作雨作晴


日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

ヘーゲル『哲学入門』第二章 国家社会 第二十三節 [家族]

2021年02月08日 | 哲学一般

 

§ 23

Die  Familie  ist die natürliche Gesellschaft, deren Glieder durch Liebe, Vertrauen und natürlichen Gehorsam (Pietät ) verbunden sind.

第二十三節[家族]

家族は自然社会である。家族の成員それぞれは、愛と信頼、そして、自然な服従(孝順、敬虔 Pietät )によって結びついている。

 

Erläuterung.
説明

 Die Familie ist eine natürliche Gesellschaft, er­stens : weil Jemand einer Familie nicht durch seinen Willen, son­dern durch die Natur als Mitglied angehört und zweitens, weil die Verhältnisse und das Benehmen der Mitglieder zu einander nicht sowohl auf Überlegung und Entschluss, sondern auf Ge­fühl und Trieb beruhen. 

家族は一つの自然社会である。第一に誰もが自分の意志によってではなく、家族の一員として生まれついて家族に属しているからであり、そして、第二に、家族の成員の関係や行動は、思慮や推測に基づくのではなく、感情や衝動に基づいているからである。

Die Verhältnisse sind notwendig und vernünftig, aber es fehlt die Form der bewussten Einsicht. Es ist mehr Instinkt. Die Liebe der Familienmitglieder beruht dar­auf, dass mein Ich mit dem andern einzelnen Ich eine Einheit ausmacht. Sie betrachten sich gegen einander nicht als Einzelne. Die Familie ist ein organisches Ganze. Die Teile sind eigentlich nicht Teile, sondern Glieder, die ihre Substanz nur in dem Ganzen haben und welchen, getrennt von dem Ganzen, die Selbstständigkeit fehlt. 

その環境は必然的であり理性的であるが、しかし、それは意識的な洞察を欠いている。それはよりいっそう本能的なものである。家族相互の愛は、私の自我と他の個々の自我が団結するという事実に基づいている。彼らは互いに自分たちを個人としては見なさない。家族は一つの有機的な全体である。その部分は本来的に部分ではなく、むしろ肢体である。その実体はただ全体の中にあり、そして、その全体から切り離されると自立できない。

Das Vertrauen, das die Familienmitglie­der zu einander haben, besteht darin, dass Jeder nicht ein Inter­esse für sich hat, sondern überhaupt für das Ganze. Der natür­liche Gehorsam innerhalb der Familie beruht darauf, dass in diesem Ganzen nur Ein Wille ist, welcher nämlich dem Ober­haupte zukommt. Insofern macht die Familie nur Eine Person aus. (Nation.) ※1

ある家族のそれぞれが互いにもっている信頼は、家族の誰もが自分のための利益ではなくて、むしろ普通に家族全体ための利益を求めるということのうちにある。家族のうちにある自然な従順は、家族の総体のうちにはただ一つの意志があることによるものである。それはすなわち家長に帰するところのものであるが、その限りにおいて、家族はただ一つの人格から成る。(国民)

※1

家族についてさらに詳細な考察は、法哲学の「第三部 倫理 第一章 家族」の項において行われている。ここに「国民」(Nation.)を付記しているのは、国家において家族的な性格を回復したものが「国民」でもあるからだろう。

なお、この『哲学入門』においては、『法の哲学』に比べれば、家族から市民社会への概念の移行の論理的な展開についての説明もきわめて不十分である。

 

ヘーゲル『哲学入門』第二章 国家社会 第二十三節 [家族] - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/hNBn5m

 

 


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