七宝焼をはじめてしたのは、小学生の時で、父親の勤務する学校の文化祭に連れて行ってもらったときだったと思う。
大きめの楕円の素地に、不透明のオレンジの釉薬の背景に、黄色の釉薬で「なおこ」(なまこの本名)と書いて、その場で炉に入れて焼いてもらった。ブローチとしても、ペンダントとしても使える金具を裏につけてもらった。
父が、「七宝焼って、すごくいいものなんだよ。」って言って、ふうん、そうなのか・・と思った。父もそう言うし、自分もその「なおこ」の七宝焼を気に入っていたので、遊びに行くときなど、セーターの胸に着けて出かけたりした。・・ある日、ペンダントにしてぶら下げていたとき、何かにぶつけてぱりーんと割ってしまった。家の中を探せば、きっとまだ接着剤でつなげた状態で、どこかに取ってあると思う。
それから、母が七宝焼を習いに行きはじめたのと、私が中学校の美術部で七宝焼をしたのと、どっちが先だったろうか・・。
しばらく習った後、母は、七宝炉と釉薬を買い揃え、家でも七宝焼を焼くようになった。一番初めに釉薬を何色か買ったとき、母と二人で色見本を作って、釉薬のケースの蓋に貼り付けた。35年以上経った今もそれらの釉薬ケースは現役なのだけれど・・。
わたしも、土曜の夜や日曜日に、母といっしょにいろいろな七宝焼を焼いた。
七宝焼の技法書に載っていたものは、特別な薬品などを使うもの以外は、一通り試していったと思う。
こんなこともあった。中学の文化祭に、なにか七宝の作品を出したいと思い、ワインの箱にあった葡萄の木の絵を七宝で作りたいと思い、母にそういうと、おまえには難しいから無理・・的なことを、両親揃って言われて、そんなことないもん・・!ぜったい作る・・・!!と奮起して、ひとりで作ったのがこれ・・。技法的にはそんなに難しくないのに、両親はなぜ止めたのでしょう・・。けっこう大きかったからでしょうか・・。
(あっ、だから、図柄はその箱のイラストそのままなのです・・。元のイラストを描かれた方、すいません、著作権的に・・)
下引き白を引き、黒で絵柄を描き、半焼き(ガラスの粒がかろうじて溶けかけた程度)で取り出して、透明色の釉薬で彩色してあります。
まあ、母の買った銅板やら釉薬やら、電気代のかかる炉だって、ぱかすか(勝手に)使わせてもらって、そういうお金的なことには一切文句言われなかったのですが・・、今思うと、そこんとことかすみません、ありがとうこざいます・・。
えっと、そんなこんなで七宝に親しんだ中学時代だったのです。
(・・が、そのころからまんがも描くの好きで、そっちのほうに情熱を注ぎはじめて、長く七宝のことは忘れていたのですが・・。)
まあ、今は、いろいろあって、戻ってきたよ~・・ということになるのかな。