夢と希望と

そして力と意志と覚悟があるなら、きっと何でも出来る。

皇国を憂う。

2010-11-15 | 中身

 日曜日は大田区産業プラザで天正遣欧少年使節みたいな格好で売り子をしてきました。いやはやそれに致しましてもそういう系統のイベントでしたのに、殿方の比率が高過ぎです。統計をとった訳ではありませんが体感的に買い手の9割は殿方。昔から「衆道狂いは二十前、女郎狂いは四十前、訴訟事は五十まで、以降は後世の安楽を願うべし」と言いますのにねぇ。……思い切り己を棚に上げている気がしまくりますけれど、まぁこの言葉は女性には適用されませんから良いのです、きっと。

 そんな訳で大和民族の行く末に不安を感じつつ、尖閣諸島沖動画流出事件につきまして。
 人間の行動というのはサイコロを振って出た目に従うといったような場合を除き、基本的にその根底に意図がある物です。そこで今回の件で日本政府の意図を推察すれば、「公開しても中国を厳しく糾弾する事は現実的に難しく、徒に日本国民の反中感情を煽り立てる結果になるだろうから、公開はせず中国に対して貸しを一つ作っておく形にしよう」とでも考えたのではないかな、と。
 ただし、結果論では無しにコレは下策中の下策という奴です。策という物は第一に実行可能である事、第二にそれが効果的である事、第三にその策が己の首を絞めぬ事が肝要な訳ですが、今回のケースではその全てに反するという体たらく。
 まずそもそも実行不可能な策である事は明白でして、国家権力により報道機関もコンピュータネットワークも完全に統制可能という状態でもない限り、どうやっても今回のような流出が発生するのは火を見るよりも明らか。机上の空論で良い気になっていると痛い目を見る、これは至極当然です。
 二番目の効果的か否かにつきましても、衝突事件の存在自体を完全無欠に揉み消せていたならば兎も角、こんな状況で動画の存在が明らかになっているのにそれを公開しない等という事が国民感情にどのような影響を及ぼすか、子供でも推測可能です。大衆という群体は大局的な観点などという物は持ち合わせず、その場の衝動で動くのだという統治のいろはのイを忘れるようでは、政府としてお話になりません。仮に流出事件が発生せずとも、じわじわとダメージを受け続ける事になったでしょう。
 三番目の己の首云々につきましては、その策が長期的に見て害とならないかという事ですけれど……中国に限らず礼に対して礼を以て応じる相手というのは極めて少数であって、基本的に闘争は退けば退くだけ踏み込まれるのだという当然の認識が欠けているのが致命です。必要なのは媚び諂いではなく力に裏打ちされた礼節であり、闘争における譲歩はまず相手の戦意を殺いだ上で、窮鼠と化して噛まれるのを防ぐ意味合いに於いて相手のメンツを保つ為に行う物です。とは言いましても、この三番目に関しては礼節を裏付ける力の一つ、ぶん殴る拳を日本は放棄していますから、難しいのは確かですね。まぁ力というのはなにも物理的な暴力に限った話ではありませんので、それが使えないのであれば他の何かを用意しておくのが当然ですが。
 
 そもそも領土問題なんていう代物は、古来からの伝承やら約束を記した紙切れやらで決まる物ではなく、とどのつまりはその土地を実効支配可能か否かという事です。昔から自分の物だったから自分の物だ、等という言い分が通るのなら、「5万年前は自分の国こそが太陽系全てを支配する超文明国家だった」とかいう伝承を捏造すれば地球が手に入ってしまいます。無論そんな寝言が現実に通用する道理は無い訳で、所詮国境線などという物は人間が己の都合で勝手に決めるのです。その勝手を貫くのは単に力であって、そこに小綺麗な飾りを加えようとする事は、私のように粗野で野蛮な輩から見れば笑止の極み。単に「その土地が欲しいから闘う、逆らう奴はぶん殴る」で良いでしょうにと思います。北方領土にしても尖閣諸島にしても、あれこれと言葉を飾っても要するに、その土地が互いにとって有益だから奪い合うだけの事。闘争の生臭さを直視せず、甘ったるい夢想のオブラートに包まなければ食べられないのは惰弱としか感じられません。闘争というのは、その生臭さこそが醍醐味ですのに。

 私に言わせれば、国家という物は人間がより安楽に生きる為のシステムに過ぎず、税金という対価を払って対等に利用するだけの存在。故に国家への忠誠なんて噴飯物で、お酒や煙草、宗教や麻薬の類と同様に己を酔わせる痛み止めでしかありません。わざわざ自分の心身を酔わせ、まともでない状態にしたいとは思いませんので私はそれらを嗜みませんが、無論他人には他人の流儀信条という物がありますので、こちらに強制してこない限りにおいては尊重致します。何を大切に感じ、何を護りたいかは人それぞれ異なり、その利害が衝突したならば闘って、勝つか負けるかして、喰らうか喰らわれるかすれば良いのです。弱者というのは須く、強者の養分となるのが世の理なのですし。