ひな祭り
今日はひな祭り。桃の節句。言うまでもなく女の子ための祭り。幼き日の華やかな、昔からのこの祭りの思い出のために、どれだけ日本の女性が女性でありえていることか。
ジェンダーフリーのために、心に髭を生やした日本女性が増えているなかで。我が娘たちには、そうしたオトコ女の化け物だけにはならないで欲しい。
どんな出会いにも、はじめての出会いがある。それを後になって回想するとき、とりわけ異性とのはじめての出会いは印象深い。後に深い関係になる女性はとくにそうである。たとえそれまで何度か出会っていたとしても、はじめて女として出会うという時がある。この日の記憶のために。
西行法師の恋歌三首。
寄レ梅恋
595 折らばやと なに思はまし 梅の花
なつかしからぬ 匂ひなりせば
596 ゆきずりに 一枝折りし 梅が香の
ふかくも袖に 染みにけるかな
696 いつとなく おもひに燃ゆる わが身かな
浅間の煙 しめる世もなく
うれしい雛祭り
この歌を作詞した昭和11年、サトウハチローは離婚したばかりで女子二人、男子一人を引き取りました。
母のない寂しさを慰めるため豪華な雛飾りを買い、飾り方が分からず一晩かかったとか・・・
「お嫁にいらした姉さま」は姉がモデルで、ピアノも教えてくれた優しい人でしたが、18歳で結婚が決まった直後、結核で他界されたそうです。
お姉さんへの思いがしのばれます。
今年のひな祭りも、もう遠い昔のように感じ始めています。ただ、こうしてブログに記事として残しているので、この日の印象は瞬時にして回想できるのですが。
ひな祭りの行事に欠くことのできないこの「たのしいひな祭り」という楽曲を、昔から伝わってきた童謡ぐらいに思って、よく考えずにいたのですが、サトウハチロウの作詞で作曲されたことは最近になって知っていました。ただ、あなたのコメントを読むまで、昭和11年という時代を背景にしていることは知りませんでいた。歌詞も音楽も、日本の伝統行事であるひな祭りをこの上なく美しく象徴しているように思います。私たちはひな祭りをこの歌とともに記憶しています。
私は男なので、こうしたひな祭りでの女性の感情はよくわかりません。女性の気質に苦手な部分の多いのもたしかです。私自身男兄弟の中で育ちましたから、もちろん、幼年時にひな祭りの思い出はありません。
ただ、近所に同じ年頃の女の子が大勢いたので、ちょうど伊勢物語の筒井ずつの物語の世界のように、幼い頃の女の子たちとの遊びは、この年になっても、なつかしい記憶として蘇ってきます。
最近のあなたの3月6日の記事「晶子の美学」で、与謝野晶子の短歌について触れられていました。与謝野晶子についてはよく知らないのですが、ただなんとなく、それは本能的なというか、感覚的なものですが、近いよりがたい女性のような印象を受けてきました。
清少納言よりも紫式部に惹かれるのとおなじです。今のところ私の狭い和歌の知識では、特愛の女流歌人は見あたりません。衣通姫などの歌が好みといえば好みでしょうか。