作雨作晴


日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

しののめに  雨に打たれて

2021年06月04日 | 日記・紀行

 

2021(令和3)年6月4日(金)終日雨。

 

しののめに  雨に打たれて

 

第二回目のワクチン接種を今日すませた。前回は五月晴れの美しい一日だったけれど、今日は終日雨が降り続いた。

今なお猖獗をきわめるコロナ禍で多くの人が命や職を失った。たんに職を失うのみにとどまれば、まだそれも不幸中の幸いといえなくもない。

それもコロナ・ウィルスによる発病による病苦によるものにとどまらない。失業や生活苦、借金苦など不安や孤独など、この疫病に付随するさまざまの多くの理由で自らの命を絶った女性も少なくないらしい。

とくに飲食業に勤める女性たちにシワ寄せがいったと伝えられる。その一人一人の命の真実もその多くはほとんど私の耳にも届かない。

私の知る女性もこうした時期にたまたま短歌を詠んで送ってきた。彼女も過去に結婚にも失敗するなど、その生涯も決して幸福だったとは言えないけれど、それでも今なお生きながらえて晩年を迎えようとするこの梅雨時に、眠れぬままに「しののめ(東雲)」をむかえたらしい。その時の気持ちを和歌にして送ってきた。

推敲してみてほしいということだった。もちろん私にそんな才能も資格も能力もないことはよく分かっていた。けれども言われるままに手遊びをかねてネットで言葉を探していて、たまたま「女梅雨」という言葉のあることを知った。俳句の季語であるらしい。それに触発されて、その女性の気持ちを思って彼女の歌を次のように詠み代えて送った。

 

しののめに  雨にうたれて   うなだれし

     花あぢさゐの   女梅雨かな        
                      えつこ

しののめ(東雲)という言葉は、明け方の東の空が茜色に染まり始める様子を伝えるものらしい。

だから、夜明け方に降りしきる梅雨時の東の空の明け方をイメージするには適切な語彙であるとはいえないかもしれない。しかし、彼女がこの言葉を短歌に使っていたのを尊重してそのまま残した。

だから、ここでは「しののめ」は天候のいかんにかかわらずたんに夜明け方を意味するのみである。

アジサイの花に悩み多き生涯を生きる女性を象徴し、眠り浅い寝床で迎えようとする夜明けに、晩年に至るもなお病苦や生活苦など、悩みの多き今の日々とその過去に思いひたる女性の心情を、代わりに詠った。この拙劣な短歌にすこしでも慰められますように。

 

 

 


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