夢と希望と

そして力と意志と覚悟があるなら、きっと何でも出来る。

眦を決して その3

2007-05-12 | 中身
 流全次郎と神竜剛次、二人の決闘は両者の肉体のみならず精神をも衝突させ、交錯する拳と刃の狭間に両者の意志を煌めかていきます。
「俺が間違っている等と生意気な事をぬかしおって……貴様のようなふやけた男に人間の本質など解りはせん!!」
 実体験を基底とする自身の人間論を否定された神竜剛次は、流全次郎を「ふやけた男」と称します。厳しくも温かな父親と師に恵まれ、そして今も肉親以上に信頼し合う仲間と共に生きる流全次郎。そんな環境は、ぬるま湯でしか無いと断じたのです。これに対して流全次郎は叫びました。
「なるほど、お前の体験した事はまさに地獄だ。しかしだからといって、そこで見た物が人間の本質とは言えない!確かに人間にはブタのような面があるだろう。人間は愚劣で貪欲で卑劣な生き物だ。だが人間はブタではない!」
「ブタとどう違うと言うのだ!?」
「ブタは自分がブタである事に気がつかない!人間は自分が人間である事を知る事が出来る!知ろうと努力する事も出来る!だから人間は希望を抱く事が出来るんだ!!」
「希望――?」
「そうだ!人間はいつか、平等で平和な社会を作る事が出来るという希望だ!誰が支配する事もなく支配される事もなく、争う事もない、自由な社会を作る事が出来るという希望だ……!」
「貴様の甘ったるい理想主義には反吐が出るわ!希望を抱く事の出来る人間が、いったいどれだけ居ると言うのだ!?俺はこの世の90%以上を占める、大衆という生き物について言っているのだっ!奴らはブタだっ!百年経っても千年待ってもブタのままだっ!!この世にはほんの僅かの人間と、圧倒的に大多数のブタがいるだけだ!」
 自らが無知である事を知る事が知を得る為の第一歩であるように、自分自身と真っ直ぐ向き合う姿勢こそが人間を人間たらしめる第一歩なのだという主張、しかしこれも神竜剛次の心を動かしません。そんな事は、既に神竜剛次も理解しているのですから。その上で、自らを厳しく律する事の出来る人間は全体の10%に満たないのだから、残りの9割以上はブタと変わらない、と言っているのです。人間の歴史を振り返るなら、大衆というモノに対する認識において、それは真実に近いと私も考えます。
「奴らを見ろっ!人より良い大学に入ろうと受験勉強に青春を浪費している!それは人より良い会社に入って出世する為なのだ!そんなものが人生の真実かっ!!大学を卒業する迄には人より少しでも多くのエサを取る事しか考えぬ、利己的で強欲で卑劣なブタに仕上がっているという訳だ!そんな連中に希望をかけられるかっ!!故に人格的に優れた人間がブタどもに秩序を与えてやり、間違いを起こさぬよう指導してやるのだ!!」
 最高学府たる大学は、学問を修める事こそが目的である筈ですけれど……現実には神竜剛次の言う通り、単なる学歴取得機関となり果てているモノが殆どです。大学に入学する者の内、純粋に学問を求める人間がどれだけ存在するでしょうか。大多数は目的とする人生のレールに乗る為か、或いは単に惰性で進学するかでしかないような現状では、彼の言葉に私は有効な反論を行う事が出来ません。
それでも、流全次郎は退きませんでした。
「……それがお前の理想社会か!?」
「ブタどもに汚された社会を建て直し、高貴な人間性を回復した理想社会に作り上げるにはそれしかない!!」
「神竜、お前は人間に絶望している。そんな人間に社会を語る資格は無い!!」
「なに!?」
「人が子を産み子に希望をかけるのは、人間は無限に素晴らしいものになる事が出来るという希望があるからだ!!お前のやり方は、その希望を否定し、人間を鎖で繋ぐ事だ!希望を実現するのは難しい!しかし、その希望を否定する者とは徹底的に闘う!その強い意志こそが歴史を動かして来たんだ!」
「ふ……青臭い事を……」
「神竜、人間に絶望する事は、自分自身に絶望する事なんだぞ!自分に絶望しながらよく生きて来られたな!」
「重ね重ね生意気な事をっ!!」
 古今東西を問わず権力者達が最も怖れるモノがあります。
 それは、暴力です。特に若者達の、捨て身の暴力。
 権力者は飴と鞭を駆使して社会システムを構築します。民衆を家畜のように管理しつつ、誰もがある程度の幸せを得ているという幻想を与え、家畜である事を意識させないように騙す事こそが、自身の権勢を維持する為には必要です。そして民衆というモノは理想よりも保身を優先する性質がありますから、今現在得ている僅かな権益を失うリスクと引き替えにしてまで権力に楯突こうとはしない物。市民に王は討てないのです。
 王を討つのは奴隷、即ち持たざる者、若者です。失う物を持たぬが故の捨て身の暴力の前には、いかなる社会システムも崩壊するしかない事は、幾多の歴史が証明しています。そしてその若者達を駆り立てるモノこそが、理想であり希望。
 流全次郎は、それを信じます。人間の可能性に賭け、明日に望みを託すのです。
 神竜剛次は、ただ自分自身を信じます。可能性という曖昧なものよりも、確実な己の能力で明日を拓こうと。
 確固たる信条と自身の流儀が存在するならば、馴れ合いや妥協は極めて困難です。二人の主張は平行線を辿りますが、肉体的な戦闘の技量においては神竜剛次が一枚上手でした。流全次郎を決定的な窮地に追い込み、語りかけます。
「今までお前は自分を犠牲にし仲間の命も犠牲にし、俺と影の総理を相手に闘ってきた!そんな事に意味があったのか!?」
「当然だ……」
「お前は負けるんだぞ!このまま命を落とすんだぞ!それでも意味があったと言えるか!?」
「俺にはまだ大勢の仲間がいる!仲間の輪は更に広がる!俺が倒れても仲間達は闘いを続けるだろう!最後の勝利は俺達のものだ!!そして真の仲間を作るのは、闘いを通じてのみ可能だったのだ!」
 己のみを頼りとする神竜剛次にとって、敗北や相討ちには意味がありません。自らが勝ち残り、生き残り、他ならぬ我が手で理想世界を構築してこそ全ての行動は報われます。そんな彼にとって流全次郎の返答は、青臭く夢見がちな戯言であると同時に……どこか、憧憬を禁じ得ないモノでもありました。
「なるほど、命も惜しくないと言うのだな!では死ぬが良い!!」
 そう叫んで必殺の一太刀を繰り出しますが、微かな迷いは剣先に顕れてしまいました。流全次郎を文字通り一刀両断する筈の真向唐竹割は、手錠の鎖を断ち斬り顔面に大きな裂傷を与えましたが、死に至らしめる事は出来なかったのです。
「どうだ流、手錠の鎖が切れて自由になった気持ちは……鎖で両手が縛られたまま死なせるのは哀れだと思って情けをかけてやったのだ。有り難く思うがいい。」
 これまで敵に情けをかける事も、闘いの最中に迷う事も全く無かった神竜剛次の言葉とは思えませんが、自身の内に敵である流全次郎への憧れが生じている事を認める事は出来ません。自らを叱咤し意志を統制し、間髪入れず渾身の一閃を放ちます。
 それは、左胸を狙った神速の突き。シンプルながら人間を絶命させる為には極めて効果的な技術です。その刺突は狙い違わず流全次郎を貫いた……かに、見えました。
「流全次郎、仕留めたりい――っ!」
 死闘の結末を確信して、勝ち誇る神竜剛次。肉体の闘争で勝利を収めたからには、残る闘争……精神においても相手を屈服させようと迫ります。胸を刺し貫いた刃を捻り苦痛を与えながら、先程の言葉を撤回させようと。
「さあ言ってみろ!もう死ぬというこの時になっても、人間に希望を抱いていると言えるかっ!」
「ど、どんな死に方をしようと、お、俺の考えは変わらない!お、俺は希望をもっている……人間は、い、いつか必ず平等で公正で平和な社会を作る事が出来るだろう……だ、誰もが支配したり支配される事の無い社会を……」
「強情な奴め……これこそ虚仮の一念というやつか…!」
 死の淵にあっても希望を失わない流全次郎の言葉に、優勢であった筈の神竜剛次は気圧されました。相手の腕が、自らの刃を掴む事にさえ気が付けない程に。
「神竜、お前の負けだ……」
「なに!?」
「俺は、お前の凄まじい刀の動きを封じる手を発見したのだ!それがこれなのだ!残念ながら、お前の刀の動きは、俺の拳法技で封じられるような物では無かった。だが、たった一つ、残っていた。我と我が身で封じる道が……」
 そう、流全次郎は刺される刹那、完全に回避する事は望まず、致命傷を避ける事だけを念頭に動いていたのです。いかに神竜剛次の剣技が圧倒的でも、勝利を確信した瞬間ならば必ず隙が生じると……その可能性に賭け、そして彼は賭けに勝ちました。
「皮を切らせて肉を斬り、肉を斬らせて骨を断ち、骨を断たせて命を奪う――!南条五郎直伝・八極拳猛虎硬爬山!!」
 互いに徒手空拳ならば、拳法の使い手である流全次郎には及びません。神竜剛次は八極拳の絶招により肋骨を砕かれ、その肋骨により心肺を貫かれ、仰向けに倒れました。

 二人の肉体的な決闘は、こうして流全次郎の勝利により幕を閉じるのですが、まだ完全な終わりではありません。地に背を預け天を見上げる神竜剛次は、大の字になったまま流全次郎に言葉を向けます。
「俺の上着の釦を外して胸を開けてくれ……早くしろ!俺はもう、そう長くは保たんぞ……」
「血が……じ、神竜お前、怪我をしていたのかっ!どうも動きがおかしいと思ったら……」
 言われるままに上着を開いた流全次郎が目にした物は、普通なら動く事さえ難しい程の深手。しかし神竜剛次という男は、怪我を言い訳にして自らの敗北を取り繕うような甘ったれた精神の持ち主ではありません。
「俺が負けたのはこの怪我の所為では無い!天が俺に味方しなかったからだ……それよりも、晒布の間に短刀が入っている…」
「短刀……!」
「神竜、どうしてこれを使わなかったんだ……?俺が最後にお前目掛けて突っ込んだ時、お前がこれを出していたら、俺はやられていた筈だ。」
 そう。そこには、一振りの短刀がありました。勝利を確信して隙が出来ていたのは流全次郎も同じ事であり、これを使われていたならば、猛虎硬爬山を繰り出した腕は宙を舞い、返す刀で確実に息の根を止められていた筈です。
「本当に、そうすれば良かったな……」
「お前は俺に勝ちを譲ったのかっ!い、いったいどうして!?」
「流……俺とお前は同じカードの裏表だったのかも知れんな……お前は光を見つめ続け、俺は闇を見つめ続けた。闇とは人間に対する絶望であり、光とは人間に対する希望だ。どこまでも人間に対する希望を失わぬ、お前のその強さが俺を圧倒したのかも知れぬ。」
「じ、神竜……」
「それは、俺の母親が自殺するのに使った短刀だ。だから、それは影の総理を刺す為の短刀なのだ。流、それをお前にやろう……」
「……!」
「その意味は解るな……」
 自分の能力だけを信じ、誰かに希望を託すという行為を惰弱と断じて生きて来た神竜剛次が、流全次郎に短刀と遺志を託す。これこそが彼の敗北宣言であり、決闘の終結でした。直後に神竜剛次は絶命しますが、その表情は凛々しく満ち足りた物。思いのままに生き、闘い、そして敗れて死ぬという……私の理想とも言える生涯を全うしたのです。
 そして勝者である流全次郎は、自らに問いかけます。呼吸も食事も思考さえも、勝者にのみ許された特権です。
「神竜、お前の見つめ続けた闇は、どれだけ深かった事か……人間の本質については、神竜の方が正しいのかも知れない。だが、俺は絶望よりも希望を選んだのだ。生きる力のある限りは希望を持ち続けようと心に決めたのだ。神竜は最後の土壇場で俺に勝ちを譲る事によって、希望に賭けようとしたのではなかったか……そうだったのなら、もっと早く別の出会い方をしていれば……神竜は人間の醜さゆえに汚れ果てたこの社会を建て直そうと真剣に考えていたのだ。二人で協力して、この社会を支配している巨大な腐敗した権力を倒す事が出来たのではなかったか……だが、俺と神竜は闘い合う以外に互いを理解し合う道は無かった。何れにせよ、神竜の分も俺は闘わねばならぬ――!」
 この思考の帰結には、私も大いに頷きます。勝者は敗者を喰らい、自分が喰らわれるその日まで闘い生きなければなりません。
 神竜剛次と決闘を行った流全次郎は、闘い、勝ち、そして決しました。ならば、それで良いのです。敗者を悼む暇があるのなら、敗者を己の糧として全力で生きる事こそ勝者の責務です。それでこそ、敗れ喰われた者も報われましょう。少なくとも私なら、一億リットルの涙を流されるよりも、私を糧に強く生きて欲しいと勝者に望みます。


 と、いう訳で。
 3回に渡って紹介させて頂いたこの決闘、私の筆力が絶望的に不足している為に随分と冗長になってしまいましたけれど、好みの要素だけで構成されていると申し上げても過言では無い程に素敵です。もしも機会がありましたならば、是非御一読下さいませ。

 決闘は読んで字の如く、決する闘い。何かを決める為に闘うという意味に於いては、日々是決闘と呼ぶ事も可能です。
 誰にでも必ず敗北と死は訪れるモノですけれど、だからこそ……その時に笑って死にたいと願いますし、愛する人の糧となりたいと、望んでやみません。

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