そうか、私の書く文章は具体性がないんだと。
物事を抽象化と一般化した末に、当たり障りのない着陸を目指した文章を書く。
アウトラインだけ抑えて中身がない。
山に登ったとか言うが、どこの山に登ったかは言わない。
もしかしたら山にすら登っていなくて、それはなにかのたとえ話だったり。
具体的な自分はどこにもいない。
まさに今、それに陥っている(汗。
まぁともかく、今日からは具体的に書いていこうと思った今日この頃。
氷菓の枠を飛び越えた高級スイーツのようなかき氷を食べられるカフェ「yelo」 - GIGAZINE gigazine.net/news/20140523-…
約束された未来なんて何一つないんだよ、と刹那的にいる必要もないけど、盲目的にそれを信じてしまうのも少し残酷というか無警戒すぎると思う…人生って不思議。
Q、結婚式は祝わないといけないものなんですか?
A、いままで参加した結婚式で一度もそんなこと思ったことない。
事実、僕は誰のとはいわないけど、ほんとになんとも思わなかった結婚式で招待してくれたやつに「おめでとう」の社交辞令一言も言わなかったことがあります。
だいたいそんなとこで意味不明に空気読む意味がわからない。僕にはプロテスタントの教義はわからないし、結婚という取り決めがめでたいかも根本的にわからないのだから、なんとなく祝わないといけない空気にながされて祝う必要なんかないんじゃないかと思うんだよねぇ。
結婚式に誘われて本当にめでたいと思っている男なんて誰ひとりいないと僕は思うんだよねぇ。新郎に対しては『あー人生積みましたね』という薄笑いのもとおめでとうと声をかけ、新婦には『旦那はどんな優良物件なんだ?』という薄汚れた眼差しをかけながらおめでとうと声をかけているはず。
でも、男からみて結婚式に参加している女が本当に『おめでとう』と思って参加しているとは思えないんだよね。差はあれど『自分だったらどうだろう?』みたいな考えで、その挙式をサンプル回収みたいな気持ちを少なからず持ってて、まさに冷静と情熱の間みたいな複雑な気持ちなんだろうな、と推察する。
今週の体調不良と今日の授業の疲れと明日のTOEICと自分のこれからの人生から現実逃避して、辻村深月の本を読み出し一冊読みきってしまった。
死んでる場合じゃねー
明日のTOEICはごみに捨てて、模試のつもりで受けてですね、また来週以降の授業について考えます。これからの自分の人生についてはまぁよくわかりません。
だらしない【だらしない】/しまりがない。乱れた状態をいう「しだらない」の変化した語とされる。「しだら」は「自堕落(じだらく)」の転ともいわれ、江戸時代、好ましくない状態の意で使われた。