作雨作晴


日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

きれいな満月

2008年10月13日 | 日記・紀行

きれいな満月

この連休は美しい秋晴れの日が続いた。体育の日の今日草取りに山畑に行く。怠けて放っていたニンジンの周囲の草取りをする。ブロッコリー、大根、水菜、壬生菜、菊菜、タマネギなどの芽は、ズボラにわか百姓をも免じてそこそこに芽を出していた。自然は慈悲深い。農家のように生活がかかっていないからのんきなものだ。秋ナスとシシトウと最後の葉生姜を抜いて帰り、食卓に添える。

日が落ち、夕闇が濃くなってくると、東の空に満月が輝きはじめる。空から落ちてくる月の光はわが姿を影絵のように道ばたに写しだした。象牙を丸く掘り出したような月が浮かんでいる。地球のようには青くはない。紫式部や西行も見た月だ。

ここしばらく、マスコミはどこでもアメリカの「金融恐慌」を取りざたしている。プロテスタント・アメリカに対する罪と裁きということか。そして昨日、そのアメリカはなりふり構わず、テロ国家北朝鮮を指定リストから外した。そして、アメリカに泣きつくしかない日本は、いつものように悪女のように愚痴の泣き言をたれるばかりだ。口に出しては誰も言わないが哀れなものである。

また三浦和義氏がロスアンジェルスの拘置所で自殺したことが報じられていた。取り立てて語るほどのことでもないかもしれないが、それでもエポックを象徴する小さな事件として記録しておいてもよいかと思った。

三浦氏の事件についてはさまざまな点から論評できるだろうし、またその論評自体が評者の立場や思想をあらわすことになるだろう。

三浦氏はよかれ悪しかれ日本の戦後を象徴する人物としてみていた。ある社会に病理が伏在しているとすれば、おりに触れて吹き出物がある個所から現象してくるものである。

太平洋戦争の日本の敗北とその後のアメリカ占領軍統治。その帰結としての「半植民地文化」、その土壌に咲いた戦後日本文化を象徴する仇花。アメリカ文化の表面的な模倣と日本人の民族性の一面とがミックスされた土壌の上にのみ咲く。

三浦氏が犯罪者であったかどうかは分からない。しかし、三浦氏の言動はやはり戦後日本人のものであったと思う。そして、日本の司法においては無罪が宣告されたが、アメリカの司法当局は死に至るまで追求の手を緩めなかった。アメリカの「半植民地文化」の申し子が、もう一つのアメリカによって裁かれようとしていたのである。アメリカは広く懐も深い。それを知らずして傲った戦前の日本は戦いを挑んで破れた。これが私にとっての三浦氏の死のもつ意義である。

日本の戦後はまだ終わらない。太平洋戦争の敗北以降の、戦後という区分とその終焉についての定義は人によってさまざまだろうけれど、少なくとも私には戦後はまだ終わらない。

日本の戦後の終焉とは、日本国内からアメリカ軍基地がすべてなくなり、戦前の日本のように、自国の軍隊の独力で国土の防衛を果たす日である。その日が来るまで私には日本の戦後は終わらない。

今晩、NHKで――NHKも公営放送として少なからず問題を感じているが今ここでは触れない。もちろん評価できる点もある――『月と地球46億年の物語』という番組が22時からあり、月探査機「かぐや」が伝えてきた映像とデータにもとづいた月と地球の新しい宇宙像を伝えていた。

今夕おりしも山合の畑から見た白い月も、昔かぐや姫が月の世界から天上の使者の迎えに来るのを知ってひどく泣きじゃくったのと同じ月だ。かぐや姫はこの洛西の竹林のどこかに生まれ育ったそうだ。

[短歌日誌]⑤2008/10/13

満月の浄き世界を捨ててまで穢土の翁媼に泣いてすがりし

 


 

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