作雨作晴


日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

日本人拉致被害者の回復(日本人拉致問題の哲学的な検討)

2006年04月27日 | ニュース・現実評論

横田早紀江さん、米大統領と面会へ…拉致問題協力訴え (読売新聞) - goo ニュース

横田めぐみさんのお母さんの早紀江さんが、アメリカ下院議会の公聴会で証言するために渡米している。しかし、お父さんの滋さんは、体調の不安から国内にとどまることになったようだ。アメリカ大統領にも面会する予定とも言われている。

この日本人拉致問題こそ、日本国の国家としての不完全性を象徴するものだ。現代の日本国が国家として、不完全であることは、最近の社会的な事件や文化現象を見てもいえることである。

スパイ防止法さえ持たずに、国内で遠慮なく諸外国の諜報活動を許していることや麻薬の密輸入や女性の人身売買に等しい風俗産業における不法入国外国人労働者も放置している。さらに根本的で典型的な事例は、日本国内に外国軍が駐留していることがある。もちろんアメリカ軍のことであるが、この事実が端的に現在のわが国が完全な独立国家でないことを証明している。

日本は、先の太平洋戦争において未曾有の敗戦を喫した。その結果として、戦後のいまだ百年を経ない現代に生きる私たちは、長い日本史の全体から見ても、特殊な国家形態の時代に生きることになった。戦争の結果として、文化的にも倫理的にも戦争の深い爪あとの残された社会に生きざるをえない。


現代日本を考察するとき、少なくとも太平洋戦争後一世紀以内を生きる私たちは、つねにこの歴史的な視点を忘れないことが肝腎だ。敗戦によって、従来の価値観や倫理観が崩壊し、それに伴う道徳的、文化的な混乱や精神的な無秩序を経験した国民は、そのトラウマから回復するためには少なくとも一世紀は要すると見るべきだろう。現代もなお、植民地的な退廃文化の中に日本国民が置かれているのもある意味ではやむを得ない面もある。

しかし、この現状は放置されるべきことではなく、日本国民が十分な時間と哲学的素養の全能力を傾けて、主体的に憲法を形成し、近代国家としての日本がその自由と独立を回復して、国家としての法体系や文化や倫理の自立性と完全性を回復する必要がある。


北朝鮮による日本人拉致という国家テロを許したのも、結局は、戦後の日本が、完全な主権国家として回復されておらず、日本が国家として主権が完全に確立もされず、その行使もできていないことに原因がある。国民の生命と財産を守るべき軍隊や警察などによる独立国家として当然の権力行使ができない。それを担保すべき政治と行政の制度も確立されていない。日本人の拉致被害を国家として独立に回復することができず、アメリカに助力を求めること自体が本来は恥ずべきことであり、日本の従属性を示すものであるが、ここではこの問題についてはこれ以上は触れない。

いずれにせよ、国民の多くは、現在の日本の国家としての事態を、特殊な状況として相対化できない。また、それに不自由を感じることもない。戦後日本の国家としての欠陥を十分に認識することもない。


国家の概念からすれば、国家としての体をなしているのは、もちろん戦前の大日本帝国憲法下の日本であって戦後の日本国ではない。国家としての完全性からいうならば、大日本帝国のほうがより完全であって、戦後の日本国は不完全な、国家である。第二次世界大戦後の日本国は、国家の理念も国民の十分な自覚の上に立脚せず、国家としての自立性、独立性も獲得していないからである。

もちろん、こういったからといって、かつての大日本帝国を美化するつもりはなく、ただ現在の日本国を相対化し、客観的に考察することによって、現在の日本国の国家としての不完全性を認識し、より完全な国家へと形成して行く作業の一つの前提として必要であると考えるだけである。

もちろん現在の国際政治の状況から言って、アメリカ軍の撤退を主張するのは非現実的であることは言うまでもない。現実がすべて理想的であるなら、私たちは何の努力も必要としないことになろう。ある意味では、現実は理性的で、何らかの根拠と必然性をもって存在しているといえる。とはいえ、理想を忘れてただ現実に追随するだけに終わるのは、腐敗し堕落した国民である。理想や理念を着実に現実的に追求し実現してゆくのが健全な国民である。

歴史的な事件、政治的な事件を考えるとき、少なくとも、一度は、戦前の大日本帝国憲法下にあった日本国の立場から、それらの事件を発想してみることがあってよいと思う。それは、国家として「普通の国」であれば、どのような発想をし、どのような行動をとるだろうかということを想像するためである。

北朝鮮による拉致問題についても同様である。もちろん、大日本帝国の時代に北朝鮮は存在しないから、これはあくまで頭の中の想像に過ぎず、少なくとも、頭の中で行うシュミレーションに過ぎないが、とにかく、この作業を行うことによって、国家の概念を明確にし、それによって、実際の日本国憲法下にある戦後日本の国家としての歪みや欠陥を想定することができる。

大日本帝国もまた多くの欠陥を持った国家であったとしても、少なくとも、日本人が主体的に形成した国家であるという一点においては、大日本国帝国のほうが戦後の日本国よりは正常な国家である。国家形成の主体性という一点においてだけでも、戦後の日本国を問題視する必要があると思う。

大日本帝国憲法下で、果たして、横田めぐみさんのような日本人拉致のような問題は生じたか。国家として完全に独立し、主権の確保されている国家にあっては、こういった事件は起こりようが無い。この事件は北朝鮮によって引き起こされた、日本の国家主権に対する侵害行為である。もし日本国が「普通の国家」でより「完全な国家」であれば、北朝鮮のような国家テロを許すようなことはなかったはずである。こうした国家犯罪は戦争を覚悟しなくては起こしえないことを明確にしておくことが、平和の確保にも必要である。

拉致被害者の原状回復についてこれまでの経緯を見ても、結局、北朝鮮の根本的な体制変革か体制崩壊以外に結論はないのではないか。もちろん、直接的に軍事攻撃を仕掛けることは、現在の日本の法制からいっても、また、安保条約の同盟国であるアメリカが、イラン、イラク問題で余裕のないことから言っても非現実的である。

現在選択できる方策としては、経済的な締め付けを行うことによって、北朝鮮の内部崩壊を促進させるしかないと思う。アメリカが北朝鮮に対して行っている金融封鎖などは有効である。わが国も、万景峰号の新潟港入港禁止や、北朝鮮への送金の禁止措置など、せっかく北朝鮮制裁法案を成立させたのであるから、拉致被害者家族会の皆さんが主張するように、この法案の有効活用を研究し早急に実行することである。六カ国協議を北朝鮮や中国やロシアの時間稼ぎに利用させることなく、アメリカと連携して対策を講じてゆく必要がある。

そして、でき得る限り現在の拉致問題の早急な解決を図るとともに、二度とこのような事件がおきないように、根本的な対策を実行することが重要である。

追記

横田早紀江さんがアメリカの下院の公聴会で証言し、またアメリカ大統領にも面会して、本日(四月三十日)帰国した。こうした拉致事件に対するアメリカ国民と日本国民の対応を、テレビなどのニュースで見ていて感じるのも、やはり、聖書国民とそうでない非キリスト教国民との差である。悪においても善においても日本はアメリカほどには徹底しないのだ。儒教や仏教の「空」では結局、芭蕉が『奥の細道』で示した態度のようになるしかないのだろう。

 


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1 コメント

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拉致 (吉田義圓)
2006-06-28 04:20:04
拉致被害者家族会の皆さんが主張するように、この法案の有効活用を研究し早急に実行することである(引用終わり)同感です。義圓の自家用車にメッセージポスターを貼ろうかと思っています(もちろん横田さん等の同意を得たうえで、)。吉田光彦 拝
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