夢と希望と

そして力と意志と覚悟があるなら、きっと何でも出来る。

血の色。

2014-04-23 | 中身
 それが互いの誤解による衝突であるならば、誠意と言葉を惜しまなければなんとかなるものだ、と……私は結構本気でそう考えています。まぁ誠意と言葉を惜しまず投入しても解決しない場合は誤解ではなく本質的な流儀の違いであって、そういう衝突は御相手と不倶戴天な訳ですから関わり合わぬようにするか、或いは徹底的に闘い争い滅ぼし合う以外にないのは当然として。
 と、このように極めて精神的に安定しており基本的に激昂するという事がなく菩薩の如く寛大寛容である私なのですけれど、どうも他者から冷血非道な爬虫類呼ばわりをされる事が多く、心外と言う他ありません。先日も、例の隣国の船が沈没した事件に関して
「あの被害者家族という連中は、どうしてあのように無駄な事してるのでしょうか。海岸で毛布かぶって祈ったり、体育館みたいな場所で身を寄せ合ってみたり、どう考えたって微塵も役に立ったりしないのに。手を合わせて神仏に祈っても死んだ人間が生き返る筈がないですし、仮に生きていても生存率が向上する訳でもないでしょう。いかにも居心地悪そうな避難所じみた窮屈な場所で時間を浪費して体調まで崩したりしたら今後の対処にも支障が出るのですから、自宅でゆるりと寛いでまず己の心身を強靱に維持する事が肝要だと思います」
 というような内容のコメントを職場での雑談で行いましたら、この四月から入ってきた新人さんにドン引きされてしまいました。
 大切な相手が海の藻屑になれば、それは当然悲しいでしょう。手塩にかけて育てた我が子がくたばれば、己の遺伝子を次代に残すという生物の存在意義の観点から、また単純に費やした手間暇が無駄になったという観点からも、悔しいものなのだろうと推察も可能です。故に私は「悲しい」という感情を否定しているのではなく、「悲しいからどうするか」という行動の部分に無駄が多い事を指摘しているのですよ、と新人さんに丁寧に説明して事なきを得ました。

 悲しいからと泣き喚いてみた所で、事態は一切改善されません。悔しいからと怒鳴り散らしてみても、己の愚劣さを喧伝しているようなものです。全ての生命体は生まれればどのみち必ず死ぬのですし、零れたミルクに涙を落としても詮無き事です。悲しみも悔しさも怨嗟も想い出も己の糧として喰らうなら、死者は我が心身の血肉となり……自分がくたばるその時まで共にあるようなモノだと、私は認識しています。