夢と希望と

そして力と意志と覚悟があるなら、きっと何でも出来る。

安倍晋三の発言等概要。

2014-05-17 | 中身
2014年
2/3 「憲法が国家権力を縛るのは王権時代の考え方。今は国の形、理想と未来を語るもの」
2/5 「集団的自衛権は憲法解釈変更で可能で、憲法改正は必要ない」
2/7 「同盟国アメリカ以外でも、密接な関係があれば集団的自衛権を行使可能」
2/12 「最高責任者は私だ。私が責任を持って選挙で審判を受ける」
2/20 「責任者は私である。閣議決定で案を決めてから国家で議論」
2/24 「大雪被害があったので緊急事態宣言を盛り込んだ改憲が必要」
3/4 「戦争参加ではなく紛争地への弾薬輸送ができるか検討」
3/12 「武器輸出三原則をやめて武器輸出可能な防衛装備移転三原則をつくる」→4/1閣議決定
3/22 「(集団的自衛権行使できない憲法解釈という)建前論に終始する余裕はない」
4/1 ODAの軍事利用の解禁を検討
4/8 「砂川判決は集団的自衛権を認めている」と解釈拡大
4/12 安倍設置の安保法制懇が新解釈を発表「日本に無関係な紛争への参戦は9条で禁じられていない」
5/15 「賛成派を集めた安保法制懇が解釈改憲していいと報告したので解釈変更する」

 あまりの頭の悪さに目眩さえ感じる程です。
 まず2/3の発言。国家権力というのは縛られなければ即座に調子こいて独裁政治に走るもので、そういう権力の身勝手を憲法で封じる事こそが人類の知恵であり、立憲主義というものです。憲法とは「政府の思い描く理想やら未来やらを語るもの」などでは断じてなく、国民を護る鎧であると同時に権力者への枷。こんな事も知らないようでは、そもそも法治国家の政治家として不適格と言わざるを得ません。
 その他の発言も脳味噌の代わりに腐った生ゴミでも詰まっているのではないかと心配になるレベルですけれども……特にアレだと感じるのが3/4と3/12の発言。この男は、兵站が戦争に含まれないとでも考えているのでしょうか。兵站というのは簡潔に言えば、「必要なものを必要な量、必要な時に必要な場所に届ける事」です。これは戦争遂行に際して、最重要な事柄の一つ。「戦争の玄人は兵站を語り、素人は戦略を語る」という言葉が示すように、基礎である兵站がお粗末であれば、どんなに大がかりな戦略も精強な大軍も絵に描いた餅、全く用を為しません。兵站は戦争ではないどころか戦争そのもの、その根幹なのです。それにも関わらずこのような寝言をほざくようでは、安倍晋三は軍人としても三流以下でしょう。無能な味方というのは有能な敵よりもタチが悪いもので、こういう闘いのいろはのイも知らない阿呆に最高指揮監督権を握られている自衛隊の方々には同情を禁じ得ません。

 昨日も申し上げた事の繰り返しになりますが、幾ら何でも、自民党にもう少しまともな人材は居ないのでしょうか。もしも私が自民党の幹部なら、こいつが口を開く度に「巻き添えにされてはたまったものではない、今度こそ本当に潰瘍性大腸炎にでもなって、さっさとくたばってくれないかなぁ」と思う事間違いなし。……とはえ、現実に高い支持率を維持しているのですから……まぁ類は友を呼ぶというか、大衆はそういうレベルという事なのでしょうかねぇ。
 私としては

 この神竜剛次の台詞を真実だと認識する一方で……その認識を覆す状況を目にしたいものだと願っているのですけれど。

法の夕暮れ。

2014-05-16 | 中身
 法治国家というものは、その名の通り法によって治められる国の事です。日本は法治国家であり、同時に立憲主義を標榜する国家である筈でした。立憲主義とはどういう事かといえば、政府の統治を憲法に基づき行い、政府の権威や合法性を憲法の制限下に置くシステムを指します。国家権力は憲法によって制限されなければならず、その制限は政治的・司法的手段によって実効性のある一群の法よりも上位に位置します。大雑把にいってしまうなら、立憲主義というのは国家権力を憲法で縛り、抑制する仕組みなわけです。政府に好き勝手をやらせない為の安全装置が憲法である、と言い換える事も出来るでしょう。
 憲法がそういう性質のものであるからには、縛られる側である政府が正規の手続きを踏まず解釈を勝手に変えてしまうような事は、当然許されません。もしもこれを許してしまえば憲法は全文が有名無実と化し、政府はどんな無茶苦茶も実行可能となるのですから。

 ところが、安倍内閣はこれを断行するつもりのようです。誤解なきよう念の為に申し添えておきますけれど、私は別に集団的自衛権の行使に反対だというわけではありません。それどころか国家として闘いたいなら闘えば良いし、降りかかる事が濃厚な火の粉は機先を制して払えば良いだろうと考えています。まぁ継戦能力に欠ける無資源国が選択する賢い手段では無いでしょうけれど、ね。しかし現行の憲法では、どこをどう読んでもそれらの行為は認められていない事が明白です。
 では、どうするのか。これは極めて簡単な事。法治国家として定められた手順に従い、憲法改正を行えば良いのです。最終的には国民投票により是非が問われ、その結果として明確な民意という答えが示されるでしょう。この手順以外で政府が勝手な解釈で憲法を弄り回すなど、それは既に立憲主義の国家の在り方では無いと断言できます。
 憲法とは国民の生命の根幹に関わるもの。ころころと代わる内閣総理大臣如きの責任で解釈を変えて運用するなど、愚劣にも程があります。それとも御得意の解釈変更術で自民党以外の政党を禁止して解散させ、ついでに終生総理大臣にでもなり、日本国総統でも名乗るつもりでしょうか。

 安倍晋三などは良く見積もっても冨永恭次レベルの有害な粗大ゴミであって、統治者の器ではないと私は認識していますけれども……それが総理大臣になれるのですから、まぁ自民党も人材が払底しているという事なのでしょう。

お腹の弱い安倍総理では役者不足。

2014-05-15 | 中身

 何やら巷では美味しんぼの表現が問題視されているようです。私がもしも日本政界を牛耳る影の総理系の黒幕だったりしたら、軽々しく反応した閣僚共はまとめて首を挿げ替えるところ。たかだか漫画の一つや二つ、どんと構えて黙殺しておけば良いものを、慌てて遺憾の意なんて表明しては、痛い腹を突かれたと認めるようなもので、利敵行為に他なりません。直接相手をしたりせず、定石通り適当に作者のスキャンダルでも捏造して話題を逸らしておけば済む事。
 とはいえ幸か不幸か私は政界の黒幕でも何でもなく、野蛮な非国民に過ぎませんので……当然ながら事態への見解もまた異なります。

 まず、福島県への風評被害云々に関して。これには他ならぬ日本国内閣総理大臣が御自ら、「健康問題については今までも現在も将来もまったく問題ない」と国際的に宣言なさっています。忠勇無双たる日本国民としてはこの言を疑うなど、あってはならぬ事なのかもしれません。
 しかし歴代自民党政権というモノは、水俣病を筆頭とする公害病問題にしても、薬害エイズ問題にしても、アスベスト問題にしても、悉く当初このような答弁であった事を、私は忘れていません。
 どうして判で押したように毎回その場しのぎのゴミみたいな見解を発表するのか、その理由というのは至極単純な事で……とどのつまり自民党政権というモノは財界の走狗だからです。大抵の分野において、スポンサーには逆らえない、スポンサーの利益を優先するというのは古来よりの常識ではありますけれども、自民党は特にこれが顕著と言うか、隠そうともしない潔さ。大企業様が潤えば、しみったれた下民共も少しはお零れを恵んで貰えるだろうから文句を言うなというスタンスを貫いています。
 自民党というのはそういう政党ですから、福島県民が死に果てようと子孫に遺伝子障害を残そうと、東京電力を中心とした原発利権と比べれば取るに足らない瑣末な事だという程度の認識であろうと私は推察しています。そしてそうであるなら、福島の原発事故にどのような対策を選択するのか、これもまた明解な事。つまり、実際にそうしているように、放射能汚染されまくった大地であろうと何だろうと、安全安心だとひたすら宣伝を繰り返すのです。ついでに言えば、そこに暮らす人々は土地への思い入れもあるでしょうし、安心だと思い込まなくては住み続ける事は出来ません。もしくは所有する土地が二束三文になってしまっては困る、自分が住むのは御免被るが間抜けな誰かに売り抜けてしまいたいと考える人も存在するでしょう。こうして政府と地元の間には、ある種の利害の一致を見る事になります。臭いものに蓋をして、寝た子を起こすなという……とても日本的で、有り体に申し上げるなら反吐が出る、ずぶずぶに腐った唾臭い隠蔽同盟の結成とも言えるでしょう。この両者が振りかざす武器こそが「風評被害」という言葉であると、私は認識しています。
 福島県が本当に安全なら、首都でも移転してみれば宜しい。原子力発電所が絶対安全なら、辺鄙な田舎ではなく東京湾にでも建造すれば良いでしょう。或いは敷地内に国会議事堂を移してみるのも良いかも知れませんね。福島を応援したいと口になさる方々は、他人事としての口先だけではなく……たとえばあの土地で暮らし、あの土地の食物と水を摂取して、子を産み育てたい等と本気でお考えなのでしょうか。私なら、真っ平御免です。そんな事をするくらいなら、修羅の国にでも赴いて名もない仮面の修羅に殺された方が、まだ我が身一つで済むだけマシというもの。放射線というのは見えず聞こえず無味無臭、そういう物に対するリスクコントロールは、やってやり過ぎという事はないのです。ましてや生臭い利権の絡んだ政府やら地元の声など信じるなんて愚の骨頂、まず痛い目をみる事になるものではないかと。

 次に、作中で描写されている鼻血と放射能の因果関係云々に関しまして。明確な因果関係が証明されていない事柄を、真実であるかの如く描く事は好ましくない……成る程、それは確かにその通り。しかし創作物に対して誰が何をどう思おうと、それは個々の受け取り手の勝手というものです。政府が出張ってとやかくいう事ではありませんし、どうしても言いたいならMMR等に対しても同様にコメントするべきでしょうね。
 では何故、仮にも閣僚級の政治家が軽々しくコメントを出したのでしょうか。これも、実に簡単な理由が導き出せます。福島県民への風評被害を憂慮するという名目で、ぶっちゃけてしまえば言論封殺を行いたいからでしょう。法律による言論統制は反発も大きいですし、成立させるのも一苦労ですけれども、こうした「そういう空気の形成による同調圧力」を生じさせる事は比較的簡単で、しかも日本人の気質にも合っています。原発事故や放射能汚染について語る事そのものが、健気に生きる福島の人々を傷付ける人でなしの所業なのだと印象付けることが出来たなら……政府も東京電力も大喜びで責任の所在を有耶無耶にして、我が世の春を謳歌する事間違いなし。なにしろ蓋をした臭いものに関しては、その汚物を発生させた当人ではなく、空気を読まず蓋を開けた奴こそを責めるというのが我が国の伝統ですもの。

 それにしても、こうも薄っぺらい方便でもしも国民を本気で騙せると考えているのだとしたら……なめられたモノですよねぇ。美味しんぼと同様に雁屋哲が原作である男組より、神竜剛次の台詞を引用して〆とします。