幾度か公言しています通り、蟹座キャンサーの黄金聖闘士であるデスマスクこそは、我が初恋の相手と申し上げても過言では無い殿方です。まぁ厳密には兄に対しての方が先ではありましたけれど、このような類の事柄は、肉親をノーカウントとする慣例のようですしね。
ところで彼のデスマスクという名、実は本名ではありません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/52/2fc32d727bbb38159b2d8c1529c27cee.jpg)
このように、彼が守護する巨蟹宮全体に彼が殺した死者の顔が浮かび上がっている事に由来する異名という訳です。ちなみにデスマスクの本名は今に至るまで不明のまま、墓碑銘にさえデスマスクと刻まれていましたが……まぁ名前など所詮は缶詰のラベルのようなもの。何をどう貼ろうと内容物が変化する道理も無く、些細な事に過ぎません。
さて、巨蟹宮を埋め尽くす死者の顔の中には相当数の幼い子供達も含まれていました。これを見咎め、詰問してきた青銅聖闘士のヒヨコ共に対する反応が白眉です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/87/190c1e26bc9711adc9861610a0b25512.jpg)
完全な正論であると私は認識します。例えば敵が市街地に潜んでいるとして、これを無人の採石場跡などに誘い出して倒す事にメリットなど皆無。逃亡でもされたなら余計な手間となりますし、そもそも敵に心理的にも物理的にも準備を整える時間を与える必要はありません。わざわざ身動きの取れぬ、回避行動もままならぬ場所に居てくれるのならば、有無を言わせぬ先制攻撃で葬り去るのが効率的ですし……その際に巻き添えになる連中などは、それこそ「悪を懲らしめる為の些細な犠牲」というモノです。
また、仮に敵が女子供を人質として用いた場合を仮定してみましょうか。このような際も、人質など一顧だにせず諸共に殺すのが効果的かつ効率的な事は自明の理。なにしろ敵は余計な荷物を抱えていてくれるのですし、それどころか本来こちらに向けるべき武器を人質に使おうとしてくれているのですから大笑い、こんな好機を逃す手はありません。また、大局的に考えるならば人質の命を重んじて逡巡するなどはまさに愚の骨頂。人質作戦の効果があるとなれば、敵対勢力から今後無限に同じ事を繰り返されるに決まっているからです。故に、人質などというモノは敵自身の手足を縛る枷としかならず、一切の効果は見込めず、そんな事をするくらいならばまともに闘った方がまだ僅かなりとも勝機があると明確に思い知らせてやる必要があります。
このような明々白々な道理にも関わらず「子供を巻き込むなんて出来ない!」などと惰弱な泣き言をほざくのは、当人の脆弱な精神を慰める効能しか無いのです。デスマスクのような精神的強者にそのような慰めは全く不要無用、何故ならば
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/4b/4fa615e7282f90f9cf15db0e08dbd818.jpg)
このように冷徹に事実を見据えているからです。生命というのは生まれたならば必ずくたばるのです。誰のどのような命であろうと例外無く、命そのものの価値は等しくゼロ。生きているだけで尊いなどという甘ったれた寝言には、何の力もありません。冷静冷徹に取捨選択する事で、寧ろ結果的に犠牲になる命は少ないとさえ言えましょう。
そんなこんなで極めて合理的で冷静怜悧な認識を持つデスマスク。しかし世の中には、口先だけでクールを気取り実際には情に流されまくる水瓶座アクエリアスのカミュのような輩も大勢存在します。どのように大層な御題目も、実行出来ないのでは絵に描いた餅に過ぎません。そこで闘争の場におけるデスマスクの立ち居振舞いはどのようなモノかと言いますと……
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/aa/ece7ab89022f7e2173a25d47e3ccf1b2.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/26/fdef1d4aaaa35b5ba90650d3fa5e0957.jpg)
……いつ見ても素敵です。巷には悪ぶってアヒャギャヒャ笑って殺戮行為に及んでおきながら、後になって「本当は誰も傷つけたくなんてなかった」とか「誰よりも優しいからこそ汚れた世界が許せなかった」とか愚にも付かない戯れ言をほざく連中が多いもので、私はそのような輩に対しては有り体に申し上げて反吐が出ます。しかし流石はデスマスク、そのようなつまらぬ欺瞞とは無縁の毅然とした態度と言えましょう。
何かを為すには、力と意思と覚悟が必要です。力が無ければやり遂げる事が出来ず、意志が無ければやり始めることも出来ず、覚悟が無ければ成功しても失敗しても泣き言を喚き散らす事になります。どれ一つ欠けても、私が「惰弱なカス」と称する輩になり果てます。デスマスクは力と意思と覚悟を兼ね備えているが故に、己が殺した者の怨嗟など意に介さないのです。そもそも一度自分が仕留めた相手、何を恐れる必要などありましょうか。巻き添えになって死んだと言うのなら、そいつに力が無かったことが全て悪いのです。恨むなら、むざむざと殺された己の無力をこそ恨めばよろしい。そんな簡単な道理も弁えずトチ狂って迷い出て纏わり付いてくる鬱陶しい亡者共にトドメをくれてやるなんて、慈悲深いとさえ申し上げても良いような精神であると私は考えます。
更にデスマスクが素敵な殿方である要素を挙げるならば、それは自律自尊の心です。彼は教皇シオンを殺害してなりすまし、その地位を奪った双子座ジェミニのサガの所業を全て知った上で、敢えてサガに忠誠を誓っています。アテナの聖闘士ともあろう者が、大逆の極みだと批判する方々が多いのも当然でしょう。まぁ仕方ありません、それというのもデスマスクはこのような流儀で生きているのですから。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/09/211d8a02ca8742f94e2c27a76b110734.jpg)
デスマスクは「世界に血と破滅と混沌をもたらす」だとか「己自身の栄達」だとか、そういったモノの為に闘っているのではありません。闘争の根底にあるのは「地上の愛と平和の為に」という聖闘士として当然の動機です。ただ、彼はその愛と平和がアテナの手によってのみ成し遂げられるとは考えていないというだけの事。善悪などは相対的なモノであって、所詮それぞれの都合に過ぎません。どのような正義を掲げても、全ては闘争に勝利しなければ寝言同然。だからこそデスマスクは、より強者であると判断したサガに加担したのです。アテナへの反逆も、何も考えず神に盲従するなど良しとせず、己の頭で考えて覚悟を伴い行動した結果というだけの事。力及ばず敗れはしましたが、己が己であるという事を貫いて死んだのですから立派なモノです。命じられるままに生きて命じられるままに死ぬ事に喜びを見出すような、飼い犬以下の奴隷根性の持ち主には不遜と映るのでしょうけれど……少なくとも私には、極めて魅力的であると感じられてなりません。いつぞやにも書きましたように、彼の子供ならば産みたいと願った程に、です。
それにしても冗談一切抜きにこれだけ素敵な殿方ですのに、世間の評価などというモノは本当にあてになりません。与えられるままに従うのではなく、己の意志で思考し行動する。私もそのように生きて、くたばりたいものです。
ところで彼のデスマスクという名、実は本名ではありません。
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このように、彼が守護する巨蟹宮全体に彼が殺した死者の顔が浮かび上がっている事に由来する異名という訳です。ちなみにデスマスクの本名は今に至るまで不明のまま、墓碑銘にさえデスマスクと刻まれていましたが……まぁ名前など所詮は缶詰のラベルのようなもの。何をどう貼ろうと内容物が変化する道理も無く、些細な事に過ぎません。
さて、巨蟹宮を埋め尽くす死者の顔の中には相当数の幼い子供達も含まれていました。これを見咎め、詰問してきた青銅聖闘士のヒヨコ共に対する反応が白眉です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/87/190c1e26bc9711adc9861610a0b25512.jpg)
完全な正論であると私は認識します。例えば敵が市街地に潜んでいるとして、これを無人の採石場跡などに誘い出して倒す事にメリットなど皆無。逃亡でもされたなら余計な手間となりますし、そもそも敵に心理的にも物理的にも準備を整える時間を与える必要はありません。わざわざ身動きの取れぬ、回避行動もままならぬ場所に居てくれるのならば、有無を言わせぬ先制攻撃で葬り去るのが効率的ですし……その際に巻き添えになる連中などは、それこそ「悪を懲らしめる為の些細な犠牲」というモノです。
また、仮に敵が女子供を人質として用いた場合を仮定してみましょうか。このような際も、人質など一顧だにせず諸共に殺すのが効果的かつ効率的な事は自明の理。なにしろ敵は余計な荷物を抱えていてくれるのですし、それどころか本来こちらに向けるべき武器を人質に使おうとしてくれているのですから大笑い、こんな好機を逃す手はありません。また、大局的に考えるならば人質の命を重んじて逡巡するなどはまさに愚の骨頂。人質作戦の効果があるとなれば、敵対勢力から今後無限に同じ事を繰り返されるに決まっているからです。故に、人質などというモノは敵自身の手足を縛る枷としかならず、一切の効果は見込めず、そんな事をするくらいならばまともに闘った方がまだ僅かなりとも勝機があると明確に思い知らせてやる必要があります。
このような明々白々な道理にも関わらず「子供を巻き込むなんて出来ない!」などと惰弱な泣き言をほざくのは、当人の脆弱な精神を慰める効能しか無いのです。デスマスクのような精神的強者にそのような慰めは全く不要無用、何故ならば
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/4b/4fa615e7282f90f9cf15db0e08dbd818.jpg)
このように冷徹に事実を見据えているからです。生命というのは生まれたならば必ずくたばるのです。誰のどのような命であろうと例外無く、命そのものの価値は等しくゼロ。生きているだけで尊いなどという甘ったれた寝言には、何の力もありません。冷静冷徹に取捨選択する事で、寧ろ結果的に犠牲になる命は少ないとさえ言えましょう。
そんなこんなで極めて合理的で冷静怜悧な認識を持つデスマスク。しかし世の中には、口先だけでクールを気取り実際には情に流されまくる水瓶座アクエリアスのカミュのような輩も大勢存在します。どのように大層な御題目も、実行出来ないのでは絵に描いた餅に過ぎません。そこで闘争の場におけるデスマスクの立ち居振舞いはどのようなモノかと言いますと……
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/aa/ece7ab89022f7e2173a25d47e3ccf1b2.jpg)
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……いつ見ても素敵です。巷には悪ぶってアヒャギャヒャ笑って殺戮行為に及んでおきながら、後になって「本当は誰も傷つけたくなんてなかった」とか「誰よりも優しいからこそ汚れた世界が許せなかった」とか愚にも付かない戯れ言をほざく連中が多いもので、私はそのような輩に対しては有り体に申し上げて反吐が出ます。しかし流石はデスマスク、そのようなつまらぬ欺瞞とは無縁の毅然とした態度と言えましょう。
何かを為すには、力と意思と覚悟が必要です。力が無ければやり遂げる事が出来ず、意志が無ければやり始めることも出来ず、覚悟が無ければ成功しても失敗しても泣き言を喚き散らす事になります。どれ一つ欠けても、私が「惰弱なカス」と称する輩になり果てます。デスマスクは力と意思と覚悟を兼ね備えているが故に、己が殺した者の怨嗟など意に介さないのです。そもそも一度自分が仕留めた相手、何を恐れる必要などありましょうか。巻き添えになって死んだと言うのなら、そいつに力が無かったことが全て悪いのです。恨むなら、むざむざと殺された己の無力をこそ恨めばよろしい。そんな簡単な道理も弁えずトチ狂って迷い出て纏わり付いてくる鬱陶しい亡者共にトドメをくれてやるなんて、慈悲深いとさえ申し上げても良いような精神であると私は考えます。
更にデスマスクが素敵な殿方である要素を挙げるならば、それは自律自尊の心です。彼は教皇シオンを殺害してなりすまし、その地位を奪った双子座ジェミニのサガの所業を全て知った上で、敢えてサガに忠誠を誓っています。アテナの聖闘士ともあろう者が、大逆の極みだと批判する方々が多いのも当然でしょう。まぁ仕方ありません、それというのもデスマスクはこのような流儀で生きているのですから。
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デスマスクは「世界に血と破滅と混沌をもたらす」だとか「己自身の栄達」だとか、そういったモノの為に闘っているのではありません。闘争の根底にあるのは「地上の愛と平和の為に」という聖闘士として当然の動機です。ただ、彼はその愛と平和がアテナの手によってのみ成し遂げられるとは考えていないというだけの事。善悪などは相対的なモノであって、所詮それぞれの都合に過ぎません。どのような正義を掲げても、全ては闘争に勝利しなければ寝言同然。だからこそデスマスクは、より強者であると判断したサガに加担したのです。アテナへの反逆も、何も考えず神に盲従するなど良しとせず、己の頭で考えて覚悟を伴い行動した結果というだけの事。力及ばず敗れはしましたが、己が己であるという事を貫いて死んだのですから立派なモノです。命じられるままに生きて命じられるままに死ぬ事に喜びを見出すような、飼い犬以下の奴隷根性の持ち主には不遜と映るのでしょうけれど……少なくとも私には、極めて魅力的であると感じられてなりません。いつぞやにも書きましたように、彼の子供ならば産みたいと願った程に、です。
それにしても冗談一切抜きにこれだけ素敵な殿方ですのに、世間の評価などというモノは本当にあてになりません。与えられるままに従うのではなく、己の意志で思考し行動する。私もそのように生きて、くたばりたいものです。