前回まで
前回、茨城県にある小町ゆかりのお寺、北向観音堂に立ち寄った私。野ざらしにされ遺跡に近い状態にある観音堂を見て、どこかせつなくもよさを感じた私はいよいよ小野小町の墓へと向かうのでした。
============
北向観音堂近くの国道138号線にいる私。
ここから「小野小町の墓」まではすぐ近く。北向観音堂があるちょっとした山(筑波山の端にある)の北向山のちょうど裏側にあります。
後日、こちらに帰ってきて知ったんですが、ここの北向観音堂の裏道(山道)を登っていくとちょうどたどり着けるらしい(個人的な見解として一人で入っていくにはそれなりに勇気がいいると思う…)。
それはともかくとして、ネットで調べた「小野小町の墓」がある「小町の里」という場所があるところを目指します。
北向観音があるのは石岡市で石岡市のHPにはものすごく不親切でどこにあるかさっぱりわからないくらい過去の遺物的な扱いを受けていましたが、小野小町の墓があるのは土浦市になります。
こちらはそれなりに観光地として有効活用しようとする気持ちがあるらしく、墓近くに資料館的なものが用意されています。
ただまぁ、所見のひとにはまたこれもわかりづらく、「小町の里」というエリアに「小町の館」という資料館があって、その近くに「小野小町の墓」があるんですが、それが超絶分かりにくい。カーナビでは「小町の館」で探すのが一番だと思います。
さて、ここまで文句しか言っていませんが、いよいよ向かうことにしました。
国道138号線から辻交差点まで戻り、国道199号線朝日トンネル方面に曲がります。トンネルを抜けた最初の交差点を左折するとあっという間に到着します。駐車場は無駄に広いです。
とにかく周辺地図やパンフレットなどがない私は『小野小町の墓はどこぞ!』と思って敷地内を歩くと看板が。
いや、見学できないことは知っていましたぜ(2014年5月現在)。
でもこういうのって「釣りロマンを求めて」ならぬ「歴史ロマンを求めて」な人間から言わせると近くまで行って、だいたいどんなものなのかだけでも見たくなるものです。
というわけで近くまで行って見ることにしました。
途中、「ちかん注意」の看板を見ましたが、どうみてもこのあたりに出るのはちかんではなくてモノノケの類なような…。
それとパラグライダー的な練習をしている人たちがいました。
道なりに看板がぽつんぽつんと立っています。
しばらくすると立派な看板が。
え、本当にこの奥にあるんですか…?でも進みます。
お、民家のわきに看板があって、どうやらこの奥にあるみたいです。
あ、ありました。これが小町の墓です。
わかるでしょ?ほら、塔みたいの立ってるじゃない。これです、これ。
いやぁ、遠目に見ても赴きあるお墓じゃないですか(汗。
なんか…あっさりしすぎているなぁ。(山の中から猟銃を打つ音がパンパンなってますが)
う、うん。次行こう。次に。腰掛石を見に行こう。
再び、看板が。
まじか。これがハイキングコース入り口にもなっていると考えるとすこしゾッとするレベルの道です。
薄暗い舗装された道を20メートルぐらい歩くと再び看板があります。
道を曲がってさらに進むと明らかにこれは農家の畑の中。
そして段々に切れている石が。
そうです、これが小町が山を越えるときに腰を掛けたといわれている腰掛石です。
いいなぁ、なんの確証もないのに石がたまたまそこにあれば観光名所が出来上がる構図。歴史ロマン(違。
ふたたび切なさに胸が締め付けられ来た道を引き返すのです。
ありがとう、小野小町伝説。もうこのまま風化していっても惜しくない。そんな風に思いました。
こうして小野小町の墓を訪ねる私のGWの一大イベントは終わりを告げたのでした。
感想としては、小野小町がこれならば、青森のキリストの墓はもっとすごいんじゃないかと期待が膨らみました(何。
前回、茨城県にある小町ゆかりのお寺、北向観音堂に立ち寄った私。野ざらしにされ遺跡に近い状態にある観音堂を見て、どこかせつなくもよさを感じた私はいよいよ小野小町の墓へと向かうのでした。
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北向観音堂近くの国道138号線にいる私。
ここから「小野小町の墓」まではすぐ近く。北向観音堂があるちょっとした山(筑波山の端にある)の北向山のちょうど裏側にあります。
後日、こちらに帰ってきて知ったんですが、ここの北向観音堂の裏道(山道)を登っていくとちょうどたどり着けるらしい(個人的な見解として一人で入っていくにはそれなりに勇気がいいると思う…)。
それはともかくとして、ネットで調べた「小野小町の墓」がある「小町の里」という場所があるところを目指します。
北向観音があるのは石岡市で石岡市のHPにはものすごく不親切でどこにあるかさっぱりわからないくらい過去の遺物的な扱いを受けていましたが、小野小町の墓があるのは土浦市になります。
こちらはそれなりに観光地として有効活用しようとする気持ちがあるらしく、墓近くに資料館的なものが用意されています。
ただまぁ、所見のひとにはまたこれもわかりづらく、「小町の里」というエリアに「小町の館」という資料館があって、その近くに「小野小町の墓」があるんですが、それが超絶分かりにくい。カーナビでは「小町の館」で探すのが一番だと思います。
さて、ここまで文句しか言っていませんが、いよいよ向かうことにしました。
国道138号線から辻交差点まで戻り、国道199号線朝日トンネル方面に曲がります。トンネルを抜けた最初の交差点を左折するとあっという間に到着します。駐車場は
とにかく周辺地図やパンフレットなどがない私は『小野小町の墓はどこぞ!』と思って敷地内を歩くと看板が。
いや、見学できないことは知っていましたぜ(2014年5月現在)。
でもこういうのって「釣りロマンを求めて」ならぬ「歴史ロマンを求めて」な人間から言わせると近くまで行って、だいたいどんなものなのかだけでも見たくなるものです。
というわけで近くまで行って見ることにしました。
途中、「ちかん注意」の看板を見ましたが、どうみてもこのあたりに出るのはちかんではなくてモノノケの類なような…。
それとパラグライダー的な練習をしている人たちがいました。
道なりに看板がぽつんぽつんと立っています。
しばらくすると立派な看板が。
え、本当にこの奥にあるんですか…?でも進みます。
お、民家のわきに看板があって、どうやらこの奥にあるみたいです。
あ、ありました。これが小町の墓です。
わかるでしょ?ほら、塔みたいの立ってるじゃない。これです、これ。
いやぁ、遠目に見ても赴きあるお墓じゃないですか(汗。
なんか…あっさりしすぎているなぁ。(山の中から猟銃を打つ音がパンパンなってますが)
う、うん。次行こう。次に。腰掛石を見に行こう。
再び、看板が。
まじか。これがハイキングコース入り口にもなっていると考えるとすこしゾッとするレベルの道です。
薄暗い舗装された道を20メートルぐらい歩くと再び看板があります。
道を曲がってさらに進むと明らかにこれは農家の畑の中。
そして段々に切れている石が。
そうです、これが小町が山を越えるときに腰を掛けたといわれている腰掛石です。
いいなぁ、なんの確証もないのに石がたまたまそこにあれば観光名所が出来上がる構図。歴史ロマン(違。
ふたたび切なさに胸が締め付けられ来た道を引き返すのです。
ありがとう、小野小町伝説。もうこのまま風化していっても惜しくない。そんな風に思いました。
こうして小野小町の墓を訪ねる私のGWの一大イベントは終わりを告げたのでした。
感想としては、小野小町がこれならば、青森のキリストの墓はもっとすごいんじゃないかと期待が膨らみました(何。
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