郵政民営化総選挙で国民の支持を得て小泉自民党が圧勝したことで、改革路線は定着しつつあるといえる。また、野党の民主党の党首に前原誠司氏が就任して、互いに改革を競い合うことによって、改革路線が定着しつつあるのは喜ばしいことである。政治においては前進か停滞かがあるのみで、前進がなければ停滞であって、自転車と同じように改革し前進してこそ国家社会の安定も保たれる。時代の変化に応じて常に改革されてゆくべきものであると思う。
いわゆる抵抗勢力が勝利して、政治の主導権を確保していれば、日本社会は停滞と後退とを余儀なくされ、国家的な損失はどれほど大きく、社会もどれほど息苦しいものになっていただろう。
とはいえ、改革についてはいまだ端緒についたばかりである。また、一応の改革の姿勢がとりあえず定着しつつある現在、これからは改革の内容と効率が問われてくる。
郵政民営化や道路公団の改革も、国民の要求からは遠く、きわめて妥協的な産物となった。一体誰と妥協したのか。そもそも民主主義の国家社会においては、国民全体の意思が政治に実現されるだけの話で、本来、国民的な意思の実現においては、そもそも妥協などはありえないのである。妥協があるというのは、抵抗する勢力が力を持っているということであって、こうした現実の存在することが意味するのは、国民全体の意思が実現されていない半民主主義の、あるいは反民主主義の国家の現実を証明しているにすぎない。
犯罪人や政治家や大金持ちや公務員やその他の国民の特権的な一部ではなく、大多数の平均的な「普通の」国民が可能な限りもっとも幸福に生きるうること、これが民主主義の理念ともいえる。この点からいえば、まだ多くの点で日本国は真の民主主義国家となりえていない。
たとえば銀行の金利の問題などもある。経済の回復という大義のもとに、ほとんどゼロ%に近い預金金利を国民は余儀なくされているが、これはいわば合法的な略奪行為ともいうべきもので、それは普通一般国民の財産であるである預貯金が収奪されている状況なのである。経済状況が健全化すれば直ちに適正な金利水準に回復されるべきものである。
また圧倒的な大多数の庶民の小口預金などから構成される郵便貯金なども、その資産残高などは、もっと平均的な国民や中小企業の産業と福祉に役立てられるべきものである。戦後復興時においては産業基盤の確立のために資金運営部資金として国家経済のために特定産業に優先的に運用されることもやむ得なかったかも知れない。しかし、今日ではもっと中小企業や一般国民の産業や福祉を融資対象にして運用されてしかるべき資金である。しかし、実際にはそうはならずに中小企業や一般国民は高金利の融資に泣かされることになっている。銀行や金融の民主化なども今後の政治的な課題としてゆくべきだろう。
その他にも、医療改革、弁護士制度や裁判制度など法曹関係の改革(裁判員制度など司法制度はいくらか改革されたが)、地方自治体や教育なども憲法改正と同時に根本から改革されるべき分野である。
また、切実な問題としてマスメディアの改革という課題もある。今日ではメディアとしては新聞、ラジオ、テレビ、それらにさらにインターネットを加えるべきかも知れないが、とりあえず、新聞、ラジオ、テレビの改革も大きな国民的なテーマである。インターネットなどは使い方次第で、大手の新聞が商業上の営業上の理由で伝えられない真実も明らかにし伝えられる可能性をもっている。とはいえインターネットの現状は、ゴミの投げ合い、阿鼻叫喚のエール、オス猫とメス猫との喚きあいに近いものになってしまっている。インターネットを健全なメディアに育ててゆくのも国民の課題である。
特に問題にしたいのはテレビ局である。NHKの不祥事が取り沙汰され、今も受信料不払いなどに尾を引いているが、テレビ放送の腐敗と堕落の問題は何もNHKだけではない。ただ、NHKには国民が受信料を払っているだけに国民の権利意識も強く直ちに問題化したが、その他の民営テレビ放送も、限られた周波数を優先的に割り当てられ、特権的に放映権を獲得しているという点で、その公共性はNHKと何ら変わるものではない。国民はNHKのみならずテレビ放送一般の公共性をもっと自覚し、その番組内容の質的な向上のために、もっと積極的に発言し行動してゆかねばならない。
最近、韓国ドラマがNHKでもよく放送されているが、もちろん、そのこと自体はとやかくいうことでもないが、問題は、NHKの番組製作能力が低下し、NHKの手による優れた質的な内容のあるドラマが放映されなくなったということである。私たちは韓国ドラマを見るために受信料を支払っているのではない。NHKも優れたテレビ番組を製作して、もっと外貨を稼ぎ出すくらいの自覚と自主的な努力が必要である。
このことは、民間放送にも言える。民間だからと言って、きわめて公共的なメディアを使いながら、国民の総白痴化を促進するだけしか意味のない番組を垂れ流すことが許されているわけではない。
テレビドラマの韓流ブームも、楽しく本当に面白い番組も見ることができない国民の、テレビ局に対する欲求不満の現われに他ならない。テレビ放送は独占的な放映権のために、競争原理が働かず、番組の質的低下に拍車をかけている。
国民に対する情報提供、文化形成に大きな影響を与える テレビ局の、チャンネル開放も含めて、番組放送の質的向上のために、また、番組製作における国際競争力の強化のために、どのような改革が必要であるか、心ある一般国民のさらなる議論も期待したい。