「うみねこのなく頃に」という同人ノベルがあります。「推理は可能か、不可能か」とか「アンチミステリーVSアンチファンタジー」とか挑発的なキャッチコピーを添える事でミステリファンに喧嘩を売って頭に血を昇らせて読ませてやろうという意図が丸見えな代物なのですけれど、まぁ根本的な問題を抱えていまして。
と、言いますのもこの同人ノベルの作者は、あの「ひぐらしのなく頃に」と同一な訳です。つまり「惨劇に挑め」やら「正解率1%」やら煽っておきながら事件の大元は宇宙人が不時着した際にもたらした未知の疫病だったとか、その宇宙人は今でも不可視の精神生命体として存在し勝手気ままに世界に干渉してくるとか、その精神生命体は時を巻き戻す事が可能だとか、警察の検死では発見されない未知の薬物があるとか、その薬物の効果は作者にとって都合の良い幻覚を都合の良い瞬間に見せるというモノだとか、直接的な惨劇の原因は秘密結社と特殊部隊と自衛隊だとか、要するに叙述トリックやらこじつけやら以前に、推理物としてのタブーの限りを尽くしている作者である、という事。
推理物は作者と読者の知恵比べゲームのようなものであり、ゲームである以上はルールが存在します。少年漫画ならば話を面白くする為に後付け嘘設定も良いでしょう。悪の組織がインチキな薬を使おうと、軍隊が相手であろうと、仮面の男の正体が生き別れの父親であろうと、面白ければ許されます。しかし推理物で散々煽った挙げ句に、未知の薬物を用い超常的存在の干渉を許し軍隊が手を下していました、等とやられては大切な物が破壊されます。大切な物とは即ち、作者と読者の信頼です。
作者と読者の間に信頼があれば、作者がどれだけ無茶苦茶に見える事を描写しようと読者はその無茶苦茶に挑みます。「荒唐無稽に見えようとも、この作者ならば綺麗に納得出来る真相が隠されているに違いない。ならば自分の知恵を用いて見つけ出してやる!」と。しかし信頼が壊れていれば「どうせまた集団幻覚とか特殊部隊とか言い出すんだろ。百歩譲っても無茶苦茶な叙述トリックもどきを使ったり後付け山盛りするに決まってる」となってしまいます。作者側は、この状況を思考放棄だとか謎に屈服しただとか言いたいようですが、何の事はありません。事態は至ってシンプルで、ルールを護らない相手とはゲームをしない、というだけ。チェス盤にバネを仕掛けて引っ繰り返し、勝った勝ったと喚くような輩とはチェスをしようとは思いません。サッカーの試合中に両手でボールを抱え込み相手選手を事前に仕掛けておいた超小型時限爆弾で爆殺しながら無人のゴールにタッチダウンを決めて「こんな簡単な必勝法にも気が付かなかったのかよ」とか抜かす相手とは、サッカー自体が成立しません。故にゲームではなくルール無用の闘争と相成り、闘争なればこそ自分の世界から相手を抹消する事になるのです。
そんな訳で前置きが長くなりましたけれど、うみねこを5まで読んだ感想を。何故、そうまでボロクソにこきおろす物をわざわざ読んだかと言えば、読まずに批判する事は私の美学に反するからです。好きな物は良く味わって食べる、嫌いな物は良く味わってから吐き捨てる。そうでなくては好きか嫌いかは決められませんし。
とりあえずまとめると、こんな感じです。
・主人公がアホ過ぎる
読者の代理人たる主人公が頭の悪いカスなので、読んでいて非常にストレスが溜まります。少なくとも「アンチミステリーVSアンチファンタジー」の部分は適切な突っ込みを入れたなら1分で解決するのに益体もない無駄口ばかり。「操作不能、しかも変更不可の産廃アセンブリで固められた機体による下手くそ極まりないアーマードコア」を眺めさせられている気分というと、解る人には伝わるでしょうか。まぁ世界観の魅力としてもアーマードコアの足下にも及びませんが。
・登場人物に魅力が皆無
連続殺人事件により全滅しますが、どいつもこいつキャラが薄く人格的に魅力が無く、死んでも全く心が動きません。解決してやろう、という気持ちにさせてくれないのは推理物として致命的です。この点では、ひぐらしはまだ少なくともキャラクタの魅力はありましたので、劣化しているとさえ言えます。魔女側の挑発も安い言葉ばかりで、読者を怒らせたいという作者の意図は伝わるのですけれど、あまりに見え透いていて怒るというより乾いた気分になります。前述の通り主人公が感情移入不可能な産廃なので、そんな輩がどうなろうと正直どうでも良いというのも致命です。
・流石
主人公が大した事を言っている訳でもやっている訳でもないのに、流石だ何だと持ち上げ過ぎ。作中人物の知能は基本的に作者の知能を超えられませんので、足りない部分はある程度演出によって賢さをアピールしてやる必要がありますけれど、度が過ぎれば胸焼けしてしまうだけ。読者にキャラクタを凄いと思わせるのはキャラクタの行動によるべきであり、行動が伴わないのに他の作中人物に持ち上げさせても読者に浮かぶのは苦笑のみです。
・叙述トリック?
作品中では煉獄の七杭やらが跳ね回り密室で人を刺し殺し、屋敷の使用人は手からビームサーベルを出し、振り返ると妹はあっという間にミンチになり、時を渡る魔女がお茶会に興じるといった有様で、これはもう叙述トリックだとかそういった問題ではありません。正確に記述すれば原稿用紙1枚に収まる程度の真相を益体もない文章で水増しして、限りなく薄める事で読者の視点を真相から逸らそうとしているのでしょうけれど……こういうのは単に鬱陶しいだけで、何ら知的快楽を満たす物ではありません。「この分厚い百科事典の中に俳句を一句隠した。該当する文字は良く読めば少しだけ薄くなっている。さあ、見つけ出せるかな?」と言われて探す気になるのは余程の暇人か、或いは出題者に対しての好意が大きい場合だけです。更にタチの悪い事に、百科事典は読めばそれなりに面白く知識も身につきますが、この作品は根底にあるのが甘ったれた思考なので読んでも反吐しか出ません。
・魔法
私は唯物論者のように思われているらしく、意外に思われる事も多いのですけれど、少女時代は魔術や占いの類をちょっぴり嗜みました。グリモワールの類を読み耽り、タロットカードやルーンストーンの扱いを学び同級生相手にお小遣いを稼ぎ、ソロモンの72柱くらいなら今でも名前と能力を諳んじて手順通りに護符を作成する事が出来ます。とはいえ要するに魔術というのは自分の意識を制御する技術であり、基幹を為すのは自己暗示と強い決意。神や悪魔という当時の人間にとって解りやすく権威のあるシンボルを用いる事で自身の意志を明確にして自己の潜在的な能力を引き出す事が目的であり、別に指先から火の球を飛ばす事が狙いではないのです。ついでに占いにも言及するならば、小道具や占いという形式を用いる事で相手の心的警戒水位を下げて情報を引き出し、それを分析して無難で曖昧な助言を行う事により、相手が勝手に当たったと驚き喜ぶ事を狙った技術に過ぎません。私はタロットカードから一度も霊的な啓示など受けた事はありませんでしたけれど、カードを出汁に使って誘導すれば相手が勝手に情報を垂れ流してくれましたし、それを再構築して告げるだけで怖いくらい当たると驚かれたものです。
何が言いたいのかと申しますと、要するに。私にとって魔術というのは相手がどう思うかに関係なく己自身の内で完結する物だ、という事です。うみねこの作中において、魔法は魔法を否定する者がいると存在できないとか書かれていて、作者との魔術魔法に関する認識に埋めがたい隔たりがあると感じました。まぁコレに関しましては一瞬で相手を挽肉にしてしまうような「魔法」と伝統的な意志制御技術に過ぎない「魔術」を同じように扱う事がそもそも間違いなのかも知れませんけれど……作中でオカルトマニアな少女がソロモンの小さな鍵の護符をグリモワールの文字通りの意味で使っていたりするのを見ると、若干苛々してしまいます。
・魔女
この作品には孤島内部での殺人事件を描く視点と、それを盤上の駒のように眺める視点が存在します。そのメタ視点において魔女が存在しているのですが、とりあえずこの魔女連中を否定する事から始めないとゲームになりません。そうでなければいくら盤上の魔法を理論的に否定したとしても「盤上には魔法はありませんでした、しかし盤の外には魔女がいて魔法が存在します。今回は使わなかっただけで、その気になればいつでも魔法による干渉が可能です」となってしまい、全くスッキリしない結末となるからです。それをしようとせず、あまつさえ魔女の一人に情けをかけるあたり、本当にこの主人公は産廃としか言いようがありません。
結論として、ストレスを上昇させ自制心を鍛えるという意味においては有意義な同人ノベルでした。コレを心の底から好きだという人が存在するなら、是非一度じっくりとお話をしてみたいものです。それはきっと、新鮮な刺激となる気がしますので。