作雨作晴


日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

夏の終わり

2005年09月14日 | 日記・紀行

 

今日はもう九月十四日、夏も終わりである。しかし、夏の名残はある。蒸し暑い。とくに京都の夏の暑さは、昔から特有なのかも知れない。昔の文学作品の中にも、大宮人がどんな夏を過ごしていたか記録されている。


     行く蛍      (伊勢物語 第四十五段)


昔、男が居た。ある人のもとにとても大切に育てている娘がいたが、その男に何とかして自分の想いを打ち明けたいと思っていた。しかし、言い出すことができなかったからでしょうか、とうとう娘は病気になって死にそうになった時に、「こんなにまであの人のことを想っていました」と告げるのを親が聴きつけた。

泣く泣くそのことを男に伝えると、男は驚き戸惑いながら駆けつけたが、娘は死んでしまった。男は切なくなって、しみじみと部屋にこもって喪に服していた。

ちょうど時は水無月の末の、とても暑い頃で、宵のうちは琴を奏したり笛を吹いたりして慰んでいましたが、夜が更けはじめてから、少し涼しい風が吹き始めた。蛍が空高く舞い上がります。

男は縁に寝そべりながら蛍を見上げて、

行く蛍、雲の上まで、去ぬべくは、秋風吹くと、雁に告げ来せ

空高く行く蛍よ、雲の上まで去って行くのなら、都ではようやく暑い夏も去って、北から雁たちが乗ってやって来る涼しい秋風が吹き始めています。どうか娘の魂を持ち帰るように雁たちに告げ知らせてほしい、と詠んだ。

暮れがたき、夏の日暮らし、眺むれば、そのこととなく、ものぞ悲しき

なかなか暮れようとしない夏の日を、ひねもす物思いに耽っていると、これと言うことなく切なくもの悲しい。

娘は死ぬほど男を愛していた。しかし、深窓に大切にかしづかれて育てられた娘には、どうしてもみずから打ち明けることもできない。とうとう思い焦がれて死んでしまう。娘の魂は蛍にのって空に舞い上る。遠い暑い夏の出来事である。今年の夏ももう終わりだ。

 

コメント
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