都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

清水橋

2021-11-21 | 文京区  
清水橋
所在地:文京区 西片1・2丁目と本郷6丁目の間
構造 :RC
建設年:1936〜37(昭和11〜12)頃
解体年:2018(平成30)
Photo 1994.11.28

 昔からある橋で近代土木遺産の一つでもある橋だったが、橋をメインにした横からの写真は撮っていなかった。


 清水橋と西詰の階段 Photo 1994.11.28

 この写真も階段を中心にしていて橋はよく見えない。


 Photo 2008.6.4

 横からは撮らなかったのに、下からは撮っていた。橋桁の隅角部分が1/4円になっている。表現主義的と言っても良いのだろうか。


 Photo 2008.6.4

 この橋については、以前は建設年代がよく分からなかった。『日本の近代土木遺産』((社)土木学会編、2001年刊)では、写真の橋は1926(大正15)に架けられたもので、長さ18.04mと記されている。しかし橋の架け替え後、文京区が橋の東詰に設置したパネルには、1936・37(昭和11・12)年頃に架橋されたと考えられているとあり、現在はそれが公式見解のようだ。
 


 現在の清水橋の橋詰に設置された説明板(上写真)から転記

清水橋(からはし)の今昔
 西片町(西片一・二丁目)と森川町(本郷六丁目)を結ぶこの橋は、正式名を「清水橋」といい、地元では 「からはし」(空橋、伽羅橋、唐橋)とも呼ばれています。
 江戸時代、西片町側には備後国福山藩阿部家、森川町側には三河国岡崎藩本多家の江戸屋敷がありました。当時はまだ、西片町と森川町の間に橋はなく、谷底に一筋の清水が流れる急峻な谷間で隔てられていました。この地に清水橋が最初に架けられたのは、明治13年(1880)に阿部邸前から本多邸前への道が整備された頃と考えられています。同じ頃、谷底は道路として整備され、清水の流れも道の端に残るだけとなったことから「からはし(空橋)」とも呼ばれるようになったと伝えられています。この地ゆかりの文人、樋口一葉の日記にも「空橋」として登場するなど、多くの人々から親しみ、愛されてきました。
 清水橋はこれまで4度架け替えられており、二代目の木橋は、明治39年(1906)に、旧福山藩士の生まれで、著名な建築家の武田五一(1872〜1938)の設計によるものでした。三代目の橋は、大正13年 (1924)に撮影されたと思しき写真が残されているのみで、残念ながら設計図等の資料が残っていないため、架橋された年代、構造等の詳細については不明です。四代目は、コンクリート造の橋で、地元の方々の話から、昭和11、12年(1936、1937)頃に架橋されたと考えられています。
 そして、この五代目となる清水橋は、当時の木橋だった頃の面影も感じられる木目調のコンクリート橋として、平成31年 (2019)に架橋されました。
 パネル掲載の図版、左から、二代目清水橋の設計図(武田五一設計)、三代目清水橋(大正13年撮影)、四代目清水橋(平成29年撮影)
平成31年2月 文京区


 橋詰のパネルには、1924(大正13)年に撮られたという現在とは異なる桁橋の写真もある。従ってこれが3代目となり、近年まであった橋は4代目、現在の橋は5代目となる。
 個人的には、大正期に架けられた3代目を、昭和11、12年頃に改修・補強して近年まで使っていた可能性もあるのではないかと思うが、そのあたりは詳細な資料を見ていないので分からない。

清水橋/西片2丁目 - ぼくの近代建築コレクション

Tokyo Lost Architecture  
#失われた建物 文京区  #橋  タグ一覧

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