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読書と映画をめぐるプロムナード

読書、映画に関する感想、啓示を受けたこと、派生して考えたことなどを、勉強しながら綴っています。

少年たちの戦争を中心に描く短編群、「硫黄島に死す」(城山三郎著/新潮文庫)

2007-09-05 06:35:55 | 本;小説一般
「硫黄島に死す」(昭和38年);昭和19年7月、西竹一陸軍中尉(43)
「基地はるかなり」(昭和43年)少年航空兵出身特攻隊員 白沢柳助伍長(17)
「草原の敵」(昭和43年)少年戦車兵 菊川兵長(17)
「青春の記念の土地」(昭和43年)離島に住む中学生 良吉
「軍艦旗はためく丘に」(昭和44年)甲種飛行予科練習生 二等飛行兵 千草(16)
「着陸復航せよ」(昭和34年)航空自衛隊草創期 米陸軍パイロット ローリー大尉(34)
「断崖」(昭和41年)S鉄道経営者K氏を取材する小説家「わたし」

城山さんの小説は随分読みました。その作品群の中で戦前、戦後復興に題材を取るものもたくさんありますが、戦争そのものを題材にした作品がこんなにあったのかとはじめて知った次第です。

表題作「硫黄島に死す」は、先日取り上げた映画「硫黄島からの手紙」で伊原剛志さんが演じた役どころですね。史実に忠実な城山さんの作品を読むと、映画では随分違った描き方になっていることがわかります。以下、「軍艦旗はためく丘に」までの五作は少年兵たちの戦争小説です。


西 竹一(たけいち、1902年7月12日-1945年3月22日)は、「大日本帝国陸軍の軍人。男爵。ロサンゼルスオリンピック馬術競技の金メダリスト。戦車第26連隊長を務め、硫黄島の戦いで戦死した。最終階級は陸軍大佐。勲三等旭日中綬章。西はバロン西(Baron=男爵)と呼ばれ欧米、とりわけ社交界で、また当時排斥されていた在米日本人・日系人の人気を集めた。後にロサンゼルス市の名誉市民にもなっている」。

「1930年にイタリアで愛馬ウラヌス号に出会う。ウラヌス号は陸軍から予算が下りず、かなりの高額ながら自費での購入であった。ウラヌス号と共にヨーロッパ各地の馬術大会に参加し、数々の好成績を残す。さらに陸軍騎兵中尉時代の1932年に参加したロサンゼルスオリンピックでは、ウラヌス号を駆って馬術大障害飛越競技に優勝して金メダルを受ける。これは日本が馬術競技でメダルを獲得した唯一の記録である」。

2008年、竹山洋監督で「バロン西」(仮題)として「硫黄島に死す」が映画化されるそうです。楽しみですね。


「着陸復航せよ」は航空自衛隊草創期のアメリカ人パイロット教官ローリー大尉を巡る物語です。空戦訓練中に消息を絶った日本人パイロット救出に命がけで立ち向かうローリー大尉を描きます。「飛行機はまた買えるが、パイロットの生命は買えない」「パイロットは簡単につくれないが、飛行機はいくらでもつくれる」というアメリカ人の認識と「人間の方が回転の早い消耗品」だとする日本。このフィロソフィーの違いが勝敗を分けてのではないでしょうか。写真はT33機です。


さて、本書の「断崖」だけは戦争小説ではありません。S鉄道とは長崎県の島原鉄道のこと。明治41(1908)年、植木元太郎氏の手で島原鉄道株式会社が設立され、明治44(1911)年6月に本諫早-愛野間が開通したのにはじまり、大正2(1913)年9月には諫早-島原湊間の島原鉄道が開通。そしてK氏とは宮崎康平氏。彼への取材旅行の随想が後に「盲人重役」となっています。

宮崎康平(1917年5月7日-1980年3月16日)は、「長崎県島原市生まれの古代史研究家、作家、元会社役員。本名は宮崎一章。『まぼろしの邪馬台国』によって日本中に邪馬台国論争を巻き起こした。本名は一彰。昭和15年早稲田大学文学部卒業。学生時代、森繁久弥らと学生演劇をやり、卒業後は東宝に入社して三好十郎に師事。兄の死により、帰郷して家業の土建業に従う。戦後、病没の父に代わって島原鉄道に入り、その近代化に努めたが、極度の過労から眼底網膜炎が悪化してついに失明」。

「このとき妻出奔。置き去りにされた乳呑み児を抱えてオロロンオロロンと作詞作曲したのが絶唱『島原の子守唄』。だが、この失明は、かえって彼に闘志と活力を与えた。以後、事業に、地域の開発に、そして邪馬台国の探求にと、常人以上の精力的活動がはじまる。かくて、島原鉄道には快速のディーゼルカーが走り、バス路線は伸び、島原半島には乳牛が草を食み、たわわなバナナが南国の陽に映えた」。

「新しい妻和子さんを眼とし、杖とし、ペンとして、記紀、倭人伝を500回も精読し、日本各地の遺跡を探り、遂にこの『まぼろしの邪馬台国』がなった。それから十余年、古代史全般への深い考察から『我が邪馬台国と古代史研究』(全5巻)を構想するに至った。そのプロローグとして本書が改訂された。氏の古代史および邪馬台国研究への情熱はますます燃えさかっている」。(「島原鉄道100年物語/上野弘介氏」

城山三郎
「(1927-2007)1927(昭和2)年、名古屋生まれ。海軍特別幹部練習生として終戦を迎えた。一橋大卒業後、愛知学芸大に奉職、景気論等を担当。1957年、『輸出』により文学界新人賞、翌年『総会屋錦城』で直木賞を受け、経済小説の開拓者となる。吉川英治文学賞、毎日出版文化賞受賞の『落日燃ゆ』や『毎日が日曜日』『もう、きみには頼まない』『指揮官たちの特攻―幸福は花びらのごとく―』等、多彩な作品群は幅広い読者を持つ。2002年、経済小説の分野を確立した業績で朝日賞を受賞。2007年3月22日、間質性肺炎のため逝去」。(新潮社HP)


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