もう何年か前に、「ブログは一日の区切りをつけるために書いている」みたいな話をしました。
そんなことを書いていたことなんて覚えている方はいらっしゃらないでしょうが、
事実それは間違っていないと今でも思いますし、改めてそう思うわけです。
なんでブログをほとんど書かなくなったかといえば、仕事が忙しいこともあるし、
仕事から帰ってくるとやっぱりつかれているし、永遠と文章書くことなんかしないわけで、
それに140字の呪縛にどっぷりつかりツイッターで呟けばそれなりに語った気にはなるし、
なによりもきっとトルネが家にやってきて以来録画した番組を見る時間が尋常じゃない。
それらが原因とみて間違いない。
まぁ、そういう言い訳に加えて今日はもう一つ別な言い訳をしておこうと思う(何。
こっからが本日の本題であります。
一番最初に言ったように「一日の区切りをつけるため」というためのブログ。
別にブログっていう必要もないのだけど、文章というか言葉にするっていうのは、
今自分自身が思っていることや感じていることを清算をするというか、
物事は継続しているわけだけど、その時その瞬間切り取ってみる、そういう意味があると思うんですね。
でもね、それって物事が移り変わっていくからこそ効果的というか、
逆に言えば移り変わっていくことがなければ書き留める必要もないわけである。
たとえばですよ。
夏休みの宿題の日記やっていてですよ。
本日も晴天。翌日も晴天。翌々日も晴天…
そんなのが毎日続いていたら書く意味ないですよね。
毎日確かな違いが…些細ではあるけれど確かに違うことがあった。
そういうことがあるからこそ字をしたためる価値があるわけです。
でも、その変化がなかったときは本当に書くことがないわけです。
僕の言い訳もつまりそこに関係しているわけで、
ここ数年で何の変わり映えのない生活をするようになったところが問題。
一日一日なんの心境の変化も訪れず、楽しくもないし、つまんないわけでもないし、
とにかく感動がない。感心しない。関心しない。
今日も明日も明後日も明々後日も繰り返し、大体同じことが繰り返してやってくる…
やってくるというかこなしていると、徐々に何にも感じなくなるというか、
どーでもよくなってきて、最終的にたどり着くのは何やったっていっしょ。
なにをしようと何かが起ころうと僕は僕できっとここにいる。
今この場にいる僕に名にも影響しないし、ここにいる僕はずっとっこに居続ける。
そういう感覚がどんどん私をむしばんでって何もしなくなります。
なんもないんですよ。なに食べてもおいしいのかよくわからないし、
何を見ても面白いのかよくわからないし、まぁそんな感じです、最近。
だがしかしですね。
それはそれで常々、今日は晴れだった。今日も晴れだった。今日も晴れだった。と、
毎日書いていくのもそれはそれで意味のあることなのではないかと思った…
思っただけですが、一応思ったんでここにしたためました(汗。
まぁいつも通りです。
さーせん。