作雨作晴


日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

高瀬川沿い

2006年04月01日 | 日記・紀行

京都駅界隈は用事でよく来るが、その際気が向けば、鴨川べりや高瀬川沿いまで足を延ばして散策して帰ることも多い。

それには烏丸通や東洞院か新町通りなどの南北道を北に上り、松原通か正面通りで東に折れて、高瀬川や鴨川に行き当たるか、または、七条通や塩小路通りをまっすぐ東に歩いて、そのまま高瀬川や鴨川岸に出るか、どちらかのコースをたどる。今日は、塩小路を東に歩いて、高瀬川のせせらぎに出た。

     
昔はここを高瀬舟が行き交ったのだろうが、今はその面影はない。川岸の桜の木はどれもちらほら白い花が咲いているだけで、多くはまだ小さな莟と赤い新芽を枝にとどめている。高瀬川沿いには豪華なホテルや旅館もなく、所々に若者向けか外国人向けの簡易で気楽そうな宿屋を見るだけである。人通りもほとんどなかった。

川を左に眺めながら正面通りまで出て、そこを東に折れて正面橋を渡る。そして鴨川の東べりに降りて、堤の上に咲いている桜を見上げながら歩いた。このあたりの桜は高瀬川のそれと違ってほぼ満開に近い。花は紅が濃く艶っぽい。

人間と同じように、紅の薄い白い花を咲かせる高瀬川沿いの桜は北方系で開花が遅く、五条橋から南にわたって咲いている紅の濃い妖艶な桜は南方系で開花も早いということなのかもしれない。

五条大橋で堤を上がり、橋を渡って高瀬川に戻り、今度は高瀬川の西岸沿いの歩道を下って帰った。途中で、お茶屋のお姉さんに声を掛けられる。微笑で応える。

西木屋町通りに出ると、雪洞が灯されていた。このあたりの桜並木は五分咲きぐらいだった。観光客らしい若い女性のグループが三々五々ゆっくり話しながら歩いていた。鮒鶴や鶴清などの料理旅館も久しぶりに眺めることになった。ここで何度かコンパを持ったのも、今はもう昔のこととなった。


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