ言葉を聞いた。
私もよせばいいのに、きっと何かの間違いと信じたいがために、子供に「パパの事嫌い?」と何度か聞いたのさ、、、、やっぱり「パパ嫌い」だと言われちゃった、トホホ。更にショック倍増。
言葉がボディブローの様に効いてソファーに座り込んだ。。。
しばらくすると子供が何事もなかったかの様に「パパ遊ぼう」と手を引っ張るのでいつものように就寝まで遊んだ。
も思い当たる節はないんだよね。私は滅多に子供を怒らない。それは以前に書いたように親が二人で怒ってしまうと「子供の逃げ場」が家庭内でなくなるので、怒る時は絶対片方だけねとママと役割分担しているからだ。だいたいはママのほうが怒る。(役割分担以上にママが怒っている気がするのだが、きっと気のせいでしょう。時々、ママと子供が本気で同じレベルで争っている気がする事もある、それもきっと気のせい。。。ママが怒るから私が怒る暇もないってのが真相かも、、、笑)
そして、よっぽどの場合は私が注意する。いつも怒らない私だからこそたまに注意するとよく聞いてくれる
最近はそんな場面もなく、だから何が原因で息子が「パパ嫌い」って思ったのかが思いつかなかった。
の日の朝、職場でその日の仕事の準備をしていると携帯がなった。家からだった。
出ると子供が起きたばかりの声で「パパ、ゴーオンジャー見ていい?」と聞く、、、、私「?」
声を少し大きくして「パパァ、ゴーオンジャー見ていい?」と更に聞く「(なんのこっちゃ)えっ?」と私。
母ちゃんが笑いながら電話を代わった。ママ「なんて(子供が)言ってたぁ?」
「えっ、ゴーオンジャー見せてって言ってたよ。なんのこと、、、」
ママ「ゴーオンジャーパパが『見たら駄目!』って言っているって言ってあるから・・・」
「!」、それだぁ!謎は全て解けた。
「ゴーオンジャー」とは日曜日7時30分に放送されている戦隊モノのTV。風刺とパロディが効いていて大人が見ても結構面白い。(悪役としてアノ「及川奈央」が出ていて、お父さんも楽しみにしていたのは秘密さ。。。「アノ」が何を指しているか知っている人は知っている。)

(↑及川さんカワイイ!。役名「ケガレシア」でおじゃる。)
リアルタイムの放送だけではなく、録画しておいて、朝起きてすぐ、目が完全に覚めずにテンションが低い時や、まだ眠たいと布団に戻りたがる子供を起こすのに使っていたり、子供の機嫌が悪い時の誤魔化し、料理、家事などで子供にかまっていられない時に見せていた。
好きな「ゴーオンジャー」を見たら駄目だと言ったのがパパだったら、、、、そりゃあ「パパ嫌い」って言うよね。
前から「ゴーオンジャー」のポーズをとったり、キック、闘うシーンとかを真似をしていたのだが、幼児教室でもそれをやり、元気に暴れまわっているらしいと連絡帳に書いてあった。うーん、教育上(お父さんの教育上も、、、)よくない影響が出てくる可能性高いからもう見せるのはやめようかとママと話をしていた。来年新春には今のシリーズが終わるからそれまでは、、、とも思ったのだが、すぐに次のシリーズが始まってズルズルとなるのは目に見えている。
い立ったが吉日。きっぱり見せるのをやめた。日曜日の朝の放送も見るのはやめた。(息子は残念そうだったが、実は父さんもちょっぴり残念なのであった。ほんのちょっぴり、、、、多分)
今まで見せていたTVを見せないってだけではただの親のエゴになるかもしれない。今までホントは相手をする事が出来るのに、疲れているからと安易な言い訳でTVに逃げていた部分が多少なりともあった事を反省して、TVを見せない分「本を一緒に読んでやる。」「お絵かきをする。」「オモチャを使わない色んな昔ながらの遊びをする。」等、子供と向き合う時間の量を今までより更に増やした。

許せ息子よ・・・・
ちろん大人も子供といる時にはTVは見ない事にした。
以前にも(子供が生まれてすぐの頃に)「TVは見ないようにしようか?」とママと話をした事がある。私は元々あまりTVを見る方ではない。ラジオだと手を休める事なく仕事も出来るのでFMラジオをよく聞いていた、車でオーディオをつけるなら自分の知らない曲とかも聞けるラジオが好きだった。TVを見ない事に対してはその時には「ニュースや天気がわからない」と言って難色を示したママであった。
現在、「ながらTV」を見ない生活が続いている。(全然見ないわけではありません。「おかあさんと一緒」「NHK」とかは見ています。なるだけただの商業ベースのTV番組は見ないってだけですが・・・)
それまではTV見ながらの食事をしたりしていたのだが、TVがない分確かに子供とママとのお話がよりいっそう増えました。
中を走るとモニターをいたる所につけている車を見かける。ナビの部分以外に「サンバイザー」「バックミラーに内臓」「天井部分に吊り下げ」「前部シートのヘッドレスト部」、、、5つも6つも取り付けてあるのすらある。(一番凄いのは後部ガラス全部がモニターになっているのを見た事がある。勿論、中の人は見る事は出来ません。笑、、、、そんなに見かけないのは多分、これ違反だからでしょう。)

車のナビのTVも走行中でも見る様にする事が出来る。「渋滞した時」、「夫婦喧嘩でもして気まずい雰囲気の時」、「つきあって日の浅い若いカップルで会話があまりはずまない時」などは便利かもしれない。しかし、それをすると折角ドライブに行っても外の移り行く景色ではなく、モニターの画面を見る事になってしまう。ドライブの思い出が映画の「貞子」だったりするかもしれない。会話も更に少なくなろう。

ワイワイいいながら乗るのがやっぱり楽しいと思う。(ウチのママはホントよー喋るから、、、、時々耳が痛くなるのが玉に瑕。)
時にはナビでなく「地図」と「方位磁石」で知らない道を「あっち!、こっち!、間違えた!」と言いながら走るのも実際楽しいもんです。
TVだけではなく、インターネット、携帯電話、、、、これからも色々悩みはあるんでしょうね。

あっ、12月の忘れられない日に、14日の結婚記念日があるのを忘れていた。
【後日談】
幼児教室で「OO君嫌い」って言うKクンの真似をしているらしいって事が判明。ママが車の中で「パパが『嫌い』って言われたら寂しい」って言ってたよというと息子は口をつぐんで少し反省して考えていた様子だから良かった。まぁ、嫌われる事でも本人の為にならない事、駄目な事は教えてあげないとね。。。
しかし子供もさるもの、、昨晩「お片づけしなさい!」とママに言われると自分の両方の耳に指を突っ込んで「聞こえませーん。」だと、、、新しい技を覚えてきやがった。笑


「デザインの時間的耐久性」

2008年12月18日 | 


ストカー連載「デザイン水かけ論」でお馴染みの元日産チーフデザイナー前澤義雄氏と大乗フェラーリ教の清水草一氏が繰り広げる自動車デザイン壮絶トークバトルのDVD。なーんと嬉しい事に我がパサートバリアントのデザイン、ベタ褒め。褒められて嬉しくないはずがない。豚も木に登るってもんだ。嫁さんにこの話をしたらとても喜んでいた。
清水&前澤ビデオの前澤氏が選ぶ輸入車デザインTOP5(JAIA試乗会にて)
 1位、シトロエンC6、ランボルギーニ・ガヤルド(同点)
 3位 プジョー407ワゴン
 4位 ジャガXKR
 5位 VWパサートヴァリアント ←ココ!

澤氏は、リアクオーター、Dピラーのあたりの滑らかな処理。ルーフラインのカーブと、ウィンドウグラフィックの上端のカーブの処理、その間の面などが とても練り込まれていて美しいと褒めていました。
「はっとする美しさではないが、毎日見ていて見飽きない、見るたびにいいなと思える 」「どんな気分のときでも、どんな天候、どんな時間にみても、いいと思える」それが「デザインの時間的耐久性」それがパサートにはあると。
時間的耐久性が高いとか。うまいあじの干物とも。 うーん。上手い事いうなぁ。。。
回PassatVariantを買った時にすぐ近くにAudiのディーラーがあった。

Audiのワゴンもカッコよかった。パッと見の第一印象ではPassatVariantより断然カッコイイと思った。が、、、Audiだと「そのうち飽きる」というのだけは予測出来た。実際、今、街中でAudiを結構見るのですが、特にフロントのライトの形状は「飽き飽きで食傷気味」に思えてきた。(お尻はまだカッコイイと思えるけどさ。)Passatのフロントライト、グリルの形状を「カッコイイ」と思えなかったのであるが、今毎日見ているが「なかなかいいんじゃない」って思えてきた。
「デザインの時間的耐久性」、、、そうコレだよコレっ!。これこそ今までハッキリとは言えなかった私の車を選ぶ時に一番気になってた所を的確に表現した言葉。
第一印象だけでの車のカッコイイ、スタイリッシュってのとは違う。そうパッと見はイマイチなんだけど飽きないよく見てみれば「意外といいんじゃない!」。クラス1の美人ってわけではないのに何故か次第に惹かれて、段々可愛く見えてしまう女の子。それがPassatVariantだったのだ。(ベンツの二つの丸目の奴もそう。味のあるモデルとして長い間君臨している。ただ涙目は不細工すぎだと思ったけど、、、)
?ここまで書いて大変まずい事に気付いた!母ちゃんと結婚して6年、付き合ってからだともう12年まだまだ冷え切らない。。。これも、もしかして、、、それも「時間的耐久性」ってわけ?と突っ込まれそう。
いやそれは違う。実は、最初から「カッコイイ」ってのもあるのさ。クラス1の美人。そんな娘に惹かれる事は勿論当たり前!。もっともクラス1美人の娘ってのには中々出会えやしないし、出会えたとしても付き合える確率は限りなく低い、、、が「0」って訳ではない。仮に付き合っても性格に難があると長続きはしない。やはり「あじの干物的要素」は持っている事は条件なのだ。
私の中ではRangeRoverと嫁さんがまさしくそれ!

最近また一段とPassatVariantと母ちゃんがよく似合っている気がしているのは「あじの干物」同士だから、、、、かな?(笑

・・・・・・ん?父ちゃんはそろそろ、、、、加齢臭ただよう「くさやの干物」orz、、、、いやそうならぬように頑張らねば。。。



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画期的な大発見!!しました。

2008年12月17日 | 育児・家族・自分・日常

供の歯の管理は親の責任。我が家では仕上げに磨いてやるのは当然、小さい頃から子供と箸、コップを共用する事も絶対に避けてきた。
外食した時に自分の箸を使って子供に「あーン」とやっているママ、パパの「微笑ましい光景」をよく見かけるのだが、そのママ、パパのお口の状況いかんによっては、その行為によって結果として子供の歯に将来悪影響を与える事もあると知っていたら、、、、と残念に思う。この辺りの情報をもっとマスコミが取り上げて周知徹底してくれるといいのだろうにね。
食後は母ちゃんが行い、寝る前に一度、念の為に手先の器用な私が磨いたりフロスをしてやるのが日課である。
週末の日曜日の午後に母ちゃんの「あ”ーーーっ!」と素っ頓狂な声。
慌てて行ってみると子供を膝枕していた母ちゃんの姿が、、、、歯を磨こうとしていたらしい。口の中をマジマジと見ている。
「どれ」と私も子供の口を覗きこむと・・・・。
「あ"ーーーーーーーっ!なんじゃこりゃあ!」

歯の溝が真っ黒!むし歯みたい!昨晩は綺麗だったのにぃ、、、一日にしてむし歯?
思い当たる事があった。
それは、、、コレ!

私がコンビニで懐かしいなぁと思って買って帰ったおやつ。それを3時のおやつに食べさせたのだった。
苦みが少しあり、きっと食べれないだろうと思っていたら、普通のより小さい10円玉くらいの大きさで食べやすかったのと意外と美味しかったのか私らには少ししかくれないで全部食べてしまった。水もあまり飲まずに食べていたので歯にひっついたのだろう。
しかしホントむし歯みたいに見える。こりゃあ面白えーーーー!
歯医者さんでもらう「歯磨きテスター」(磨けていない所を赤く染める奴)より断然わかり易い!
実際にどこが詰まり易い箇所なのかが、赤い着色の「歯磨きテスター」よりよーくわかるし、むし歯になったらどうなるかのかの擬似体験にもなる。
子供も面白がって手鏡を見ている。
コレ歯磨き指導、教育で使えるんじゃあないの!
どうですかー歯医者さん、、、、コレ使えませんか?

綺麗に落としてホントの一見着。。。

かと思いきや、、、、、次の日母ちゃんは再度驚いたらしい。
「う、うんこがぁ、、、真っ黒!」一瞬、血便が出たのかと思いビックリしたらしい。が、やはり原因はオレオだったみたい。


「俺の空」的放浪して「俺の城」!

2008年12月16日 | 

宅はまだ作っていないが、事業所は10年以上前に建てた。300坪の土地に60数坪の平屋の建物である。
懐かしいなぁ、、、。当時の事はよく覚えている。
務の仕事は(開業せずにそのまま働いてくれたら年棒制で1000万は出すからと言われたが、、、)辞めてアルバイターとして週に何日かは友人のところで働いて、残りは独立開業に向けて遊んで、、、いや準備をしていた。九州を転々とした。
愛車に服、毛布などの生活道具を沢山積み込んで公園等のトイレのある場所の駐車場、もしくはコンビニで車中泊。風呂はスーパー銭湯が朝早く開くのでそれで間に合わせていた。元々睡眠時間が短くて朝早い出発等も多く、好きな時間に移動できたのでホテルに泊まるより気楽だった。
車はスポーツタイプで全然車中泊向けではなかったのですが、、、、幸い後部座席がトランクスルーに出来たのでそこに足を突っ込んで寝ていました。冬は寒かったなぁ、、、。寒くて何度も目が覚め、暖房をしばらくはつけては寝るのを繰り返していました。
いつもの様に車中で寝ていると夜中にコツコツと窓ガラスを叩かれ懐中電灯で中を照らされました。警察の職質でした。アレはちょうどオームの事件があった頃だった。
ず何処で開業するか探したのですが、調べた範囲は九州全土。
気になる土地の人口動態を地区レベルの精度で役場に行って調べ、その地区・地域の同業者の数とその同業者の実際の立地条件を直に行って1つずつ調査、都市計画、道路の整備予定道路の交通量調査、、コンサルタントがするような事をしていた。
九州内にいろんな場所に候補地を見つけた。どこも開業してやていくには見込みの充分ある場所であった。
の中で実際に建てたのは結局は地元。
融資を引き出す段階になって親も特に資産があるわけではないので、地の利で県外より勝手知ったる県内の方がまだ融資を引き出す事業計画書をつくり易かったのである。(今は実家も近いので週末ごとに帰れ、地元で本当に良かったと思う。)
県内でも生まれ故郷の実家に近い土地に建てて欲しいという両親の願いは知っていたが、より確実に融資を引き出す為に確実性の高い地区に建てる事にした。地区を決めたら次は土地。色々不動産屋をあたるが、いい物件はない。しかし、ある日道路(国道)沿いに300坪の空き地があるのを見つけた。調べてみると市の所有地であった。そこで市役所に駄目もとで聞くと「公売」にかけてくれる事になった。公売(競争入札)も自分で参加して、ホンマもんの不動産関係の人相手に見事競り落としに成功した。その銀行から融資を引き出す際の事業計画書はコンサル等に頼らずに自分で全て制作した。そしてなんとか無事融資が決まり、自分の城を建てる事になるのである。
築の際にも業者に任せる事は一切しなかった。まず設計士を建築関係の仕事をしている高校時代の同級生から複数紹介してもらいその方と話をして一人の人に決めた。そして設計。その設計士さんは私の業に関する設計の経験は0であった。他の設計士さんの中には経験者がいたがあえてその「人」で決めた。その人が設計のセンスもよく頑固で手抜きをせずにしっかりした人であったからだ。設計士さんに必要なのは設計のセンスと素人である私の代わりにしっかり監督してもらう事だと思う。
あちらこちら車で放浪、いや準備する間に気になる建物(同業、異業種)の写真を撮ったり、建築の事について勉強したりしていたので建築士さんにノウハウがない分は私が基本的な設計(間取り・動線・各部の最適な寸法の割り出し)を行い、建築士さんに専門的な建物の設計をしてもらうような形であった。
浪することなく、専門の人に任せて仕事をしてお金を貯めればよかったのにと思われるかもしれないが、、、
結局、自分が動く事で一年間に貯める以上の金額が節約出来たと思う。
それは設計してもらった後、複数(8社以上だったと思う)の建築会社による競争入札を行った時にハッキリした。(その際には万一、建築会社各社での談合を防ぐ意味で一社、設計士さんも知らない建築会社を念のため自分で他県から呼んで参加させた。)
結果、金額の差額は最大2000万!一年間放浪、、、いや準備していたかいがあったというものだ。
て今回はどうしよう・・・。その時の設計士さんとまた組んでやろうか、大手の会社に気楽に任せてみようか迷っている。設計士さんと組んだ10数年前は結構エネルギー使ったからねぇ、歳をとってちょっとはお気楽にやりたい気がする。私自身は今はそこまで家にこだわらない。寝るスペースと仕事するのに机が1つ4畳半あれば事足りる、、、あっ、それと車庫!だけあればいい。
しかし、女性にとっては自分の「巣」となる所ですからそうもいかない。
とりあえず、メモ帳を昨日帰る時に買って母ちゃんに渡した。今の日常で不便な事を気付いたら書いておくようにお願いした。一日の中で家にいる時間が一番長いのは母ちゃんだから、母ちゃん中心の設計にするつもりです。
子供が昨晩、コーヒーの入った袋を持ってきて「コレ明日、持って帰ってね。」、、、、私の家は事業所だと思ってるみたい。

うそう、思い出した!土地を買ってすぐに「建設予定地」の看板を立てた。畳2畳ほどの大きさの看板である。それも資材を買って自分でデザインして色を塗って作った。実家で出来上がった看板を作って軽トラに載せて運ぼうとした時に通りかかった車が停まって手伝ってくれていたオヤジと話を始めた。
「何だったの?」と聞くと、、、、
「看板を作って欲しいとの依頼を受けた」と・・・笑。