作雨作晴


日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

ヘーゲル『哲学入門』第二章 義務と道徳 第四十九節[家族への義務]

2022年05月24日 | 哲学一般

 

II. Familienpflicht

§49

Indem der Mensch gebildet ist, hat er die Möglichkeit zu han­deln. Insofern er wirklich handelt, ist er notwendig in Verhältnis mit anderen Menschen. Das erste notwendige Verhältnis, worin das Individuum zu Anderen tritt, ist das Familienverhältnis.     (※1)Es hat zwar auch eine rechtliche Seite, aber sie ist der Seite der moralischen Gesinnung, der Liebe und des Zutrauens, untergeordnet.

Ⅱ. 家族への義務

第四十九節[家族愛について]

人間は教養を積むことによって、行為する能力を手に入れる。人間が実際に行動するかぎり、必然的に他者との関係に入る。個人が他者とかかわる最初にして必然的な関係は、家族関係 である。家族関係はなるほどたしかに法的な側面ももつが、しかし、それは道徳的な心情の側面に、愛と信頼の側面に従属している。

Erläuterung.

説明.

Die Familie macht wesentlich nur Eine Substanz, nur Eine Person aus. Die Familienglieder sind nicht Personen gegen einander. Sie treten in ein solches Verhältnis erst, inso­fern durch ein Unglück das moralische Band sich aufgelöst hat. Bei den Alten hieß die Gesinnung der Familienliebe, das Han­deln in ihrem Sinn, pietas.

家族は本質的にただ一つの実体のみから、一つの人格のみからなる。家族の成員はそれぞれお互いに対立しあう人格 ではない。不幸にも道徳的な絆が失われたばあいにはじめて、家族の成員は、法的な関係のような相互の人格が対立する関係に入る。古代の人は、家族愛の心情とそうした感情からの行為を、pietas(孝行)と呼んでいた。

Die Pietät(※2) hat mit der Frömmigkeit, die auch mit diesem Wort bezeichnet wird, gemeinschaftlich, dass sie ein absolutes  Band voraussetzen, die an und für sich seiende Einheit in einer geistigen Substanz, ein Band, das nicht durch besondere Willkür oder Zufall geknüpft ist.(※3)

Die Pietät(ピエタ:敬虔)は、また、このことば(Die Pietät)でも表される信仰心と共通して、絶対的な 絆を前提とした公共性や、一つの精神的な実体を、一つの集団の中に本来的に存在する統一性をもっている。それらは特殊な恣意や偶然によっては結びついたものではない。

 

 

※1
家族関係は本質的には法的な関係ではなくて、愛と心情に基づいて相互に敬愛すべき関係である。そうした道徳的な絆が失われた時に、愛と心情に代わって法的な利害関係に変じる。

※2
Die Pietät   
畏敬、崇敬、孝順などと訳される。
十字架から降ろされたイエスを抱いて嘆き悲しむ聖母マリアの像は「Pieta」と呼ばれる。
ドイツのプロテスタント教において、形式ではなく愛と心情の純粋を重んじる Pietismus(敬虔主義)という宗教運動があった。哲学者カントやヘーゲルたちはそうした家庭環境に生育したといわれる。

※3
すべて個人はその誕生から、家族との関係に入る。母語と呼ばれる言語をはじめ、習慣、生活様式、さらに性格とよばれる資質さえもが、家族の環境の中で養われ規定される。家族(家庭)の決定的な重要性もここにある。
各人にとってその資質や能力は、どのような社会生活を生きるかを規定する基本的な要素といえるが、個人はそれを両親や家庭環境から受け継ぎ、またそれに規定される。
家族・家庭がもつそうした本質的な教育的環境は、いく世代にもわたって継承され伝授されてゆく。それは客観的なもので、それぞれに蓄積された家族・家庭のその差異は一世代や二世代ぐらいでは解消されないほど深刻に個人を規定するものである。

 

ヘーゲル『哲学入門』第二章 義務と道徳 第四十九節[家族への義務] - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/laMusA

 

 

 


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